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	<title>一首鑑賞</title>
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	<description>日々のクオリア</description>
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		<title>「はえぬき」の炊きたてを食む単純な喜びはいつも私を救う</title>
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		<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 00:00:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>大松 達知</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[三枝昻之『上弦下弦』（２０１０）
 
　あるテレビ番組で、死ぬ前に最後に食べたいものは何か、という質問を若手俳優たちにしていた。よくある質問である。
　寿司やハンバーグやカップラーメンなどの解答の中で、一人が「白米ですね [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">三枝昻之『上弦下弦』（２０１０）</p>
<p> </p>
<p>　あるテレビ番組で、死ぬ前に最後に食べたいものは何か、という質問を若手俳優たちにしていた。よくある質問である。</p>
<p>　寿司やハンバーグやカップラーメンなどの解答の中で、一人が「白米ですね。」と言って笑いを誘っていた。</p>
<p>　しかし、もし、正解があるならば、それが正解ではないか。</p>
<p> </p>
<p>　われわれ日本人にとって、白米という存在は神のようなものである。いくら食生活が多様化したと言っても、おいしく炊きあがった白米をほおばることほどの食の喜びはない。</p>
<p>　それを自ら「単純な喜び」と把握し、それが「私を救う」と客観的に見ている。しかし、いくら客観的に見せかけても、そこからこぼれ出る喜びのリズムがこの一首からは伝わってくるようだ。</p>
<p>　あれこれとややこしい現代でありながら、いやややこしければややこしいほど、こうしてただ炊きたての白米を食べる喜びが際立つ。</p>
<p>　「はえぬき」の特長を知らなくてもブランド米のひとつだとわかればいい。コシヒカリやササニシキなどの超ブランド米でないところも、作者のこだわりが見えておもしろい。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>平原にぽつんぽつんとあることの泣きたいような男の乳首</title>
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		<pubDate>Tue, 07 Sep 2010 22:00:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中津 昌子</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[渡辺松男『寒気氾濫』（１９９７年）
 
 
 
「平原」、胸なのだろうが、遠くまでひろがる原っぱが頭に浮かぶ。そこに、二つの小さな突起としてある乳首。
そういえば、男の人の乳首って、赤ん坊におっぱいをやるわけでもなく、何 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">渡辺松男『寒気氾濫』（１９９７年）</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>「平原」、胸なのだろうが、遠くまでひろがる原っぱが頭に浮かぶ。そこに、二つの小さな突起としてある乳首。</p>
<p>そういえば、男の人の乳首って、赤ん坊におっぱいをやるわけでもなく、何のためにあるのだろう。在ることの意味がうすい。</p>
<p>だだっぴろいところに、あってもなくてもいいようなものがある。その存在のたよりなさを、外側から描写しているのだが、「泣きたいような」で、読む者はこの「乳首」の気持ちに同化する。「乳首」になって、その泣きたい気持ちを実感する。</p>
<p> </p>
<p>思えば男も女も、「生」というところにある日突然放り出されて、なんと不安であることだろう。表面“大人”として生活を送っていても、みんな底ではいつも「泣きたい」を抱えて生きているのだと思う。</p>
<p> </p>
<p>現代の日本では、泣くこと、特に男が泣くことは歓迎されないが、「泣きたい」と言い放ってくれていることが、読む者の気持ちの束縛を解く。</p>
<p>実のところ、「泣く」を使って、読者を深く共感させ、気持ちを解き放つのは、相当にむずかしい。だが、この歌の「泣きたい」には気持ちがしっかりと添う。</p>
<p> </p>
<p>「ぽつんぽつん」は、たよりなさを表しているが、ひらがなの感じや音感にかわいらしさがあって、なにがしかのユーモアを漂わせるところがあり、それが歌に深みを与えてもいる。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>初めより命と云へる悩ましきものを持たざる霧の消えゆく</title>
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		<pubDate>Tue, 07 Sep 2010 00:00:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>大松 達知</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[与謝野晶子『白桜集』（１９４２）
 
　晶子の最終歌集となった『白桜集』には、夫・鉄幹への挽歌が多い。夫の死を通じて、命というものを改めて問うた歌集である。
　霧にさえ命を感じて、命を持ってしまったものの苦悩を言う。
　 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">与謝野晶子『白桜集』（１９４２）</p>
<p style="text-align: right;"> </p>
<p style="text-align: left;">　晶子の最終歌集となった『白桜集』には、夫・鉄幹への挽歌が多い。夫の死を通じて、命というものを改めて問うた歌集である。</p>
<p style="text-align: left;">　霧にさえ命を感じて、命を持ってしまったものの苦悩を言う。</p>
<p style="text-align: left;">　霧を対象にするところがだいぶ飛躍のある発想だ。命は悩ましいものであり、最初からその命を持たず、いつの間にか生まれていつのまにか消えてゆく存在への羨望ともいえるほどの狂おしい認識。</p>
<p style="text-align: left;">　もちろん、それは一般的には肉体を持ち、命を持ってしまった人間に対しての物言いと考えられる。だが、この一首からは、他の人間や動物を含めて考えるほどの余裕はなく、ただ、鉄幹と自分だけが命を持つ者の代表として、「霧」に向き合っているような印象がある。</p>
<p style="text-align: left;"> </p>
<p style="text-align: left;">　『近代短歌の鑑賞』（小高賢編・新書館）で、日高堯子は、『白桜集』について、</p>
<blockquote>
<p style="text-align: left;">虚飾のない述志の歌でありながら、その孤独の表情にはやはり晶子独特の艶がある。また、自然が多く詠まれ、自然の相を通して生と死、この世とかの世の言問いがなされていることも特徴である。</p>
</blockquote>
<p style="text-align: left;">と述べている。</p>
<p style="text-align: left;">　もちろん、近代短歌の文体の規律正しさに説得される部分もある。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>話すほどねぢ曲がつてゆくさきゆきのあきらかなれど受話器を置けず</title>
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		<pubDate>Sun, 05 Sep 2010 23:45:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中津 昌子</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[久我田鶴子『雨の葛籠』（２００２年）
 
 
こういうことって確かにある。
どうも相手の受け取り方が、こちらの意図したことと違う気がする。そのあたりを修正しようとことばを重ねる。すると、もっと変になっていって、続ければ続 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">久我田鶴子『雨の葛籠』（２００２年）</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>こういうことって確かにある。</p>
<p>どうも相手の受け取り方が、こちらの意図したことと違う気がする。そのあたりを修正しようとことばを重ねる。すると、もっと変になっていって、続ければ続けるほどさらに変になるだろうことはわかっているのだが、話が切り上げられない。</p>
<p>日常での、電話の会話の上でのことなのだが、ここにはことばのはらむ本質的なものも含まれているだろう。</p>
<p> </p>
<p>一首の中ほどあたり、ひらがなの羅列のなかに、「ゆく」「ゆき」が続き、いかにも曲がりくねった道をすすんでいく感がある。そしてここのところ、たるみ過ぎないよう、うまい具合にカ行音が細かくはさまれている。</p>
<p>四句までをそのようにして、とろとろと続けた末に、「なれど」と逆接で受け、最後は否定形で切る。このあたりは、とろとろ感にコントラストをつけるべく、歯切れよくうたわれる。<br />
こうした技術が歌のおもしろさを支えているのはいうまでもない。</p>
<p> </p>
<p>歯医者での場面をうたった、次のような歌もある。</p>
<p>・手荒なることなどしたくなきものをかく言ひ言ひて手荒に踏み切る</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>ぺらぺらと業界用語で喋りだすぼくなんだけど誰だこいつは</title>
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		<pubDate>Sat, 04 Sep 2010 00:00:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>大松 達知</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[荻原裕幸『永遠青天症』（２００１）
 
　（『永遠青天症』は未完歌集として、全歌集にあたる『デジタル・ビスケット』に収録されている。）
　業界用語は、どの「業界」にもあるはずだ。
　しかし、イメージとして、「業界」（ギョ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">荻原裕幸『永遠青天症』（２００１）</p>
<p> </p>
<p>　（『永遠青天症』は未完歌集として、全歌集にあたる『デジタル・ビスケット』に収録されている。）</p>
<p>　業界用語は、どの「業界」にもあるはずだ。</p>
<p>　しかし、イメージとして、「業界」（ギョーカイとも書けばなおさら）は、放送業界、広告業界、マスコミ業界を指す。</p>
<p>　自由で派手な印象があって、人々の憧れと羨望を引き受けている業種かもしれない。それは、「業界人」が軽佻浮薄を気取るという自己演出もあって、他の業種にはない華やかな雰囲気を感じさせるようだ。</p>
<p> </p>
<p>　この作者も、例えばタクシーをシータクと言ってみたり、六本木をギロッポンと呼んでみたりするような、「ぺらぺら」と形容するしかない軽い言葉づかいをしているという自覚がある。</p>
<p>　ひとりの人間の変容、といえば言うべきか、「業界」で時間をすごしているうちに「業界」にからめとられてしまった自分がいる。しかし、そういう自分がまとうものを脱ぎ去ったところに本当の自分がいるのではないか、という客観視も生まれる。</p>
<p>　「本当の自分」と「今の自分」の間のアイデンティティーの溝を覗き込んでしまったような怖さがある。</p>
<p>　それを、この歌のように軽く提示してしまうところに、さらに「業界」に浸かってしまった人の入れ子構造のような悲しみもあるはずだ。</p>
<p>　</p>
<p>　</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>のんきさうに雲が通ると見てをればほとほとのんきな人とぞいはる</title>
		<link>http://www.sunagoya.com/tanka/?p=3165</link>
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		<pubDate>Thu, 02 Sep 2010 21:55:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中津 昌子</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[池田はるみ『南無　晩ごはん』（２０１０年）
 
 
 
なんだか、のんびり雲が通っていくなあ、そう思って眺めていたら、その当人が、呑気な人と言われてしまった。「ほとほと」までつけて。
言われた本人は、ちょっと心外だったろ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">池田はるみ『南無　晩ごはん』（２０１０年）</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>なんだか、のんびり雲が通っていくなあ、そう思って眺めていたら、その当人が、呑気な人と言われてしまった。「ほとほと」までつけて。</p>
<p>言われた本人は、ちょっと心外だったろう。<br />
わたしじゃなく、雲がのんきなのよ、と言いたかったかもしれない。</p>
<p>でもやっぱり、そんな風に雲を見ていられるのは、心がのんびりしているのである。</p>
<p> </p>
<p>読者をおもしろがらせて、自然に豊かな気分へ運びながら、この歌、なかなか巧緻にできている。</p>
<p>雲をみている人間と、さらにそれを見ている人間とがいて、視線が二重になっている。だから歌に奥ゆきが出る。</p>
<p>また、上句のノーテンキな感じから、下句の声をかけた側の人の、現実的な感じへの転換によって、〈わたし〉の驚きが際立つのだが、ここでの声調の働きも大きい。</p>
<p>「さうに」と音をのばし、「をれば」で以降へつなげる上句のなだらかさ。下句が始まるや「ほとほと」と細かく音を刻み、「とぞ」でアクセントをつけ、「いはる」とはっきり切る。</p>
<p>コントラストが鮮明だ。</p>
<p> </p>
<p>「ほとほと」ということばも、そこに嘆きやら、心底あきれた様子がこもっていて、一首のおもしろさによく貢献している。</p>
<p> </p>
<p>ちょっとばかり間が抜けているけれど、こんな風にゆったり生きたいですね。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>ああなにかとぐろを巻けるかなしみが夜の故宮にしづんでゐたり</title>
		<link>http://www.sunagoya.com/tanka/?p=3177</link>
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		<pubDate>Thu, 02 Sep 2010 00:00:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>大松 達知</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[日高堯子『樹雨』（２００３）
 
　旅行詠、とくに海外詠は難しいと言われる。
　対象にたいする作者と読者の知識の差が大きすぎると作者のひとりよがりになりがちだ。
　しかし、有名な観光地ならば日本の読者とも共通の理解基盤の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">日高堯子『樹雨』（２００３）</p>
<p> </p>
<p>　旅行詠、とくに海外詠は難しいと言われる。</p>
<p>　対象にたいする作者と読者の知識の差が大きすぎると作者のひとりよがりになりがちだ。</p>
<p>　しかし、有名な観光地ならば日本の読者とも共通の理解基盤のようなものはある。細かい映像は要求せず、イメージだけの観光地の方がわかりやすいのかもしれない。</p>
<p>　もちろん、ただの観光地詠でなく、普遍性を獲得する方向にゆかなければならない。</p>
<p>　その点、馬場あき子は旅行詠の名手であるし、日高堯子も名手である。</p>
<p>　</p>
<p>　この歌、「故宮」は一般名詞でありながら、北京の故宮を指すことは明らか。一首だけで独立しているのだ。</p>
<p>　訪れたことがなくても、何度かはテレビの映像やパンフレットで見たことがあろう。映画「ラストエンペラー」もあった。</p>
<p>　そのぼんやりとしたイメージさえあれば、あとは想像力の勝負。</p>
<p>　異民族として中国を支配した王朝の居城、宦官による行政機構も、悲しみの源だろう。</p>
<p>　城壁で囲まれた姿に、蛇がとぐろを巻く姿を重ねるのは難しくない。</p>
<p>　単純でありながら、長い歴史の中の怨念のようなものがじんわりと滲み出てくるのをかんじないだろうか。</p>
<p>　</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>一袋の苗を抱へて過ぐるときいつせいに木々の視線は降り来</title>
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		<pubDate>Tue, 31 Aug 2010 21:53:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中津 昌子</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[大口玲子『海量』（１９９８年）
 
 
袋に入った苗を抱いて、木々の間を進む。
この歌のある一連から、苗を植えるのであろうと思われる。
下句の感受が独特だ。
木々に視線というものを感じて、それが一度に注がれるという。
木 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">大口玲子『海量』（１９９８年）</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>袋に入った苗を抱いて、木々の間を進む。<br />
この歌のある一連から、苗を植えるのであろうと思われる。</p>
<p>下句の感受が独特だ。<br />
木々に視線というものを感じて、それが一度に注がれるという。<br />
木々たちは、どういうまなざしを送ってくるのか。</p>
<p>え、何、その赤ん坊をどうするの？　という注視か。<br />
それとも、植えてもらえることは木の方もわかっていて、大事に植えてやってよ、という、すでにあたたかさを含んだ感じなのか。<br />
あるいは、もっと〈わたし〉という人物そのものへ向けられる視線なのか。</p>
<p>一首を読み終えたとき、その「視線」の性質が必ずしもあきらかでないままに、寄せられる木の強い関心だけが後をひく。</p>
<p> </p>
<p>・ベルトより鋸鉈（のこなた）を下げてゐる我は間伐すべき木に選ばれむ<br />
・降りてくる一葉すなはち一語にて森の苦しき匂ひを嗅げり</p>
<p> </p>
<p>木の側の大きさに包まれるようにして、さて、どの木を選ぶべきかという、一つの力みを解こうとする一首目、次の「森の苦しき匂ひ」は、人の苦しさでもあるはず。</p>
<p> </p>
<p>これらの歌の、木々との関係のさぐり方に、変な無理をすることなく、やわらかく深さへ向かう心を感じる。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>覗（のぞ）いてゐると掌（て）はだんだんに大きくなり魔もののやうに顔襲（おそ）ひくる</title>
		<link>http://www.sunagoya.com/tanka/?p=3172</link>
		<comments>http://www.sunagoya.com/tanka/?p=3172#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 31 Aug 2010 00:00:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>大松 達知</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[前川佐美雄『植物祭』（１９３０）
 
　数ある佐美雄の不可思議短歌のひとつ。
 　両手か片手か。
　私は、片手の方が怖い感じがする。両手であれば、三者になって焦点がぼやける。それに、手同士が牽制して攻撃を緩めてしまう気も [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">前川佐美雄『植物祭』（１９３０）</p>
<p> </p>
<p>　数ある佐美雄の不可思議短歌のひとつ。</p>
<p> 　両手か片手か。</p>
<p>　私は、片手の方が怖い感じがする。両手であれば、三者になって焦点がぼやける。それに、手同士が牽制して攻撃を緩めてしまう気もする。</p>
<p>　片手であると、単独で暴走してくるイメージが強いのではないか。それも、利き手である方が親しみのある分だけ怖い。</p>
<p>　ある物に目の焦点を合わせていると、それが膨張してくるような不思議な錯覚にとらわれることはある。少なくとも理解はできるはずだ。</p>
<p>　それは自分の肉体の一部であっても起こるというのが怖いのだ。</p>
<p>　リズムを確認すると、７７６７７である。この初句の抑えられない音感が、手の平が膨らんでくるイメージを呼び起こす。</p>
<p>　散文調であるところが、詩の世界だけの虚構でなく、日常生活に地つづきなのだというイメージも担保するようだ。口語調のストレートさのなせる業である。</p>
<p>　試しに、１分間くらい、利き手の手の平を見つめて見たらどうなるか。怖がりな方はおやめください。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>パブロ・ピカソさんらんとして地に死ぬをありあけの馬は見て忘れけむ</title>
		<link>http://www.sunagoya.com/tanka/?p=3136</link>
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		<pubDate>Sun, 29 Aug 2010 21:51:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中津 昌子</dc:creator>
				<category><![CDATA[今日の一首鑑賞]]></category>

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		<description><![CDATA[坂井修一『群青層』（１９９２年）
 
 
この歌の大きさが好きだ。
ピカソという、埒外に大きな芸術家の死が、まさに燦爛たる光を地に放射するような上句。
月がまだ残りながら夜が明ける頃、馬はその死を一瞥、そして忘れたであろ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">坂井修一『群青層』（１９９２年）</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>この歌の大きさが好きだ。</p>
<p>ピカソという、埒外に大きな芸術家の死が、まさに燦爛たる光を地に放射するような上句。</p>
<p>月がまだ残りながら夜が明ける頃、馬はその死を一瞥、そして忘れたであろう、という下句。</p>
<p> </p>
<p>どんなことであろうと忘れ去られていく、というような生ぬるい言い方では足りない、〈死〉をめぐる破格のスケールがある。</p>
<p>「ありあけ」の、淡いが複雑な光のありよう、その質が、うつくしく立ち顕れ、静寂の中に佇つ馬は、哲学的な暗喩のようにも見えつつ、馬でしかない。</p>
<p>何か作品と関係づけられているのかもしれない。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>下句初めの、「ありあけ」に二度あらわれる、アの明るい音は、このことばのイメージに加えて、〈死〉を超えて未来への思いをいざなうようでもある。</p>
<p>上句のきらめきながら奔ることばの勢いに続けてうたわれる、華麗、冷厳な〈死〉の姿と、その後も流れていく時間と。</p>
]]></content:encoded>
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