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	<title>一首鑑賞</title>
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	<description>日々のクオリア</description>
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		<title>多摩川の土手を光らせ無防備な季節は腕を組んでやって来る</title>
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		<pubDate>Thu, 17 May 2012 15:35:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>棚木 恒寿</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[                                                         小守有里『素足のジュピター』（一九九七年）
　一読、「腕を組んでやって来る」という比喩が、ユーモアでもあり [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>                                                         小守有里『素足のジュピター』（一九九七年）</p>
<p>　一読、「腕を組んでやって来る」という比喩が、ユーモアでもありコミカルでもあり、なんともおもしろい。具体的にはどういうことを意味しているのですかと、野暮なことを聞いてはいけないだろう。この一首、「無防備な季節」が四季のいつのことかは明示されていないし、言葉の明快さに比してどこか謎の残る作品である。<br />
　<br />
　私なりの解釈を記すと「無防備な季節」とは春か夏のような感じがする。温かくなり、人々の服も薄くなって気分も幾分うわむき加減の春や夏を「無防備な季節」と感覚的に捉えているのではないだろうか。「多摩川の土手を光らせ」も春から初夏にかけての光の感じにふさわしい。下の句では季節そのものが擬人化されて、「腕を組んでやって来る」のである。腕を組んだままのポーズで、大胆にも無防備に季節が入れ替わる。その爽快さを読者も楽しめばいいのだろう。</p>
<p> </p>
<p>地下鉄が地上に覗く数秒のためらいののち発言をする</p>
<p> </p>
<p>　本来は地下を通っているはずの地下鉄が、地上を走る区間がある。列車が地下から地上に出るとき、列車も乗客もすこしのためらいを感じる。その数秒のためらいののちに作中主体は会議か何かで発言をするのである。上の句は「ためらい」をみちびく序ということになるだろう。序の部分は実態がないわけではなく、都市で生活する人間の日常の実感がある（列車が地上に出るときの光の変化までを想像したりするだろう）。その残像を頭に残しつつ、読者はすこしのためらいののち発言する作中主体の緊張に思いが及ぶのである。</p>
<p>　『素足のジュピター』は小守有里の第一歌集。東京でＯＬとして過ごした日々を中心に編まれた一冊である。季節の変り目や、発言をするときの緊張感やら、日々の折々の思いや感覚が、口語文体で伸びやかに歌われている。</p>
<p> </p>
<p>冷蔵庫さわさわと鳴く夕闇に西瓜を洗う　ひざ洗うように</p>
<p>紫蘇の葉を喉にそよがせ追ってゆくパラソル担ぐひとのうしろを</p>
<p>うっすらと爪をぬらして帰宅する　家族と呼び合う人のいる場所</p>
<p> </p>
<p>　一首目、ひざ洗うように西瓜をあらうという捉え方がおもしろい。西瓜をいっしんに洗っていると、いつの間にか自分の膝と西瓜が同一化しているようでもある。ユーモアでもあり、不思議な身体感覚がごく自然に口語文体の中で生かされており、一つの到達があると思う。他の歌も紫蘇の葉を喉にそよがせたり、うっすらと爪をぬらししたりという体で感じた感覚が一首のポイントになっていよう。口語短歌は九〇年代にこういう所まで到達していたのである。</p>
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		<item>
		<title>逆立ちて視る風景よわたくしは芯まで熱き地球儀の脚</title>
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		<pubDate>Wed, 16 May 2012 11:37:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>石川 美南</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[鈴木英子『淘汰の川』（1992）

南半球を上にした地図を初めて見たのはいつのことだったか。確か小学校か中学校の授業で、（うろ覚えのまま書いてしまうが）「社会（地理）」ではなく「国語」か「道徳」の教科書だったような気がす [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">鈴木英子『淘汰の川』（1992）</p>
<p>
南半球を上にした地図を初めて見たのはいつのことだったか。確か小学校か中学校の授業で、（うろ覚えのまま書いてしまうが）「社会（地理）」ではなく「国語」か「道徳」の教科書だったような気がする。自分の常識だと思っている事柄が、地球上のどこでも常識とされているとは限らないということ。北半球を上にした地図から、北半球を中心に形作られてきた「世界史」のあり方が透けて見えるということ。そういった「気づき」のきっかけとして、「逆さまの世界地図」は提示されていた。</p>
<p>逆立ちの状態で風景を眺めている「わたくし」は、自らの常識に囚われることなく、さまざまな視点から世界を見つめたいと希求している。地球儀、あるいは地球そのものに自身を重ねるのではなく、地球儀を支える「脚」になぞらえているところにも、あくまでも客観的な立場を貫こうとする語り手の立ち位置がよく表れていると思う。</p>
<p></p>
<p>
　　小学期、われも多数の側にいき独り立ちいるあの子を囲む</p>
<p>　　生徒なりし子に似る後ろ姿見き謝りたきことあり春の路上に</p>
<p>　　君よりも早く老いゆくやも知れぬ窓の結露のふくらむ朝（あした）</p>
<p></p>
<p>一首目は、中学生の自殺にまつわる体験を題材にした一連から。いじめた子をただ糾弾するのではなく、いじめっ子の側に立ってしまった経験を思い返しているところに、「逆立ちて視る風景よ」と同種の、フェアネスを重んじる心が感じられる。</p>
<p>かつて教師の立場で生徒にしてしまったことを、いつまでも申し訳ない気持ちで記憶に留めている。君よりも年齢が若いという事実に甘えない。いずれの歌も、時として息苦しく感じられるほどに潔癖だ。</p>
<p></p>
<p>もっとも私は今、「公平さ」や「客観性」にスポットを当てすぎているかもしれない。</p>
<p>最初の歌に話を戻すと、地球儀の脚が「芯まで熱い」という点を見逃してはならないだろう。熱い脚の内側では、公平な人間たらんとする語り手の意志が生き生きと燃え盛っている。地球儀を支えるのは脚の部分だ、という矜持もあろう。</p>
<p></p>
<p>
　　引き寄せて寄せきれぬもの思わざり今太陽が私へ降りる</p>
<p>　　戸籍から戸籍へ移るも旅ならん〈英子〉の二字がわが具体なり</p>
<p></p>
<p>普段は「引き寄せて寄せきれぬもの」の存在を意識していながら、太陽を力強く体内に宿す。結婚を「戸籍から戸籍へ移る旅」と捉える視点はどこかドライだが、下の句は、「紛れもない私がここにいる」という矜持に溢れている。このように、公平さ・潔癖さと熱い心とが共存しているところが、鈴木英子の魅力だと思う。</p>
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		<item>
		<title>帰宅してあかり灯せばくらやみが箪笥のすみに逃げ込むところ</title>
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		<pubDate>Tue, 15 May 2012 15:24:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>棚木 恒寿</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[ 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　大松達知『スクールナイト』（２００５年）
 
　外はすっかり暗くなった。帰宅して無人の部屋の電気のスイッチを入れると、部屋はたちまち明るくなり、暗闇が箪笥の隅に逃げてゆくようだっ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;"> 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　大松達知『スクールナイト』（２００５年）</p>
<p> </p>
<p>　外はすっかり暗くなった。帰宅して無人の部屋の電気のスイッチを入れると、部屋はたちまち明るくなり、暗闇が箪笥の隅に逃げてゆくようだった。蛍光灯はスイッチを入れる時にちらつくが、暗闇が箪笥の隅に逃げ込むという見立ては、その一瞬の時間を再現しているように思う。蛍光灯が灯るまでの一瞬を、闇は箪笥の隅に逃げ込んでゆくのである。家人が居る間は、隅に隠れているのだろう。</p>
<p>　『スクールナイト』は大松の第二歌集で、二九歳から三三歳までの歌を選んだという。</p>
<p> </p>
<p>けふひとひ右斜交（はすか）ひに白き壁ありていつでもわれを見てゐた</p>
<p>　</p>
<p>　右斜めに白い壁のある場所で一日仕事をしていたのだろうか。「いつでもわれを見てゐた」は、壁に見張られているようで、ちょっと怖い感じもする。「われを見てゐた」の主語はもちろん「壁」であるが、同時に壁が私を見ている場面を外から眺めている視線のようなものがこの表現には混じる（「いつでも」あたりに、外から観察しているような感じが出ているのかもしれない）。自分を外から眺めるメタな視点がわずかに感じられ、そこから「白い壁に見られている」という意識が出てくるのではないか。</p>
<p> </p>
<p>　ちょっと凝った読みをしてしまったかも知れない。大松作品の面白さは、シンプルながらも、一首の中に確実に発見やウイットのある次のような作品にあると思う。</p>
<p> </p>
<p>ぼろきれのやうなタオルがぼろきれに変はる刹那のおそろしきかな</p>
<p>どんぶりを洗ひ終へればどんぶりにかぶせたり交尾させるにも似て</p>
<p> 手の甲は手の平よりも早く老ゆ　回転鮨をまた食べ過ぎて</p>
<p> </p>
<p>　ぼろきれに近いタオルとぼろきれとの境、どんぶりの交尾、手の甲と手の平の老いやすさ。誰もが感じているというわけではないけれども、言われてみればなるほどその通りといえる場面やものの理を巧く掬ってきていると思う。日々の生活における感情の流れや、物事の細部をリアルに再生するというのとはすこし違う。場面の瞬間を詠むのではなく、メタな地点からの物事への批評の態度が入っていると言って良いだろうか。「ぼろぎれのやうなタオルとぼろぎれの差」を考える主体には、一瞬の感情や感覚よりも批評や認識が優先してゆく。</p>
<p> </p>
<p>　酔ひて帰る妻はおほかた機嫌よくわが干し物のかたちを褒める</p>
<p> いさかひを避けるべくしてうべなひし妻の放言を寝しなに腐す</p>
<p> 解答欄はみだして書く生徒なりき六年間をずつとはみだせり</p>
<p> まじめにてやや鬱気味の生徒なりき　うるせーばばーと言つて治りき</p>
<p> </p>
<p>　妻との生活の歌、教師として生徒や学校を詠んだ歌にも多く共感した。</p>
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		<title>乳鉢のやさしき窪みに磨られいる硫酸銅や菫や血など</title>
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		<pubDate>Mon, 14 May 2012 10:38:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>石川 美南</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[永田和宏『黄金分割』（1977）
 
乳鉢は固体を磨り潰すのに用いるもので、化学や生物系の実験ではお馴染みの道具。
 「硫酸銅」 と「菫」と「血」は、一見、科学実験に使いそうなものを何気なく列挙しているように見えるが、硫 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">永田和宏『黄金分割』（1977）</p>
<p style="text-align: right;"> </p>
<p style="text-align: left;"><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);">乳鉢は固体を磨り潰すのに用いるもので、化学や生物系の実験ではお馴染みの道具。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);"> </span><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);">「硫酸銅」 と「菫」と「血」は、一見、科学実験に使いそうなものを何気なく列挙しているように見えるが、硫酸銅（Ⅱ）の結晶の青→磨り潰した菫の深い紫→血の赤と、色相が鮮やかに移り変わっていくのが美しい。無機物から植物、動物の一部と、次第に生々しさを帯びていくのも何やら意味深である。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);">たとえばメスシリンダーやガスバーナーや薬包紙など、シャープな姿かたちをした実験器具たちの中に、まっ白くてころんとした乳鉢がまざっていると、何とはなしに可愛らしい感じがする。</span><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);">「やさしい窪み」とは言い得て妙だ。加えて、その窪みから語り手が「乳鉢」本来の用途――乳児に与えるために食べ物を磨り潰すこと――を想起していると解釈するのは、決して深読みではないだろう。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);">同じ一連に、</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);"> </span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);">　　川岸の処女の胸にくちづけて乳飲みしとう釈迦を思えり</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);"> </span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);">が置かれているのも、偶然とは思えない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);">ラボの中で毒性の無機物を磨り潰すイメージと、乳児に離乳食を与えるイメージ。両者が重ね合わせられることによって、乳鉢の中で潰される菫や血も、何か痛ましさをもって迫ってくる。科学者の冷静な視点と、人の親としての（あるいは人の子としての）生な感情とが、奇妙に入り混じった一首と思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);"> </span></p>
<p style="text-align: left;"> 　　紫外線ランプすみれの花のごとともりて春の夜の無菌室</p>
<p style="text-align: left;">　　採血の終わりしウサギが量感のほのぼのとして窓辺にありし</p>
<p style="text-align: left;"> </p>
<p style="text-align: left;">これらの歌の場合も、無菌室の紫外線ランプ←→菫の花、実験動物としてのウサギ←→ほのぼのとした可愛い生き物としてのウサギという対比、そして、そこに込められた語り手の微妙な葛藤が読みどころといえよう。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>貴人（あでびと）は誰よりうけし勢力（いきほひ）ぞわれに詩あり神の授けし</title>
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		<pubDate>Sat, 12 May 2012 15:18:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>棚木 恒寿</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[ 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　服部躬治『迦具土』（１９０１年）
 
　服部躬治は１９７５年（明治８年）、福島県生まれ。上京し国学院に学びつつ、落合直文らの「あさ香社」に拠った。やがて久保猪之吉、尾上柴 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p> </p>
<p style="text-align: right;">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　服部躬治『迦具土』（１９０１年）</p>
<p> </p>
<p>　服部躬治は１９７５年（明治８年）、福島県生まれ。上京し国学院に学びつつ、落合直文らの「あさ香社」に拠った。やがて久保猪之吉、尾上柴舟らと「いかづち会」を結成し、新派和歌を推進した人物である。『迦具土』はその第一歌集であり、近代短歌の黎明期の作品集であるといえよう。</p>
<p> </p>
<p>　引用歌は、歌人としての自負を詠んだ歌ということになろう。世の中の貴人（社会を動かそうとしている者のことだろうか）の活躍を恨めしく思いながらも、自分には神の授けてくれた歌があり、自分はそれに拠って立つのだという気負いがある。「誰より受けし勢力ぞ」はお前は家柄などの良さで社会を動かしているのであり、私は今は何もないが神のさずけてくれた詩があるぞということである。在野の青年の気負いを短歌に収めており、鉄幹初期の浪漫主義と幾分通じるところもあり、興味ぶかい作品であろう。</p>
<p> </p>
<p>つらかりし憂かりし冥闇（やみ）の手ばなれてわが世楽しき朝ぼらけかな</p>
<p>尊げにいます仏の箔を剥ぎてもとの姿を見ばやとぞ思ふ</p>
<p>ここにしてわが吹く息の狭霧より八州の野に雲満つらむか</p>
<p>白雪をかざみにかめば鉄のわが骨軽くなりにけるかな</p>
<p> </p>
<p>  一首目、歌の大意としては、単純に朝が来たということだろう。「朝ぼらけ」は古典和歌的語彙であるが、内容はなかなかに面白い。「つらかりし憂かりし冥闇」という大げさともいえる表現には、夜の大いなる闇、そこでの作中主体の個人的煩悶を感じることができる。そういう大いなる闇の手を離れて、朝となると心の負荷が軽減する。「わが世楽しき」は、現代の私たちからすると「世」などという言葉が、ジャストフィットしない感覚もあろうが、古典和歌的語彙のなかに、主体の心理の動き、主情をなんとか読み込もうとした試行は、十分に評価できるように思う。二首目も、現在の私たちからするとどこか大げさな感じのする歌。貴げにいる仏の箔を剥いで、元の姿を見たい、仏の本質？を見たいということだろうか。「箔を剥ぎて」という行為、あるいはそれを想像する心が明らかに過剰なのだが、その過剰感には近代人の自意識のようなものがかすかにうかがえるように思う。四首目の「鉄のわが骨」の身体感覚も、ずいんぶん新しかったのではないだろうか。</p>
<p>  現代の私たちからすると、やや読みづらいような気もするし、意外と感覚が近いようにも感じられる。近代短歌の黎明期は、たった百年ちょっと前のことだったのである。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>狩られては低き草生に身を伏せてかつがつ在るを鳥とおもふな</title>
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		<pubDate>Fri, 11 May 2012 04:00:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>石川 美南</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[斎藤史『ひたくれなゐ』（1976）

 
「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉を初めて知ったのは、「まんが日本昔ばなし」の中でのことだった。貧しい男が、病の娘に赤飯を食べさせるため、地主の家から僅かな米と小豆を盗む。元気 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">斎藤史『ひたくれなゐ』（1976）</p>
<p style="text-align: right;">
<p style="text-align: left;"><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);"> </span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);">「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉を初めて知ったのは、「まんが日本昔ばなし」の中でのことだった。貧しい男が、病の娘に赤飯を食べさせるため、地主の家から僅かな米と小豆を盗む。元気になった娘は、嬉しげに鞠をつきながらあかまんまの唄を唄う。ところが、村の川が氾濫し、人柱を立てることが決まったとき、娘の手まり唄を証拠に父親が罪人として咎められ、人柱にされてしまう。娘はそれ以来口をきかなくなるが、ある日、撃たれた雉を抱き上げて「雉も泣かずば撃たれまいに」と呟き、そのまま姿を消す。 </span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.296875); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);">辞典ではあっさり「無用の発言をしたばかりに，自ら災害を招くこと」などと説明されている言葉だが、民話は非常に哀れが深く、むしろ、いわれもなく撃たれた雉への同情が優っているように思う。</span></p>
<p>この歌の<span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.292969); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);">語り手も、狩られた鳥に強く心を寄せている。「狩られては」とあるので、目の前に横たわる一羽の鳥を見つめているというよりは、幾たびも狩られ続けてきた鳥たちの長い歴史に思いを馳せるニュアンスだろう。</span></p>
<p><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.292969); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);">不本意に地に伏せる鳥の姿を、しかし一首は、結句に至って力強く否定する。鳥は本来、自由に空を飛ぶものなのだと。</span></p>
<p><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.292969); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);">『ひたくれなゐ』は斎藤史の第8歌集。彼女が最後まで決して手放すことのなかった二・二六事件の記憶は、この歌集にもくっきりと影を落としている。加えて、母と夫の介護・看護に追われる日々。</span></p>
<p><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.292969); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);"> </span></p>
<p><span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(26, 26, 26, 0.292969); -webkit-composition-fill-color: rgba(175, 192, 227, 0.230469); -webkit-composition-frame-color: rgba(77, 128, 180, 0.230469);"><br />
</span></p>
<p>　　花あかりわがたましひに沁み入るになほ昏（くら）しその片面ほどは</p>
<p>　　おびただしく言葉は朽ちてひそやかに光る苔らを育たしめたり</p>
<p> </p>
<p>苦しい日常を反映してか、どの歌もどこかしんみりと暗い。しかし、そんな中でも格調高く詩の言葉を育てようとする、その誇り高さに打たれる。</p>
<p> </p>
<p>　　道しるべよむごとく我の顔を見て猫は去りたり信じざるまま</p>
<p>　　おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにゆかぬなり生は</p>
<p> </p>
<p>仄かなユーモアと、生きていくことの寂しさが共存したような歌も、魅力の一つだ。</p>
<p> </p>
<p>　　死の側より照明（てら）せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも</p>
]]></content:encoded>
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		<title>軋みつつ人々はまた墓碑のごとこの夕暮れのオールを立てる</title>
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		<pubDate>Thu, 10 May 2012 11:26:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>棚木 恒寿</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[ 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　寺井淳『聖なるものへ』（２００１年）
 
　ボートやカヌーを終えた後の光景だろうか。夕暮れになり、一日水遊び（競技かもしれないが）をした人々はオールを片付けている。「墓碑の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p> </p>
<p style="text-align: right;">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　寺井淳『聖なるものへ』（２００１年）</p>
<p> </p>
<p>　ボートやカヌーを終えた後の光景だろうか。夕暮れになり、一日水遊び（競技かもしれないが）をした人々はオールを片付けている。「墓碑のごと」という比喩がなんとも不気味である。立てかけられたオールが、墓碑と形が似ていたからそう形容したのではないだろう。立てかけられたオールに、墓碑に表象されるような類似の要素を感じ取ったのである。目の前にある光景が、墓場の風景に見えた。一日の終わりが世の終わりに繋がるような錯覚がそこにあった。初句の「軋みつつ」はオールのことかもしれないが、人々が軋んでいるようでもあろう。眼前の光景は冒頭から軋んでいるのである。「この夕暮れ」の「この」の限定もうまく、たちあが映像は半ば幻想であるのにリアルだ。そして、「墓碑のごと」は、オールを片づける人々をすこし離れた所から視ている主体の、その光景の解釈である。作中主体が眼前の風景を認識し、解釈し、自問するという行為が「墓碑のごと」という語の斡旋のうちにあると思う。 </p>
<p>　急いで付け加えると、そういう主体の認識や解釈や自問が常に揺れているのがこの歌集の魅力であると思う。</p>
<p> </p>
<p>七曜の七曜までをわれといふ仮面のなかで踊れ俳優</p>
<p>とりあへずけふは眠らむ湖をまもるパートタイムの神を夢みつつ</p>
<p> あるかなき守護霊などに背を押され踵より浮く朝出の散歩</p>
<p> </p>
<p>　「われという仮面のなかで踊れ俳優」は自嘲であろう。七曜のすべてを仮面の下で俳優として主体は過ごすのである。自意識や主体性は「仮面の下」にあるものだというのは鋭い自己認識だが、その認識の内容は、たちまち靭い自己認識をもっているはずの主体の足元をさらって行く。「パートタイムの神」は、かりそめの神である。これは言葉そのものが形容矛盾であるが、その矛盾のなかで主体は宙吊りにされるのである。大雑把な把握を許してもらうと、この辺りの主体性の揺れには、遅れてきたポストモダンという風情が漂うようでもある。</p>
<p> </p>
<p> 柔らかき午後の湖面の影となり婆裟羅なるべしその黒揚羽</p>
<p> 眠い眠い　沼は静かにみづかねをかたむけてなほ揺れたるみどり</p>
<p> 壁はしかし垂直に立つよろこびに惑わすごとく午後を降る雨</p>
<p> 散る紅葉語彙の林にわけいりて＜ら抜き言葉＞の時雨てゆくか</p>
<p> ふるき歌うたはずと思ふ今生に総ルビを降るごとく花降る</p>
<p> </p>
<p>　「＜ら抜き言葉＞の時雨てゆくか」「総ルビを降るごとく花降る」いずれもアイロニーの中に、作者なりの先行文学先品や美意識へのこだわりがある歌だろう。何となくロマンティックで甘美でさえある。</p>
<p> 　他に、ふと作者の素顔が見える次のような歌も印象に残った。</p>
<p> </p>
<p>髭はおとせといひたき風情教壇にはかなきかなや靴中の小石</p>
<p> 半日の喪服を解きて妻はいま夕餐の蓮根を煮るひと</p>
<p> 猫を抱き七時のニューズ視てゐしが夕餐の鯵かれは嘔吐す</p>
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		<title>春の大気かぶりを振ってまぜかへすレトリーバーの毛脚ふかぶか</title>
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		<pubDate>Wed, 09 May 2012 12:41:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>石川 美南</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[松本典子『ひといろに染まれ』（2010）
 
「レトリーバー」と名の付く犬種は幾つかあるが、「毛脚ふかぶか」という言葉から連想するのは、金色の長い毛に覆われたゴールデン・レトリーバー。穏やかで賢く、人によく懐く大型犬であ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p align="right">松本典子『ひといろに染まれ』（2010）</p>
<p> </p>
<p>「レトリーバー」と名の付く犬種は幾つかあるが、「毛脚ふかぶか」という言葉から連想するのは、金色の長い毛に覆われたゴールデン・レトリーバー。穏やかで賢く、人によく懐く大型犬である。大きな犬がゆっくりと頭を振ると、春の温かな大気も一緒に撹拌される。</p>
<p>同じ犬の仲間でも、たとえばチワワのような小さな犬がちょこまかと動くのでは穏やかな空気感は表せないし、ドーベルマンではシャープすぎる。その点、レトリーバーの体躯や性格は、「春の大気」にぴったりだ。さりげないようだけれど、犬の様子と季節感とを的確に捉えた美しい歌だと思う。</p>
<p> </p>
<p>『ひといろに染まれ』は松本典子の第二歌集。カバーには刷毛で塗ったような鮮やかな水色があしらわれており、見返し部分も栞も水色。まさに「ひといろに染ま」っていくようだ。しかし、歌集に収められているのはむしろ、一色では染め上げることのできない日々の揺らぎを掬い取った歌ばかり。出産した妹と子供のないわれ、老いてゆく母など、変わっていく家族の姿を繊細な眼差しで見つめた歌も目立つ。</p>
<p> </p>
<p>　　ランナーの歓喜にとほく蜘蛛の糸繊（ほそ）きを切つてしまひたる胸</p>
<p>　　われよりもわが瑕（きず）つぶさに記憶してビル・エヴァンスが針飛びをする</p>
<p>　　進軍する父はゐないか驟雨、否、黒き縦線はしるフイルム</p>
<p>　　ひまはりが大地をはなす冬はきて戦死者の遺骨あつめが続く</p>
<p> </p>
<p>うっかり蜘蛛の巣にひっかかってしまった時や、柔らかなジャズ・ピアノが音飛びした瞬間、「われ」の心の瑕をほんの少し意識する。そういう繊細な視点の一方で、かつて戦地に赴いていた父を介して戦争の悲劇に思いを馳せるというような、広い視点に立った歌も印象的だ。</p>
<p> </p>
<p>　　ひといろに染まれと迫る街をいま振り切って風に飛ばすルイガノ</p>
<p> </p>
<p>青い青い空。急かすように迫ってくる街並み。悩み多き日々の生活。みんなみんな振り切って、自転車はしばらくの間、まっすぐに駆ける。</p>
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		<item>
		<title>掌のとどくはるかな位置に黒曜の髪の澄みつつ少年のあり</title>
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		<pubDate>Tue, 08 May 2012 15:24:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>棚木 恒寿</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　大塚寅彦『刺青天使』（１９８５年）
 
　「掌のとどく」と「はるかな位置に」はむろん矛盾しない。手の届くような、しかしながら遠く遥かとも思える場所にかがやく黒髪の少年がいる。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　大塚寅彦『刺青天使』（１９８５年）</p>
<p> </p>
<p>　「掌のとどく」と「はるかな位置に」はむろん矛盾しない。手の届くような、しかしながら遠く遥かとも思える場所にかがやく黒髪の少年がいる。すぐそばにいるのだが、自分とは遠く隔たったようにも感じられる、存在とでもいえようか。そして、少年は他者でありつつ、「私」の投影ではないだろうか。彼は昨日の自分、あるいは明日の自分である。近いようで遠い。そんな自己意識の揺れとナルシズムが「掌のとどくはるかな位置に」という独特の距離感のうちに析出されていると思う。永遠の青春歌であり、現在でもその輝きを失うことはない作品である。</p>
<p> </p>
<p>　大塚寅彦は一九八二年九月に「刺青天使」三〇首にて短歌研究新人賞を受賞し、歌壇にデビューしている。当時二一歳。世代のトップバッターとしての出発であった。</p>
<p> </p>
<p>同性のまかがやく頬をもつきみを羨しむゆゑにみつめ初めしを</p>
<p>放蕩のつのぐむ季のみず済（わた）り惰天使とぞ血のかよへる天使</p>
<p>真夏へのエチュード　駆くる少年の花車（きゃしゃ）な楽器のごとき自転車</p>
<p> </p>
<p>　受賞作からの引用である。同性である少年を題材にしており、同性愛的なテーマの歌と思われるが、不思議とナマな感じがしない。一首目、同性の少年の頬に見入ったということに対して「羨しむゆゑにみつめ初めしを」というように、因果や理由を付けている。もちろんこの「ゆゑに」あたりの躊躇やひと呼吸おく感じは巧いと思うが、少年を思う気持ちがやや間接化されたり、計量されたりしているように思う。三首目、「少年の花車（きゃしゃ）な楽器のごとき自転車」も、一瞬少年の体が花車な楽器のように思われるが、結句まで読んでゆくと、花車なのは自転車なのである。そういうテクニックは、群を抜いているが、それゆえにどこか間接的でもある。むろんそれは作品のマイナスではなくて、計量された美学とでも言ってよいであろう。</p>
<p> </p>
<p>  手元に受賞当時の「短歌研究」があるので、選考委員だった島田修二の言葉をすこし引用してみよう。</p>
<p> </p>
<p>青春そのものというような意見には同感ですけど、何かもうひとつイメージがはっきりしないですね。少年愛とかナルシシズムのような領域についても、私は必ずしも否定的立場にはないつもりですけれど、そうしたものの反社会性ということを含めて、もうひとつ存在理由に乏しいんです。　　　　　　</p>
<p>　「短歌研究」一九八二・九</p>
<p> </p>
<p align="left">　おそらく、島田の頭には大塚の師でもある春日井建の作品世界との比較があったのではないだろうか。</p>
<p>　</p>
<p>われよりも熱き血の子は許しがたく少年院を妬みて見をり</p>
<p>だれか巨木に彫りし全裸の青年を巻きしめて蔦の蔓は伸びたり</p>
<p>肋のなか潮騒は日日昂まれりしろき泡沫の愛育ちきて</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　『未青年』春日井建</p>
<p> </p>
<p>　同性愛的題材を詠んだからといって、大塚の歌にはもはや反社会性などは現れて来ない。前衛短歌から離れて八〇年代が始まりつつあった、そんなことを二人の作品の差から感じたりするのである。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>「ロバの耳」がたくさん落ちている穴へ私も落とす夕べの耳を</title>
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		<pubDate>Mon, 07 May 2012 06:59:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>石川 美南</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[細溝洋子『コントラバス』（2008）
 
有名な「王様の耳はロバの耳」を元にした歌。ギリシア神話では、王の耳がロバの耳であることを知ってしまった理髪師が、秘密を胸にしまっておくことができず、地面に穴を掘って「王様の耳はロ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p align="right">細溝洋子『コントラバス』（2008）</p>
<p> </p>
<p>有名な「王様の耳はロバの耳」を元にした歌。ギリシア神話では、王の耳がロバの耳であることを知ってしまった理髪師が、秘密を胸にしまっておくことができず、地面に穴を掘って「王様の耳はロバの耳」とささやく。ところが、その穴から葦が生えてきて、「王様の耳はロバの耳」と鳴り出したので、秘密が多くの人に知れ渡ってしまう。</p>
<p>誰にも言えない秘密を皆が落としにくる、暗い穴。そこに、「私」もこっそり何かを言いにきた。語り手が抱えていた秘密の内容が気になるところではあるが、「秘密」を落としにくるのではなく「夕べの耳を」落とすと言っているところに軽いひねりがあり、歌の印象をユーモラスなものにしている。</p>
<p>　　</p>
<p>　　出どころの確かな噂あちこちに花を咲かせてここまでを来つ</p>
<p> </p>
<p>こちらも「噂」の広まる歌だが、やはり、陰湿な陰口のイメージはない。桜の開花宣言のように列島を順々に横断してやってくる噂話は、むしろ賑やかで楽しげだ。</p>
<p> </p>
<p>　　「空気が読めない」と今なら思うその人を夏から夏までわれは見ていき</p>
<p>　　人の話が右から左へ抜けるのか私が人を抜けてゆくのか</p>
<p>　　聞き覚えある声風の交差点思うことと話すことがばらばら </p>
<p>　　乗り換えの小さな駅に降りたてる回想と空想のよく似た姉妹</p>
<p> </p>
<p>こうして好きな歌を並べてみると、歌の語り手が全体的に「上の空」であることに気づく。会話の流れからはみ出してしまう人（今なら「空気が読めない」と評されがちなタイプ）が気になって、一年間も何となく観察し続けてしまったり、人の話を颯爽と聞き流したり、風の行き交う場所であっちにもこっちにも意識を向けているうちに、いつのまにか口にしている内容とは全く別のことを考えていたり。</p>
<p>もしかすると背景には、他者とうまくコミュニケーションが取れないという屈託があるのかもしれないが、少なくとも歌の上では、ディスコミュニケーションをくよくよと気に病むでもなく、飄々と過ごしているような空気が流れている。ちょっととぼけていながら明晰な語り口が、私にはとても心地良い。</p>
]]></content:encoded>
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