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	<title>月のコラム</title>
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	<description>山雨茫茫</description>
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		<title>人間のリアル</title>
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		<pubDate>Fri, 11 May 2012 07:08:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>なみの 亜子</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[今年の寺山修司短歌賞を受賞した田中拓也の歌集『雲鳥（くもとり）』には、カッコつけてないカッコよさがあった。田中は1971年生まれだから、年齢は40歳そこそこ。だが、その年代らしいライフスタイルやなまなましい俗世の臭いを感じさせるところがなく、かといって現実に背を向けて詩的イメージを紡ぐことに専念している、という感じでもない。朴訥というのとも違って、歌にはナイーブな澄んだ感覚も見つかる。同歌集の後記には、30代半ばから豊かな自然に囲まれた一軒家に住むようになったこと、家庭菜園を始めてからは季節の変化を身近に感じ、そこを訪れるさまざまな生き物によって多くの「命」に囲まれているのを感じるようになった、と記されている。土くさい、というまみれ方ではない。しかし、根っこを大切にしている腰の低さがある。
 
　　蝸牛眠る木立の暗がりに時は静かに溜まりいるらし
　　車窓より霞ヶ浦の蓮田見え風車見え駅舎見え我が見えたり
　　雲間より朝の光は広がりぬ　麦の膨らむ野辺を照らして
　　たくひれのシロツメクサの茎を苅る朝の露に指を濡らして
　　樫の実の一人と一人　谷間より谷間の風が吹き上がりたり
　　
　初めから多くを言おうとしないで、一首で伝えたい一つのことをまっすぐに述べる。そのような歌の手渡し方をするのに言葉の量がちょうどいい。歌のなかに、言葉が言葉として受け渡しされるのに充分な時間がある。そんなちゃんとした時間が、そこに描かれたものたちのその時の気配や息づかいをも立ち上げるのである。写実というより叙述の力によって伝わる歌の、その伝わり方の素直さが心地よいのだ。田中のまっすぐな叙述の力は、同歌集出版間際に急遽加えられたという震災詠にもよく働いている。
 
　　「机の下に頭隠せ」と叫びおり笑う生徒を叱り飛ばして
　　「上履きでいいんですか」と問いかける生徒と非常階段に出る
　　妹を引き取りに来し卒業生より津波発生の報せ聞きたり
　　教員で肩を寄せ合い語り合う臨界事故のあの日のことを
　　七十二名の命がじんと冷えてゆく体育館の暗闇の中
　
　茨城県の中学で教諭をしている田中が遭遇した東日本大震災。授業中だったという。一首目、二首目の、生徒のとっさの反応。三首目、避難所に「妹」を「引き取りに」来る「卒業生」、その近さにある学校と地域、そこに知らされる津波のこと。四首目、引き寄せられる臨界事故の記憶。放射能に関わる事故の、不可視な感知不能なことの恐怖感。五首目、寒く暗い避難所のなかに72名が横たわる。しんしんと冷えた夜の空気。田中の震災詠は事態を的確に伝えながら、その場の空気や人の表情にまで読み手の思いを到らせる。叙述力のなせるわざであろう。そんな脚色を避けたまっすぐな叙述が、思いがけない事態に直面した際の人間のリアルを淡々と描き出していく。人間のリアルとかけ離れていない、ということが災害を詠むにおいて一つ重要なことなのではないか。
 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊
 
　４月末に出た加藤治郎の第八歌集『しんきろう』にも、東日本大震災の歌が収録されている。東京勤務で遭遇したという震災について、「あとがき」には〈高層ビルの無防備さ、通信の遮断、交通麻痺、帰宅困難、停電、食料不足、放射能汚染など首都潰滅の危機を垣間見た。あまりに脆いのだ。〉と記している。
 
　　終わりなのか始まりなのか放埒な核の鼓動が俺に聞こえる
　　思想なき原発あまた立ち並ぶ水底（みなそこ）にいて見上げる水面（みなも）
　　
　震災詠の章のなかの「サイレンス」から引いた。この作品が発表された「短歌往来」で月評を担当していたため、私は初出で読んでいる。書いた評を再掲してみる。
　〈原発事故や停電・節電要請に見舞われた日々に、職場の同僚の鬱などが挟まれる。乾いた苦みや、しびれの感覚が独特な一連。ただ全体にどう評価したらいいのか、私にはわからなかった。例えば、引いた二首の、作者の立ち位置はどこにあるのだろうか。「放埒な核の鼓動」が聞こえる「俺」の何かスペシャルな感じ、「水底にいて」水面を見上げる人の、超越的な感じ。修辞の力が発語主体をぐーっと押し上げ、浮揚させているのだろうか。歌の言葉が地続きのものとして響いて来ず、シャワーのように降ってくる。私などは、このシビアな内容と響き方の違和になかなか馴染めないのだが、これがいい、という批評も訊いてみたいのだ。こうした歌をどう読むか、議論を誘発する作品でもある。
　ただ、同じ一連の、「赤と緑のランプあちこち点灯す　未来都市めいておやすみなさい」「深夜に部屋を抜け出すことさ　廃棄物集積場に燦めくボトル」のような歌には、既視感を覚える。加藤治郎による加藤治郎的既視感なのだが、歌う内容が本質的に異なるのに、表現や文体がおんなじ、と思ってしまうと歌の中身がこの一首限りのものとして入ってこない。インパクトやカラーの強い文体の宿命なのだろうか。〉
　改めて、2008年１月〜2012年１月にかけての歌をまとめたという同歌集を通して読んでみると、こうした一連の評価が私のなかでもう少し下がってくる気がする。
 
　　ジャムパンを割ればあふれる苺ジャムいきたかりけんいきたかりけん
　　弟というにはきみは年若くただ初夏の朝の笹百合
　　冬の夜は果てもなくただ加湿器の囁きのなか青年は逝く
　　くろぐろと革の手帳の書き込みは鋭くなりて電話を待てり
　　十年後って岬のようにぼんやりとねむりのなかに砂粒となる
 
　良いな、と付箋を貼った歌は例えばこういう歌。一〜三首めは笹井宏之を悼む歌で、四首目は職場の、五首目は就寝の歌だろうか。良質な抒情性をたたえた歌に笹井その人の残像が揺らぎ、その揺らぎようが悲しみをよそがせる。自身の身を歌に据えた歌には紛れない人間が居て、そこにたちこめてくるものがある。
　しかし、加藤のこうした歌から感じる確かな人間経由のものが、震災や原発の歌に見つからないことに困惑するのである。「石棺をつつむてのひらやさしくて原発作業員の行列」「地下駅のエスカレーターくろぐろと列はみゆ、みな驟雨を待てり」のような歌に「原発作業員」や「列」「みな」と詠まれていても、「やさしくて」とか「驟雨を待てり」とまとめられたそこに人間が感じられない。田中の歌とは逆に、カッコよくパッケージされた終末的世界にぽんぽんと人のフィギュアが置かれているように。災害の歌のただ中にあるいは遍在的に、人間がその声や呼吸や臭いを発して存在していないことが私にはしんどかったんやな、ということが、歌集として読み通したときにわかったことだった。
 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊
 
　人間がいま直面しているものは何か。震災詠や原発をめぐる議論が大きくなっている。「歌壇」３月号に載った佐藤通雅の「震災詠から見えてくるもの」に対し、そのなかで自身の鼎談での放射能に関する発言をとらえられた吉川宏志が、「歌壇」５月号に「他者の言葉を抑圧しないために」を書いて反論。また、角川「短歌」３月号の座談会「３・11以後、歌人は何を考えてきたか」で批判された詩人の和合亮一が、同「短歌」５月号に「そして災の喩に何を浮かべるか」とする反論を特別寄稿している。
　総合誌や結社誌の時評の類も、いま同じ方向を向いている。「歌壇」５月号の時評では、柳澤美晴が「試される死生観」と題して震災詠を論考。「未来」５月号の時評では、野口あや子が「三月雑感、言葉は最後まで個人的ですか」とのタイトルで、詩歌の言葉の在り方を考えている。佐藤と吉川のやりとり以外は、おおむね角川「短歌」３月号の座談会をもとにしたものであり（東日本大震災から１年を機にさまざまに組まれた特集の一つでもあった）、この時期はちょうどそれらへの反応が出るタイミングでもあろう。しかしながらこの量に加え、これらのうちのいくつかの文章に出てくる言葉、その調子の張りや強さにいささか緊張することもあった。例として引用させてもらう。
　〈疑似ドキュメンタリーの手法で震災や戦争を問い直すアプローチ自体を否定はしない。だが、返す刀で自らの死生観が問われ、試されることにもう少し慎重であってもいいのではないかと自戒を込めて思う。／柳澤美晴〉
　〈「言葉の人間」が個人的で脆弱な人間であればこそ、言葉の力強さ、詩歌のオフィシャル性ともいえる「誠実さ」を鍛えて行動することが大切だと私は考える。／野口あや子〉
　柳澤の時評では「倫理」「死生観」、野口の時評では「誠実さ」や「行動」に、ひっかかる。表現への問いであるべきところを飛び越えて、一人ひとりの実生活のスタンスやモラルを問い正されるように感じるのである。これはむしろ人間寄りになり過ぎていないか、そういうことを思ったりもする。立場の表明とか糾弾とか、責任とか倫理を競うとか、短歌はこれからそういう世界になっていくのかと思うと心が暗くなる。抑圧せず、人間のさまざまさを顕在させていくことで人間のリアルが見えてくる、そういう視界も失いたくないものだ。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今年の寺山修司短歌賞を受賞した田中拓也の歌集『雲鳥（くもとり）』には、カッコつけてないカッコよさがあった。田中は1971年生まれだから、年齢は40歳そこそこ。だが、その年代らしいライフスタイルやなまなましい俗世の臭いを感じさせるところがなく、かといって現実に背を向けて詩的イメージを紡ぐことに専念している、という感じでもない。朴訥というのとも違って、歌にはナイーブな澄んだ感覚も見つかる。同歌集の後記には、30代半ばから豊かな自然に囲まれた一軒家に住むようになったこと、家庭菜園を始めてからは季節の変化を身近に感じ、そこを訪れるさまざまな生き物によって多くの「命」に囲まれているのを感じるようになった、と記されている。土くさい、というまみれ方ではない。しかし、根っこを大切にしている腰の低さがある。</p>
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<p>　　蝸牛眠る木立の暗がりに時は静かに溜まりいるらし</p>
<p>　　車窓より霞ヶ浦の蓮田見え風車見え駅舎見え我が見えたり</p>
<p>　　雲間より朝の光は広がりぬ　麦の膨らむ野辺を照らして</p>
<p>　　たくひれのシロツメクサの茎を苅る朝の露に指を濡らして</p>
<p>　　樫の実の一人と一人　谷間より谷間の風が吹き上がりたり</p>
<p>　　</p>
<p>　初めから多くを言おうとしないで、一首で伝えたい一つのことをまっすぐに述べる。そのような歌の手渡し方をするのに言葉の量がちょうどいい。歌のなかに、言葉が言葉として受け渡しされるのに充分な時間がある。そんなちゃんとした時間が、そこに描かれたものたちのその時の気配や息づかいをも立ち上げるのである。写実というより叙述の力によって伝わる歌の、その伝わり方の素直さが心地よいのだ。田中のまっすぐな叙述の力は、同歌集出版間際に急遽加えられたという震災詠にもよく働いている。</p>
<p> </p>
<p>　　「机の下に頭隠せ」と叫びおり笑う生徒を叱り飛ばして</p>
<p>　　「上履きでいいんですか」と問いかける生徒と非常階段に出る</p>
<p>　　妹を引き取りに来し卒業生より津波発生の報せ聞きたり</p>
<p>　　教員で肩を寄せ合い語り合う臨界事故のあの日のことを</p>
<p>　　七十二名の命がじんと冷えてゆく体育館の暗闇の中</p>
<p>　</p>
<p>　茨城県の中学で教諭をしている田中が遭遇した東日本大震災。授業中だったという。一首目、二首目の、生徒のとっさの反応。三首目、避難所に「妹」を「引き取りに」来る「卒業生」、その近さにある学校と地域、そこに知らされる津波のこと。四首目、引き寄せられる臨界事故の記憶。放射能に関わる事故の、不可視な感知不能なことの恐怖感。五首目、寒く暗い避難所のなかに72名が横たわる。しんしんと冷えた夜の空気。田中の震災詠は事態を的確に伝えながら、その場の空気や人の表情にまで読み手の思いを到らせる。叙述力のなせるわざであろう。そんな脚色を避けたまっすぐな叙述が、思いがけない事態に直面した際の人間のリアルを淡々と描き出していく。人間のリアルとかけ離れていない、ということが災害を詠むにおいて一つ重要なことなのではないか。</p>
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<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊</p>
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<p>　４月末に出た加藤治郎の第八歌集『しんきろう』にも、東日本大震災の歌が収録されている。東京勤務で遭遇したという震災について、「あとがき」には〈高層ビルの無防備さ、通信の遮断、交通麻痺、帰宅困難、停電、食料不足、放射能汚染など首都潰滅の危機を垣間見た。あまりに脆いのだ。〉と記している。</p>
<p> </p>
<p>　　終わりなのか始まりなのか放埒な核の鼓動が俺に聞こえる</p>
<p>　　思想なき原発あまた立ち並ぶ水底（みなそこ）にいて見上げる水面（みなも）</p>
<p>　　</p>
<p>　震災詠の章のなかの「サイレンス」から引いた。この作品が発表された「短歌往来」で月評を担当していたため、私は初出で読んでいる。書いた評を再掲してみる。</p>
<p>　〈原発事故や停電・節電要請に見舞われた日々に、職場の同僚の鬱などが挟まれる。乾いた苦みや、しびれの感覚が独特な一連。ただ全体にどう評価したらいいのか、私にはわからなかった。例えば、引いた二首の、作者の立ち位置はどこにあるのだろうか。「放埒な核の鼓動」が聞こえる「俺」の何かスペシャルな感じ、「水底にいて」水面を見上げる人の、超越的な感じ。修辞の力が発語主体をぐーっと押し上げ、浮揚させているのだろうか。歌の言葉が地続きのものとして響いて来ず、シャワーのように降ってくる。私などは、このシビアな内容と響き方の違和になかなか馴染めないのだが、これがいい、という批評も訊いてみたいのだ。こうした歌をどう読むか、議論を誘発する作品でもある。</p>
<p>　ただ、同じ一連の、「赤と緑のランプあちこち点灯す　未来都市めいておやすみなさい」「深夜に部屋を抜け出すことさ　廃棄物集積場に燦めくボトル」のような歌には、既視感を覚える。加藤治郎による加藤治郎的既視感なのだが、歌う内容が本質的に異なるのに、表現や文体がおんなじ、と思ってしまうと歌の中身がこの一首限りのものとして入ってこない。インパクトやカラーの強い文体の宿命なのだろうか。〉</p>
<p>　改めて、2008年１月〜2012年１月にかけての歌をまとめたという同歌集を通して読んでみると、こうした一連の評価が私のなかでもう少し下がってくる気がする。</p>
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<p>　　ジャムパンを割ればあふれる苺ジャムいきたかりけんいきたかりけん</p>
<p>　　弟というにはきみは年若くただ初夏の朝の笹百合</p>
<p>　　冬の夜は果てもなくただ加湿器の囁きのなか青年は逝く</p>
<p>　　くろぐろと革の手帳の書き込みは鋭くなりて電話を待てり</p>
<p>　　十年後って岬のようにぼんやりとねむりのなかに砂粒となる</p>
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<p>　良いな、と付箋を貼った歌は例えばこういう歌。一〜三首めは笹井宏之を悼む歌で、四首目は職場の、五首目は就寝の歌だろうか。良質な抒情性をたたえた歌に笹井その人の残像が揺らぎ、その揺らぎようが悲しみをよそがせる。自身の身を歌に据えた歌には紛れない人間が居て、そこにたちこめてくるものがある。</p>
<p>　しかし、加藤のこうした歌から感じる確かな人間経由のものが、震災や原発の歌に見つからないことに困惑するのである。「石棺をつつむてのひらやさしくて原発作業員の行列」「地下駅のエスカレーターくろぐろと列はみゆ、みな驟雨を待てり」のような歌に「原発作業員」や「列」「みな」と詠まれていても、「やさしくて」とか「驟雨を待てり」とまとめられたそこに人間が感じられない。田中の歌とは逆に、カッコよくパッケージされた終末的世界にぽんぽんと人のフィギュアが置かれているように。災害の歌のただ中にあるいは遍在的に、人間がその声や呼吸や臭いを発して存在していないことが私にはしんどかったんやな、ということが、歌集として読み通したときにわかったことだった。</p>
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<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊</p>
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<p>　人間がいま直面しているものは何か。震災詠や原発をめぐる議論が大きくなっている。「歌壇」３月号に載った佐藤通雅の「震災詠から見えてくるもの」に対し、そのなかで自身の鼎談での放射能に関する発言をとらえられた吉川宏志が、「歌壇」５月号に「他者の言葉を抑圧しないために」を書いて反論。また、角川「短歌」３月号の座談会「３・11以後、歌人は何を考えてきたか」で批判された詩人の和合亮一が、同「短歌」５月号に「そして災の喩に何を浮かべるか」とする反論を特別寄稿している。</p>
<p>　総合誌や結社誌の時評の類も、いま同じ方向を向いている。「歌壇」５月号の時評では、柳澤美晴が「試される死生観」と題して震災詠を論考。「未来」５月号の時評では、野口あや子が「三月雑感、言葉は最後まで個人的ですか」とのタイトルで、詩歌の言葉の在り方を考えている。佐藤と吉川のやりとり以外は、おおむね角川「短歌」３月号の座談会をもとにしたものであり（東日本大震災から１年を機にさまざまに組まれた特集の一つでもあった）、この時期はちょうどそれらへの反応が出るタイミングでもあろう。しかしながらこの量に加え、これらのうちのいくつかの文章に出てくる言葉、その調子の張りや強さにいささか緊張することもあった。例として引用させてもらう。</p>
<p>　〈疑似ドキュメンタリーの手法で震災や戦争を問い直すアプローチ自体を否定はしない。だが、返す刀で自らの死生観が問われ、試されることにもう少し慎重であってもいいのではないかと自戒を込めて思う。／柳澤美晴〉</p>
<p>　〈「言葉の人間」が個人的で脆弱な人間であればこそ、言葉の力強さ、詩歌のオフィシャル性ともいえる「誠実さ」を鍛えて行動することが大切だと私は考える。／野口あや子〉</p>
<p>　柳澤の時評では「倫理」「死生観」、野口の時評では「誠実さ」や「行動」に、ひっかかる。表現への問いであるべきところを飛び越えて、一人ひとりの実生活のスタンスやモラルを問い正されるように感じるのである。これはむしろ人間寄りになり過ぎていないか、そういうことを思ったりもする。立場の表明とか糾弾とか、責任とか倫理を競うとか、短歌はこれからそういう世界になっていくのかと思うと心が暗くなる。抑圧せず、人間のさまざまさを顕在させていくことで人間のリアルが見えてくる、そういう視界も失いたくないものだ。</p>
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		<title>言葉の向こう</title>
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		<pubDate>Wed, 11 Apr 2012 07:32:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>なみの 亜子</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[ 　４月３日、第46回迢空賞が渡辺松男の歌集『蝶』に決まった。個人的には、心からふさわしいと思える受賞であったことが嬉しい。『蝶』は渡辺の第７歌集にあたり、２００４〜０６年の未発表歌３５６首を収めている。これらの作品について渡辺は、〈妻がまだ生きていた頃、私も自分がいずれ筋萎縮性側索硬化症と診断されることになるとは夢にも思っていなかった頃の作です〉とあとがきに綴っている。衝撃的な事実に息を吞むが、作品一首一首はそうした現実が放つ衝撃力とは別な、歌としての稀有な比類なき力に満ちている。
　この歌集については昨年12月に、田中濯が「詩客」HP上の短歌時評に「短歌と病」と題して論じている（2011年12月16日「短歌時評」第30回）。田中は逡巡しながらも、この時期ゆっくり進行していたと思われる渡辺のもう一つの病（統合失調症）に踏み込んだ上で、その病が体感させる「異界」を〈膨大な知的労力をもって、かの世界をこちらがわの言葉に翻訳し、なおかつポエジーを発散させる短歌のかたちで表現する天才〉と評価している。真摯な踏み込みがつかみ得た論考であろう。
　歌人の作歌志向にもよるが、おおむね短歌は作者その人の境涯を色濃く滲ませる。その場合、読み手はその境涯をふまえた上で、歌の言葉、表現につき従い読んでいく。病む人の歌であれば、病が表現上にどんな現れ方をしているのか、自らの感覚や身体をていねいに寄り添わせながら表現をたどる必要がある。それが、歌のなかに深く降りるための手続きであろう。時にきびしい体験や深刻な病は、読み手という他者にそうした歌への降下をためらわせる。一方で、その苦しみに作品評価とは別次元のシンパシーを抱くことによって、読みを止めてしまう。そうやって評価の埒外に置かれる歌は、少なくない。スルーしていいのか。田中の渾身の「読み」からはまた、そんな声も聞こえてくるのである。
　そうではあるのだが、私は実は『蝶』を初読した際、渡辺についてあとがきに書かれている以上のことを知らなかった。知らずに読んで深い感銘を受けていた。つまり、「統合失調症」という〈踏み台〉を置かずとも、渡辺の歌は私にとって〈ただ遠くで眺めていただけ、ただ「なんだか凄い」としか捉えられなかった〉わけではなかったことになる。私は、なぜ私にとってそうだったのか、その理由を知りたいと思って書いてみているのである。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　〈　〉内は、田中濯の短歌時評からの引用を示す
 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊
 
　『蝶』という歌集はまず、章の立て方が歌一首一首の自律性を非常によく高めているように思う。例えば「はと」の章には、以下の四首が並ぶ。
 
　　なるやうにしかならぬとはほんたうか啼く鳩を啼かざる鳩が見てをり
　　もうひとりあけがたの木に啼く鳩のほの白みたるあたりがわれか
　　とどかざるこゑみづからへもどりくるせつなさよ明けの山鳩のこゑ
　　山鳩のでいでいぽぽと啼くこゑのあけがたはみえぬ巡礼のゆく
 
　この四首が、「はと」という題詠的な作歌によってまとまってできたものなのか、ばらばらに作られていたものが歌集編集に際して寄せ集められたのか、そこはわからない。しかし、この歌集の他の章に並ぶ作品と合わせて何度も読んでいくうちに、この「鳩」は、ある日ある時の作者の、二度とはない一度きりの「時間」の同行者として詠まれているのではないか、と思われてくる。
　例えば、一首目の「なるやうにしかならぬとはほんたうか」には、なるようにしかならない、という世の理を受け入れられない自分との、痛苦に満ちた対話の時間が現れる。下句「啼く鳩を啼かざる鳩が見てをり」は、自分にいま見えている「鳩」に啼くものと啼かないものがいる、啼かないものは啼くものを見ているよ、と言っている。上と下とを照応させて何か言おうとしているのではない。作者の苦しい思考の時間のなかに鳩たちが降り立っていて、一羽一羽のあるべき振る舞いをしているのである。そこに時間がふくらんでくる。二首目、三首目、抽象的な思考が、一羽一羽、という具体につかまって溶解していく。存在や時間の境界を出入り自由になった「われ」と鳩とが啼き、木に行き、存在への根源的な問いや思いを受け渡しする。一首一首は、その受け渡しのありさまによって時間をおし広げふくらませながら、四首全体では、ひとときという時間に実に不思議なデフォルメが生まれている。この鳩との時間の、たゆたう波のような、或いは溜まりのような沼のような、しかしまるで祈りのようにも佇んでいた時間をこそ、渡辺はうたい取ろうとしているのではないか。私は、こうした歌に恩寵のようなものを感じて深くものを思うのである。
 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊
 
　　われごくり水のみしとき浅間山大きく虚空へ伸縮したり
　　さへづりの中あゆみつつどこまでもさへづりあれば吾はうごく虹
　　くも浮けばその雲あふぐわれにして胸のなか白く朴もひらきぬ
　　しづかなるごご目薬をさしをへてあたらしきしづけさに入りゆく
 
　もう一つ、渡辺の歌の越境性に着目したい。先に見た「鳩」とのように、作者が境界を越えてさまざまな存在と行き来する、ということもそうだが、加えて読み手が渡辺の歌によって越境させられる、そんな力の存在に驚く。上記の一首目。自分が水を飲み下す、そのときの身体の感覚を「浅間山」が表現してくれているかのごとき詠みぶりが面白い。そして「浅間山」がうぐっと水を飲む込む、その大きなガタイを伸縮させるさまがなぜかありありと思い描けてしまう。「ごくり」と「大きく虚空へ伸縮したり」が同一主体の動作のごとき重なり方をする不思議さ。二首目、鳥の「さへづり」に陶然となる心身のその表現のかたちが「虹」なのだ。陶然となって、自分の肉体だとか存在だとかどっかへ行ってしまって気分そのものになって、どこまでもどこまでも「さへづり」があれば歩くよ「うごく虹」だよ…。読むうちに、その「さへづり」のこの世のものでないような美しい聞こえと、それを歓び讃えようとする心そのものに存在を委ねていく人との、楽園のようなところにたどり着く。言葉に乗ってワープするごとく。また例えば、三首目の、あおぎたくなるような「雲」の下、四首目の「あたらしきしづけさ」への入り口。読み手の私がいつの間にかそこに居るかのような感覚になるのは、なぜなのだろう。
　渡辺の歌では文語旧かなが多く平仮名で綴られ、平たい言葉や人によってはやや幼いと思われるようなオノマトペ、そうした言葉のリフレインが多用される。一首のなかに置かれる言葉の数は少なく、それらが意味をかちっかちっと立てていくようには働かない。もともとが限られた言葉数によって言外のものを多く含む詩型が、渡辺の歌ではさらに一語一語の担うもの含むものを大きくしている。加えて、平仮名や単純でたいらかな言葉のゆっくりとした運ばれ方が、読み手をずっと先の思わぬところにまで連れ出してくれる。意味にではなく、言葉に運ばれて、言葉の向こうにある「さへづり」や「しづけさ」に包まれるのである。作歌にあたっては、「さへづり」や「しづけさ」といった、言葉で言い取って接してはこぼれ落ちるものをもつ対象に向けて、いかに存在をとき放ち言葉による言葉を越えた表現を紡げるか。そんなことを渡辺の歌からつくづく考えさせられるのである。
 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊
 
　歌集『蝶』の終盤には、癌を病んだ妻が歌われている。このあたりの歌には心がふさがってしまって、鼻の奥がつうんと痛くなる。
 
　　ねむるきみ緑陰つくる樹のやうにうごかぬはおほきなことをしてゐる
　　眠るきみ麦穂波ゆめみてはゐむわうごんのなかからだは走れ
 
　ひとときでも、穏やかな眠りが「きみ」にあったのだろうか。「緑陰つくる樹」「うごかぬはおほきなことをしてゐる」から、眠りの静けさ、安らかな空気が感じられ、それを祝福するごとき心で看ている人の息づかいが、ついそこに聞こえてくる。「わうごんのなかからだは走れ」。肉体を病み命を削られゆく人への、こんなに美しくはげしい祈りの言葉を私は知らない。
　言葉は届くのか。このところ、そんなことをしきりに思っていた私に、渡辺松男の『蝶』は深く静かに、人は言葉に届けられることもある、ということを教えてくれたのであった。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p> 　４月３日、第46回迢空賞が渡辺松男の歌集『蝶』に決まった。個人的には、心からふさわしいと思える受賞であったことが嬉しい。『蝶』は渡辺の第７歌集にあたり、２００４〜０６年の未発表歌３５６首を収めている。これらの作品について渡辺は、〈妻がまだ生きていた頃、私も自分がいずれ筋萎縮性側索硬化症と診断されることになるとは夢にも思っていなかった頃の作です〉とあとがきに綴っている。衝撃的な事実に息を吞むが、作品一首一首はそうした現実が放つ衝撃力とは別な、歌としての稀有な比類なき力に満ちている。</p>
<p>　この歌集については昨年12月に、田中濯が「詩客」HP上の短歌時評に「短歌と病」と題して論じている（2011年12月16日「短歌時評」第30回）。田中は逡巡しながらも、この時期ゆっくり進行していたと思われる渡辺のもう一つの病（統合失調症）に踏み込んだ上で、その病が体感させる「異界」を〈膨大な知的労力をもって、かの世界をこちらがわの言葉に翻訳し、なおかつポエジーを発散させる短歌のかたちで表現する天才〉と評価している。真摯な踏み込みがつかみ得た論考であろう。</p>
<p>　歌人の作歌志向にもよるが、おおむね短歌は作者その人の境涯を色濃く滲ませる。その場合、読み手はその境涯をふまえた上で、歌の言葉、表現につき従い読んでいく。病む人の歌であれば、病が表現上にどんな現れ方をしているのか、自らの感覚や身体をていねいに寄り添わせながら表現をたどる必要がある。それが、歌のなかに深く降りるための手続きであろう。時にきびしい体験や深刻な病は、読み手という他者にそうした歌への降下をためらわせる。一方で、その苦しみに作品評価とは別次元のシンパシーを抱くことによって、読みを止めてしまう。そうやって評価の埒外に置かれる歌は、少なくない。スルーしていいのか。田中の渾身の「読み」からはまた、そんな声も聞こえてくるのである。</p>
<p>　そうではあるのだが、私は実は『蝶』を初読した際、渡辺についてあとがきに書かれている以上のことを知らなかった。知らずに読んで深い感銘を受けていた。つまり、「統合失調症」という〈踏み台〉を置かずとも、渡辺の歌は私にとって〈ただ遠くで眺めていただけ、ただ「なんだか凄い」としか捉えられなかった〉わけではなかったことになる。私は、なぜ私にとってそうだったのか、その理由を知りたいと思って書いてみているのである。</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　〈　〉内は、田中濯の短歌時評からの引用を示す</p>
<p> </p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊</p>
<p> </p>
<p>　『蝶』という歌集はまず、章の立て方が歌一首一首の自律性を非常によく高めているように思う。例えば「はと」の章には、以下の四首が並ぶ。</p>
<p> </p>
<p>　　なるやうにしかならぬとはほんたうか啼く鳩を啼かざる鳩が見てをり</p>
<p>　　もうひとりあけがたの木に啼く鳩のほの白みたるあたりがわれか</p>
<p>　　とどかざるこゑみづからへもどりくるせつなさよ明けの山鳩のこゑ</p>
<p>　　山鳩のでいでいぽぽと啼くこゑのあけがたはみえぬ巡礼のゆく</p>
<p> </p>
<p>　この四首が、「はと」という題詠的な作歌によってまとまってできたものなのか、ばらばらに作られていたものが歌集編集に際して寄せ集められたのか、そこはわからない。しかし、この歌集の他の章に並ぶ作品と合わせて何度も読んでいくうちに、この「鳩」は、ある日ある時の作者の、二度とはない一度きりの「時間」の同行者として詠まれているのではないか、と思われてくる。</p>
<p>　例えば、一首目の「なるやうにしかならぬとはほんたうか」には、なるようにしかならない、という世の理を受け入れられない自分との、痛苦に満ちた対話の時間が現れる。下句「啼く鳩を啼かざる鳩が見てをり」は、自分にいま見えている「鳩」に啼くものと啼かないものがいる、啼かないものは啼くものを見ているよ、と言っている。上と下とを照応させて何か言おうとしているのではない。作者の苦しい思考の時間のなかに鳩たちが降り立っていて、一羽一羽のあるべき振る舞いをしているのである。そこに時間がふくらんでくる。二首目、三首目、抽象的な思考が、一羽一羽、という具体につかまって溶解していく。存在や時間の境界を出入り自由になった「われ」と鳩とが啼き、木に行き、存在への根源的な問いや思いを受け渡しする。一首一首は、その受け渡しのありさまによって時間をおし広げふくらませながら、四首全体では、ひとときという時間に実に不思議なデフォルメが生まれている。この鳩との時間の、たゆたう波のような、或いは溜まりのような沼のような、しかしまるで祈りのようにも佇んでいた時間をこそ、渡辺はうたい取ろうとしているのではないか。私は、こうした歌に恩寵のようなものを感じて深くものを思うのである。</p>
<p> </p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊</p>
<p> </p>
<p>　　われごくり水のみしとき浅間山大きく虚空へ伸縮したり</p>
<p>　　さへづりの中あゆみつつどこまでもさへづりあれば吾はうごく虹</p>
<p>　　くも浮けばその雲あふぐわれにして胸のなか白く朴もひらきぬ</p>
<p>　　しづかなるごご目薬をさしをへてあたらしきしづけさに入りゆく</p>
<p> </p>
<p>　もう一つ、渡辺の歌の越境性に着目したい。先に見た「鳩」とのように、作者が境界を越えてさまざまな存在と行き来する、ということもそうだが、加えて読み手が渡辺の歌によって越境させられる、そんな力の存在に驚く。上記の一首目。自分が水を飲み下す、そのときの身体の感覚を「浅間山」が表現してくれているかのごとき詠みぶりが面白い。そして「浅間山」がうぐっと水を飲む込む、その大きなガタイを伸縮させるさまがなぜかありありと思い描けてしまう。「ごくり」と「大きく虚空へ伸縮したり」が同一主体の動作のごとき重なり方をする不思議さ。二首目、鳥の「さへづり」に陶然となる心身のその表現のかたちが「虹」なのだ。陶然となって、自分の肉体だとか存在だとかどっかへ行ってしまって気分そのものになって、どこまでもどこまでも「さへづり」があれば歩くよ「うごく虹」だよ…。読むうちに、その「さへづり」のこの世のものでないような美しい聞こえと、それを歓び讃えようとする心そのものに存在を委ねていく人との、楽園のようなところにたどり着く。言葉に乗ってワープするごとく。また例えば、三首目の、あおぎたくなるような「雲」の下、四首目の「あたらしきしづけさ」への入り口。読み手の私がいつの間にかそこに居るかのような感覚になるのは、なぜなのだろう。</p>
<p>　渡辺の歌では文語旧かなが多く平仮名で綴られ、平たい言葉や人によってはやや幼いと思われるようなオノマトペ、そうした言葉のリフレインが多用される。一首のなかに置かれる言葉の数は少なく、それらが意味をかちっかちっと立てていくようには働かない。もともとが限られた言葉数によって言外のものを多く含む詩型が、渡辺の歌ではさらに一語一語の担うもの含むものを大きくしている。加えて、平仮名や単純でたいらかな言葉のゆっくりとした運ばれ方が、読み手をずっと先の思わぬところにまで連れ出してくれる。意味にではなく、言葉に運ばれて、言葉の向こうにある「さへづり」や「しづけさ」に包まれるのである。作歌にあたっては、「さへづり」や「しづけさ」といった、言葉で言い取って接してはこぼれ落ちるものをもつ対象に向けて、いかに存在をとき放ち言葉による言葉を越えた表現を紡げるか。そんなことを渡辺の歌からつくづく考えさせられるのである。</p>
<p> </p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊</p>
<p> </p>
<p>　歌集『蝶』の終盤には、癌を病んだ妻が歌われている。このあたりの歌には心がふさがってしまって、鼻の奥がつうんと痛くなる。</p>
<p> </p>
<p>　　ねむるきみ緑陰つくる樹のやうにうごかぬはおほきなことをしてゐる</p>
<p>　　眠るきみ麦穂波ゆめみてはゐむわうごんのなかからだは走れ</p>
<p> </p>
<p>　ひとときでも、穏やかな眠りが「きみ」にあったのだろうか。「緑陰つくる樹」「うごかぬはおほきなことをしてゐる」から、眠りの静けさ、安らかな空気が感じられ、それを祝福するごとき心で看ている人の息づかいが、ついそこに聞こえてくる。「わうごんのなかからだは走れ」。肉体を病み命を削られゆく人への、こんなに美しくはげしい祈りの言葉を私は知らない。</p>
<p>　言葉は届くのか。このところ、そんなことをしきりに思っていた私に、渡辺松男の『蝶』は深く静かに、人は言葉に届けられることもある、ということを教えてくれたのであった。</p>
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		<title>景観と人</title>
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		<pubDate>Tue, 13 Mar 2012 06:33:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>なみの 亜子</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[ゆく春の山に明(あかる)う雨かぜのみだるるを見てさびしむひとよ
　　　　　　　　　　　　　　　　　　  若山牧水『独り歌へる』明治43年
 
　若山牧水が二十六歳の年に出版した第二歌集『独り歌へる』の一首。やわらかな言葉の運びのなかに、景色の表情に共振する人の心のおもむきがきめ細やかに描かれていて印象深い。「ひと」は当時恋愛中だった恋人であろうか。春も過ぎようとする山の、その明るさに「雨かぜ」がみだれるのを見て、「さびしむひとよ」とうたっている。「明う雨かぜのみだるるを」がうまい。「ひと」はその時「さびしいわ…」と言葉に出したわけではなく、あくまでそういう風情だよ、と見てとったのだろう。一首から感じるいわく言い難い陰翳は、作者が「雨かぜのみだるる」を見ている「ひと」の心に「さびしさ」を感じ取った。そこらあたりから来ているように思われる。
　
…日本人には、個別のうちに普遍を感じとる感覚がもともとあったのだという。個別に執着することによって、そこから普遍が見えてくるという感覚である。例えば、朝の露にはかなきいのちを感じ取るとか、秋の夕べに人の世の哀れを感じとることなど、個別のものから全体を感じとっているのだという。また、助詞の「てにをは」や俳句の切れ字「や」や「かな」なども、個別のものを述べながら、それらの言葉を使うことによって、背景全体を浮かびあがらせる性格をもっているという。
　　　　　　　　　　　　　樋口忠彦『日本の景観』ちくま学芸文庫より引用
 
　牧水の一首の「ゆく春の山に…」の景色は、牧水と「ひと」だけが見た巡り合わせのような景色である。それを二人ながら「さびしむ」心が、なぜ時代も風景もまるで異なる現代の私たちにひたひたと伝わるのか。樋口の著作のこんなところに傍線を引いていきながら、なんとなくその理由がわかってくる。小さな国土でありながら、四季の巡りや地形の起伏の豊かさに恵まれたわが国の民は、自分たちのまわりの個別な景観に執着することで全体を感じとり、共感する感受性を養ってきたのかもしれない。短歌においては、「助詞」ひとつの効かせ方が、詠まれた事物にぐっと奥行きをつくっていくこともよく言われている。そんなことを思いながら、あの震災から一年…という日にもう一度読み直してみた作品がある。
 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊
 
　　避難所にのぼれるみちに咲く梅を人らことばの無く悲しめり
　　　　　　　　　　　　　　柏崎驍二「海境」／「短歌研究」2011年９月号
 
　昨年の短歌研究賞を受賞した柏崎驍二の、受賞後第一回作品「海境」五十首から引いた。柏崎は岩手在住の歌人であり、作品はあの震災の現場から詠み出されている。一連の、人の心を静かに揺さぶる歌にしばしば立ち止まり、また例えば、この一首の深々とした悲しみの前にながく佇んでしまう。「避難所」へとのぼる道に咲く梅を人々は言葉なく悲しんだ、と歌意を散文にひらいてみても、この一首の良さは伝わらない。うたの言葉一つひとつについていくことで、逆に言葉を越えた場所へ導かれていく、そういうふうに言葉が置かれている。
　あの震災、津波を生き残った「人ら」が身を寄せ合う「避難所」。帰る場所がそこである、という状況や、遺族として、或いはなお家族の生死すらわからない、という状況にあるかもしれない「人ら」が、恐らく高台に設けられている「避難所」への「のぼれるみち」をゆく。そこに「咲く梅」。冬の寒さの厳しい土地に暮らしていると、本当に春が待ち遠しい。梅の花はまだ寒の残る時期にぽつぽつと小さく灯るように花をひらき、もうすぐ春だからもう少しの辛抱だから、と声をかけてくれる。あんなことがあってこんなになってしまったこの地にも、なんでもないように。
　この歌では、「のぼれるみち」や「人らことばの無く」といった平仮名書きやが、「道」や「言葉」の字義をよりひろやかな方へひらいている。さらに「咲く梅を」の「を」、「ことばの無く」の「の」が、人の悲しみの湧く場所の奥の深さを表していよう。「避難所」への道の「梅」の花という個別を述べながら、また、一人ひとりが個別の悲しみを抱えることを包含しながら、ここには人間があの災害によってもたらされた大きな、人間全体の悲しみが立ちすくむ。
 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊
 
　　瓦礫積む角をいくたび曲がりしや葬儀へむかふみちに日当たる
　　くらぐらと倒壊したる墓群はとぶ蝶もなし杉山のなか
　　いくたびの痛みを負ひてよこたはる陸が背鰭を海波にさらす
　　海荒るる日と凪の日の感情をおのづからもち海境(うなさか)に住む
　　　　　　　　　　　　　　柏崎驍二「海境」／「短歌研究」2011年９月号
 
 同じ柏崎の「海境」からさらに四首引く。これらの歌からは人が景観をいかに大切にし、その景色をなす自然と一体的な感覚をもって暮らしているのか、改めて認識させられる。一、二首めの、行けども行けども「瓦礫積む角」ばかりの町を弔いにゆく道、無残に倒壊した「墓群」をたたえる「杉山」。その眺めが人の心にもたらすものの、何か傷みを負っているかのような感触。三首目では、作者がひとたびならぬ津波の被害にあってきた陸に、「痛み」を感じている。四首目は、海の起伏に寄り添ってきた人々のその営みの在りようがうたわれる。
　先に引いた『日本の景観』で樋口は、日本人の自然観の基本に、〈個物や個々の出来事に注目し、それに共感し一体化していく〉独特の感受性があるとも記している。つまり、目の前の〈物や事にも心がある〉と認め、その物や事が身に訴えてくるものを大切にし自分を一体化させていこうとする感性である。であるならば、目の前の自分と共にある景色、景観が大きく損なわれたり傷つけられたりすることは、まさに自分の身が傷めつけられるのと同じことであり、被災地の悲しみの一つは、「地」の悲しみに悲しむものなのではないだろうか。
とりもなおさずその悲しみは、私たち日本人全体の悲しみでもあるということに身をもって気づくことができているのか。効率や経済の論理でもって均され整えられた人為的景観から、問いが向かってくる。
　
　　かなしめる桜(さくら)の声(こゑ)のきこゆなり咲き満てる大樹(おほき)真昼(まひる)風なし
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 若山牧水『独り歌へる』明治43年
　　霞たち赤き芽をはるミズノキの見ずと誰も言ふわが友のこと
　　　　　　　　　　　　　　柏崎驍二「海境」／「短歌研究」2011年９月号
 
　牧水の時代から随分遠い、遥かなところまで来てしまったようだが、地はひと続きなのだ。「かなしめる桜」や「わが友」を眺められるところに。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ゆく春の山に明(あかる)う雨かぜのみだるるを見てさびしむひとよ</p>
<p style="text-align: right;">　　　　　　　　　　　　　　　　　　  若山牧水『独り歌へる』明治43年</p>
<p> </p>
<p>　若山牧水が二十六歳の年に出版した第二歌集『独り歌へる』の一首。やわらかな言葉の運びのなかに、景色の表情に共振する人の心のおもむきがきめ細やかに描かれていて印象深い。「ひと」は当時恋愛中だった恋人であろうか。春も過ぎようとする山の、その明るさに「雨かぜ」がみだれるのを見て、「さびしむひとよ」とうたっている。「明う雨かぜのみだるるを」がうまい。「ひと」はその時「さびしいわ…」と言葉に出したわけではなく、あくまでそういう風情だよ、と見てとったのだろう。一首から感じるいわく言い難い陰翳は、作者が「雨かぜのみだるる」を見ている「ひと」の心に「さびしさ」を感じ取った。そこらあたりから来ているように思われる。</p>
<p>　</p>
<p>…日本人には、個別のうちに普遍を感じとる感覚がもともとあったのだという。個別に執着することによって、そこから普遍が見えてくるという感覚である。例えば、朝の露にはかなきいのちを感じ取るとか、秋の夕べに人の世の哀れを感じとることなど、個別のものから全体を感じとっているのだという。また、助詞の「てにをは」や俳句の切れ字「や」や「かな」なども、個別のものを述べながら、それらの言葉を使うことによって、背景全体を浮かびあがらせる性格をもっているという。</p>
<p style="text-align: right;">　　　　　　　　　　　　　樋口忠彦『日本の景観』ちくま学芸文庫より引用</p>
<p> </p>
<p>　牧水の一首の「ゆく春の山に…」の景色は、牧水と「ひと」だけが見た巡り合わせのような景色である。それを二人ながら「さびしむ」心が、なぜ時代も風景もまるで異なる現代の私たちにひたひたと伝わるのか。樋口の著作のこんなところに傍線を引いていきながら、なんとなくその理由がわかってくる。小さな国土でありながら、四季の巡りや地形の起伏の豊かさに恵まれたわが国の民は、自分たちのまわりの個別な景観に執着することで全体を感じとり、共感する感受性を養ってきたのかもしれない。短歌においては、「助詞」ひとつの効かせ方が、詠まれた事物にぐっと奥行きをつくっていくこともよく言われている。そんなことを思いながら、あの震災から一年…という日にもう一度読み直してみた作品がある。</p>
<p> </p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊</p>
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<p>　　避難所にのぼれるみちに咲く梅を人らことばの無く悲しめり</p>
<p style="text-align: right;">　　　　　　　　　　　　　　柏崎驍二「海境」／「短歌研究」2011年９月号</p>
<p> </p>
<p>　昨年の短歌研究賞を受賞した柏崎驍二の、受賞後第一回作品「海境」五十首から引いた。柏崎は岩手在住の歌人であり、作品はあの震災の現場から詠み出されている。一連の、人の心を静かに揺さぶる歌にしばしば立ち止まり、また例えば、この一首の深々とした悲しみの前にながく佇んでしまう。「避難所」へとのぼる道に咲く梅を人々は言葉なく悲しんだ、と歌意を散文にひらいてみても、この一首の良さは伝わらない。うたの言葉一つひとつについていくことで、逆に言葉を越えた場所へ導かれていく、そういうふうに言葉が置かれている。</p>
<p>　あの震災、津波を生き残った「人ら」が身を寄せ合う「避難所」。帰る場所がそこである、という状況や、遺族として、或いはなお家族の生死すらわからない、という状況にあるかもしれない「人ら」が、恐らく高台に設けられている「避難所」への「のぼれるみち」をゆく。そこに「咲く梅」。冬の寒さの厳しい土地に暮らしていると、本当に春が待ち遠しい。梅の花はまだ寒の残る時期にぽつぽつと小さく灯るように花をひらき、もうすぐ春だからもう少しの辛抱だから、と声をかけてくれる。あんなことがあってこんなになってしまったこの地にも、なんでもないように。</p>
<p>　この歌では、「のぼれるみち」や「人らことばの無く」といった平仮名書きやが、「道」や「言葉」の字義をよりひろやかな方へひらいている。さらに「咲く梅を」の「を」、「ことばの無く」の「の」が、人の悲しみの湧く場所の奥の深さを表していよう。「避難所」への道の「梅」の花という個別を述べながら、また、一人ひとりが個別の悲しみを抱えることを包含しながら、ここには人間があの災害によってもたらされた大きな、人間全体の悲しみが立ちすくむ。</p>
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<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊</p>
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<p>　　瓦礫積む角をいくたび曲がりしや葬儀へむかふみちに日当たる</p>
<p>　　くらぐらと倒壊したる墓群はとぶ蝶もなし杉山のなか</p>
<p>　　いくたびの痛みを負ひてよこたはる陸が背鰭を海波にさらす</p>
<p>　　海荒るる日と凪の日の感情をおのづからもち海境(うなさか)に住む</p>
<p style="text-align: right;">　　　　　　　　　　　　　　柏崎驍二「海境」／「短歌研究」2011年９月号</p>
<p> </p>
<p> 同じ柏崎の「海境」からさらに四首引く。これらの歌からは人が景観をいかに大切にし、その景色をなす自然と一体的な感覚をもって暮らしているのか、改めて認識させられる。一、二首めの、行けども行けども「瓦礫積む角」ばかりの町を弔いにゆく道、無残に倒壊した「墓群」をたたえる「杉山」。その眺めが人の心にもたらすものの、何か傷みを負っているかのような感触。三首目では、作者がひとたびならぬ津波の被害にあってきた陸に、「痛み」を感じている。四首目は、海の起伏に寄り添ってきた人々のその営みの在りようがうたわれる。</p>
<p>　先に引いた『日本の景観』で樋口は、日本人の自然観の基本に、〈個物や個々の出来事に注目し、それに共感し一体化していく〉独特の感受性があるとも記している。つまり、目の前の〈物や事にも心がある〉と認め、その物や事が身に訴えてくるものを大切にし自分を一体化させていこうとする感性である。であるならば、目の前の自分と共にある景色、景観が大きく損なわれたり傷つけられたりすることは、まさに自分の身が傷めつけられるのと同じことであり、被災地の悲しみの一つは、「地」の悲しみに悲しむものなのではないだろうか。</p>
<p>とりもなおさずその悲しみは、私たち日本人全体の悲しみでもあるということに身をもって気づくことができているのか。効率や経済の論理でもって均され整えられた人為的景観から、問いが向かってくる。</p>
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<p>　　かなしめる桜(さくら)の声(こゑ)のきこゆなり咲き満てる大樹(おほき)真昼(まひる)風なし</p>
<p style="text-align: right;">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 若山牧水『独り歌へる』明治43年</p>
<p>　　霞たち赤き芽をはるミズノキの見ずと誰も言ふわが友のこと</p>
<p style="text-align: right;">　　　　　　　　　　　　　　柏崎驍二「海境」／「短歌研究」2011年９月号</p>
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<p>　牧水の時代から随分遠い、遥かなところまで来てしまったようだが、地はひと続きなのだ。「かなしめる桜」や「わが友」を眺められるところに。</p>
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		<title>批評、コメント、トーク</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Feb 2012 07:09:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>なみの 亜子</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[　最近ようやく「リア充」という言葉を覚えた。リアル（現実）が充実している、という意味だそうだが、最初若い知人が連発していた時には、シェークスピア絡みの漫画のタイトルかキャラか、と思って訊いていてさっぱり話がわからなかった。教えてもらってなるほどなあ、ではあるが、自分の使用言語にはなりそうにない。わざわざ「リアル」とことわって言う必要性が思い当たらないのだ。そういう必要性がある、という人々と私はうまくつながれない、ということになる。言葉はコミュニケーションを隔てる方向にも働く、ということが興味深い。
　IT技術がコミュニケーションの形態を激変させつつあるせいだろうか、ネットの書き込みや若い人の会話には他にも私に未知な言葉がたくさんあって、なおかつどんどん生まれている感じだ。思い返せば若者言葉にはいつの時代もそんな感じがある。短歌の世界でも見かけるようになった。実際に出席した歌会で出たのは、「テンプレ」。「テンプレート」の略だそうだから、既存の言い方で言うところの形式的、類型的、とか、型にはまった、お定まりの表現、といったところか。この既存の言い方では言い果たせない、もっと何かメカ的な、システムに乗っ取られている的（？）なニュアンスを含むのかもしれない。こんな若い人たちの新鮮な用語を使った比喩の巧みさ、軽快さには、しばしば感心する。歌の評自体の面白さが、場を弾ませワクワクさせることにもなる。
　しかしながら、人がつくる場でのこうした巧さはコメントの巧さに近いのではないか、とも思う。コメントにも批評や論評の意味はあるが、私は批評とは違うニュアンスを抱いている。批評は対作品、対作者に向き合っているのに対し、コメントは聴衆や視聴者といった第三者も視野に入ってくる。こうなった場合、人はなんとかして、うまいこと言いたい、と思ったりするものではないか。うまいこと言える人にうまいこと言うな、というつもりはまるでない。五十歳近くになっても、うまいこと言えたと思えたことが一度もない私には、そういう人が羨ましい。しかしながら、その巧みさが、肝心の作品や作者を置き去りにする場合もあるのではないか、ということをちらっと思う。それが、世代や文化が違えば実感できない用語でもってなされる場合には、ことさらに。
　一首一首の歌を座で読み合い、表現や文体をさまざまに鑑賞し評価する歌会から私が持ち帰るのは、歌を評した人々の、あの口ごもった時間、言葉を探し探し言い直し言い換える表情、拙いけれど何かに打たれたように出て来た断片的な言葉、それらのさまざまな感触と、その反応を引き起こした歌を、ああ、あそこにあの歌の良さがあったのか、と思い返し膨らませることができる時間である。人というのは、実に複雑ななまものとして全体的なコミュニケーションをはかっているのだな、と改めて思う。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊
 
穂村　若い人は、もう固まったものとして見ていますね。世界全体もそう見ているし、もっと狭い歌壇なら歌壇のシステムも固まったものとして見ていて。だから選考委員は選考委員で、でもべつに尊敬しているわけではないんだけど、彼らはだめだとかそういうふうに言うわけでもなく、システムとして、あの人たちは選ぶ人、僕たちは選ばれる人みたいに割と素直に思っている。そこで、じゃあ、なぜ偉いとされている者たちがだめかを証明しようというふうにはあまり動き出さない。
 
　『短歌研究』2011年12月号の座談会「2011年歌壇展望」における穂村弘の発言である。〈読み手と書き手の距離、けんかのすすめ〉と題された章で、佐佐木幸綱が「…最近気になるのは、ベテランと若い人との距離が、それは当然あるわけだけど、距離がますます広がってきている気がしています。その間の架け橋がない。お互いに自分たちだけで批評し合うわけですね。仲間のものだけを読む。そして、仲間の作の読みを絶対視して普遍的な読みを認めない。そういう形が出てきているような感じがします。…」といった内容を含む発言で口火を切る。最後の方の穂村のこの発言が状況を言い表しているのではないかと思い、引いた。若い人たちの「固まったシステム」に対する「尊敬」でもない「割と素直」な感じは、システム的な恩恵以上は何も期待していない、ということなのかもしれない。これには、「偉いとされている者」たちにも原因がないわけではない、とも思う。以下は、例えば、として書く。
　角川『短歌年鑑　平成24年版』の座談会「今年の秀歌集10冊を決める」では馬場あき子、栗木京子、穂村弘、大松達知の四人が、一年間に出された歌集からアンケート等で選ばれた歌集を討議しながら、秀歌集10冊を決めていった。そもそもが歌集の出版も手がける出版社による企画だから100%フェアでないのは承知の上。そういうところを抜きにすれば、座談はおおむね各々の「読み」や短歌観が闊達にぶつけられていていろんな意味で興味深かったのだが、ところどころに感触のよろしくない感じがあった。座談全体の流れのなかからある部分だけを取り出すのはそれこそフェアじゃないかもしれないが、例示しなければ何の話かわからない。
 
馬場　第二歌集くらいまでは天然かと思っていたけど、どうも天然ではないのよ、この人。
穂村　本人の印象にだまされてた（笑）。
栗木　最近、私、それに気がついた。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　…花山多佳子『胡瓜草』について
　花山の歌の独特のユーモアについて、天然なのか緻密な計算に基づいているのか、作品を読み解きながらあれこれはかっている。表現の綾とか技巧に関する議論として終わってくれれば良かったのだが、「本人の印象」云々は余分であろう。読者がみんな花山の人となりを知っているわけではない。作品とは関係のない人物への印象が操作されてしまう。
 
馬場　だけど、「中部短歌」にこの人がいなかったら困るでしょ。
栗木　ええ、中部地方は島田修三だけでは困る、みたいな感じ（笑）。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　…大塚寅彦『夢何有郷』について
　大塚の師である春日井建の作風をどう受け継いでいるか、中年男性の本性を（ここまで）隠さず言っていいか、歌集中の一首の〈けふ午後のモカ珈琲やわがうちの小さき闇を映し香れり〉は寺山修司みたい、という流れに突然このやりとりがさし挟まれる。中部地方や島田修三は何の関係があるのだろうか。
 
穂村　この大きさ、伝わらないのかなあ。世界へのチャンネルが開いていて、全く逆の歌なんだけど。うーん、困りましたねえ。
馬場　若い二人が最高級に「歴史を変える歌集だ」と言うんだから、いいんじゃないの。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　…雪舟えま『たんぽるぽる』について
 
　雪舟の歌集について。穂村と大松が「歴史を変える歌集だ」と推し、作品をあげてはその読みと評価を語るのだが、馬場には最後までその良さがわからない。最終的に馬場が譲るかたちで10冊に入る。自分にははかり知れない何かがあると認めて譲るのではなく、穂村と大松に譲ったように見える。否定するよりも扱いとして軽い。
　つまるところ、これは楽屋トークとして読めばいいのかな、と思うに至る…。ここ最近テレビでは、芸人が芸をするのではなくそのプライバシーや内輪の暴露話、或いはメークを落としたスッピン顔を見せる、といった楽屋トーク的な番組が増えており、それらに感触が近いのだ。楽屋トークならではの「本音」を覗き見した感覚で楽しめばいいのかもしれないし、本来ならオフレコの部分がオープンになってきた、そういう全体的な傾向もあるだろう。こうして揚げ足をとるように言い立てても、何も建設的なことにならないのはわかっている。しかし、テレビの楽屋トークが結局は内輪以外の他者に排他的で視聴者を置き去りにしてしまうように、選考における楽屋トークがそうなりはしないか…。勝手にやって下さいもう何も期待しませんから、と言われても仕方のない部分があるように思うのだった。
 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊
 
　ものすごくレベルの低い話になった。自分にぜーんぶはね返ってきて寝込む。批評するなら全力ですべし。リアクションは気にするな。歌の前ではいつも謙虚でいたい。これからいろんな歌集を読んでいければ、と思う。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　最近ようやく「リア充」という言葉を覚えた。リアル（現実）が充実している、という意味だそうだが、最初若い知人が連発していた時には、シェークスピア絡みの漫画のタイトルかキャラか、と思って訊いていてさっぱり話がわからなかった。教えてもらってなるほどなあ、ではあるが、自分の使用言語にはなりそうにない。わざわざ「リアル」とことわって言う必要性が思い当たらないのだ。そういう必要性がある、という人々と私はうまくつながれない、ということになる。言葉はコミュニケーションを隔てる方向にも働く、ということが興味深い。</p>
<p>　IT技術がコミュニケーションの形態を激変させつつあるせいだろうか、ネットの書き込みや若い人の会話には他にも私に未知な言葉がたくさんあって、なおかつどんどん生まれている感じだ。思い返せば若者言葉にはいつの時代もそんな感じがある。短歌の世界でも見かけるようになった。実際に出席した歌会で出たのは、「テンプレ」。「テンプレート」の略だそうだから、既存の言い方で言うところの形式的、類型的、とか、型にはまった、お定まりの表現、といったところか。この既存の言い方では言い果たせない、もっと何かメカ的な、システムに乗っ取られている的（？）なニュアンスを含むのかもしれない。こんな若い人たちの新鮮な用語を使った比喩の巧みさ、軽快さには、しばしば感心する。歌の評自体の面白さが、場を弾ませワクワクさせることにもなる。</p>
<p>　しかしながら、人がつくる場でのこうした巧さはコメントの巧さに近いのではないか、とも思う。コメントにも批評や論評の意味はあるが、私は批評とは違うニュアンスを抱いている。批評は対作品、対作者に向き合っているのに対し、コメントは聴衆や視聴者といった第三者も視野に入ってくる。こうなった場合、人はなんとかして、うまいこと言いたい、と思ったりするものではないか。うまいこと言える人にうまいこと言うな、というつもりはまるでない。五十歳近くになっても、うまいこと言えたと思えたことが一度もない私には、そういう人が羨ましい。しかしながら、その巧みさが、肝心の作品や作者を置き去りにする場合もあるのではないか、ということをちらっと思う。それが、世代や文化が違えば実感できない用語でもってなされる場合には、ことさらに。</p>
<p>　一首一首の歌を座で読み合い、表現や文体をさまざまに鑑賞し評価する歌会から私が持ち帰るのは、歌を評した人々の、あの口ごもった時間、言葉を探し探し言い直し言い換える表情、拙いけれど何かに打たれたように出て来た断片的な言葉、それらのさまざまな感触と、その反応を引き起こした歌を、ああ、あそこにあの歌の良さがあったのか、と思い返し膨らませることができる時間である。人というのは、実に複雑ななまものとして全体的なコミュニケーションをはかっているのだな、と改めて思う。</p>
<p>　</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊</p>
<p> </p>
<p>穂村　若い人は、もう固まったものとして見ていますね。世界全体もそう見ているし、もっと狭い歌壇なら歌壇のシステムも固まったものとして見ていて。だから選考委員は選考委員で、でもべつに尊敬しているわけではないんだけど、彼らはだめだとかそういうふうに言うわけでもなく、システムとして、あの人たちは選ぶ人、僕たちは選ばれる人みたいに割と素直に思っている。そこで、じゃあ、なぜ偉いとされている者たちがだめかを証明しようというふうにはあまり動き出さない。</p>
<p> </p>
<p>　『短歌研究』2011年12月号の座談会「2011年歌壇展望」における穂村弘の発言である。〈読み手と書き手の距離、けんかのすすめ〉と題された章で、佐佐木幸綱が「…最近気になるのは、ベテランと若い人との距離が、それは当然あるわけだけど、距離がますます広がってきている気がしています。その間の架け橋がない。お互いに自分たちだけで批評し合うわけですね。仲間のものだけを読む。そして、仲間の作の読みを絶対視して普遍的な読みを認めない。そういう形が出てきているような感じがします。…」といった内容を含む発言で口火を切る。最後の方の穂村のこの発言が状況を言い表しているのではないかと思い、引いた。若い人たちの「固まったシステム」に対する「尊敬」でもない「割と素直」な感じは、システム的な恩恵以上は何も期待していない、ということなのかもしれない。これには、「偉いとされている者」たちにも原因がないわけではない、とも思う。以下は、例えば、として書く。</p>
<p>　角川『短歌年鑑　平成24年版』の座談会「今年の秀歌集10冊を決める」では馬場あき子、栗木京子、穂村弘、大松達知の四人が、一年間に出された歌集からアンケート等で選ばれた歌集を討議しながら、秀歌集10冊を決めていった。そもそもが歌集の出版も手がける出版社による企画だから100%フェアでないのは承知の上。そういうところを抜きにすれば、座談はおおむね各々の「読み」や短歌観が闊達にぶつけられていていろんな意味で興味深かったのだが、ところどころに感触のよろしくない感じがあった。座談全体の流れのなかからある部分だけを取り出すのはそれこそフェアじゃないかもしれないが、例示しなければ何の話かわからない。</p>
<p> </p>
<p>馬場　第二歌集くらいまでは天然かと思っていたけど、どうも天然ではないのよ、この人。</p>
<p>穂村　本人の印象にだまされてた（笑）。</p>
<p>栗木　最近、私、それに気がついた。</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　…花山多佳子『胡瓜草』について</p>
<p>　花山の歌の独特のユーモアについて、天然なのか緻密な計算に基づいているのか、作品を読み解きながらあれこれはかっている。表現の綾とか技巧に関する議論として終わってくれれば良かったのだが、「本人の印象」云々は余分であろう。読者がみんな花山の人となりを知っているわけではない。作品とは関係のない人物への印象が操作されてしまう。</p>
<p> </p>
<p>馬場　だけど、「中部短歌」にこの人がいなかったら困るでしょ。</p>
<p>栗木　ええ、中部地方は島田修三だけでは困る、みたいな感じ（笑）。</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　…大塚寅彦『夢何有郷』について</p>
<p>　大塚の師である春日井建の作風をどう受け継いでいるか、中年男性の本性を（ここまで）隠さず言っていいか、歌集中の一首の〈けふ午後のモカ珈琲やわがうちの小さき闇を映し香れり〉は寺山修司みたい、という流れに突然このやりとりがさし挟まれる。中部地方や島田修三は何の関係があるのだろうか。</p>
<p> </p>
<p>穂村　この大きさ、伝わらないのかなあ。世界へのチャンネルが開いていて、全く逆の歌なんだけど。うーん、困りましたねえ。</p>
<p>馬場　若い二人が最高級に「歴史を変える歌集だ」と言うんだから、いいんじゃないの。</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　…雪舟えま『たんぽるぽる』について</p>
<p> </p>
<p>　雪舟の歌集について。穂村と大松が「歴史を変える歌集だ」と推し、作品をあげてはその読みと評価を語るのだが、馬場には最後までその良さがわからない。最終的に馬場が譲るかたちで10冊に入る。自分にははかり知れない何かがあると認めて譲るのではなく、穂村と大松に譲ったように見える。否定するよりも扱いとして軽い。</p>
<p>　つまるところ、これは楽屋トークとして読めばいいのかな、と思うに至る…。ここ最近テレビでは、芸人が芸をするのではなくそのプライバシーや内輪の暴露話、或いはメークを落としたスッピン顔を見せる、といった楽屋トーク的な番組が増えており、それらに感触が近いのだ。楽屋トークならではの「本音」を覗き見した感覚で楽しめばいいのかもしれないし、本来ならオフレコの部分がオープンになってきた、そういう全体的な傾向もあるだろう。こうして揚げ足をとるように言い立てても、何も建設的なことにならないのはわかっている。しかし、テレビの楽屋トークが結局は内輪以外の他者に排他的で視聴者を置き去りにしてしまうように、選考における楽屋トークがそうなりはしないか…。勝手にやって下さいもう何も期待しませんから、と言われても仕方のない部分があるように思うのだった。</p>
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<p>　ものすごくレベルの低い話になった。自分にぜーんぶはね返ってきて寝込む。批評するなら全力ですべし。リアクションは気にするな。歌の前ではいつも謙虚でいたい。これからいろんな歌集を読んでいければ、と思う。</p>
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		<title>歌を残すために</title>
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		<pubDate>Wed, 11 Jan 2012 00:42:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>なみの 亜子</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[年末年始、2011年を振り返るなかに早くも「風化」という言葉があって、あぜんとした。マスメディアによる３月11日の東日本大震災に関わる文脈で、である。なんなんやろ、自分たちが震災を素材として消費し尽くした、そういう感覚の露呈なんやろかね、とでも考え気持ちをなだめておくことにする。さまざまな表現分野においても、あの震災が素材として、或いは空気感を共有するための場として使われ、消費されることがなかったろうか。
　短歌は昔から、他ジャンルよりもこういう出来事への感度が高い。五七五七七のいわゆる黄金の韻律が、社会や民衆に即応的かつ共振的に働くのだろうか。今回も震災発生直後から、プロ歌人、投稿歌人、趣味程度の素人までなだれるように震災の歌を詠んだ。直接に揺れや津波の被害を被った人たちの、命をつなぐのが精一杯の状況下からの詠草もたくさんあった。
　そんななかで、俳人の長谷川櫂がいちはやく書き下ろし出版した『震災歌集』が、話題を呼んだ。私はこの歌集を読んでいない。しかし、俳人が句集でなく歌集を編み、震災から何ヶ月も経ないうちに大手出版社から出版し、その印税を被災地に寄付する、という表現活動の在り方を、自分のなかでうまく受け止められないでいる。日ごろ短詩型に接することのない人にも、大新聞の俳句の選者をしている有名な俳人が緊急出版した歌集は、充分にインパクトがある。購入することが被災地支援につながるとなれば、積極的に買うかもしれない。誰もが被災地のために何かしたくて、いてもたってもいられない時期であった。　だが、と言うか、だからこそ、と言おうか、私は長谷川のこの一連の行動を、表現者の情動によるやむにやまれぬ表現活動、とは捉えられないのである。詩型のもつ即応性がともすればたやすく消費につながる、ということを、この詩型に携わる者は常に頭に置いておかなくていいのだろうか。一方で、この詩型の即応性こそがその場その瞬間の言葉を摑ませ得る、という思いもあるにはあって揺れ動いている自分ではあるのだが。
 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊
 
　この『震災歌集』に対し鋭く疑問を呈しているのが「短歌往来」12月号「大震災と詩歌を語る」の松本健一と松村正直の対談で、読み応えがあった。ここで松本は、〈短歌が記憶する装置であるとするならば、それが記憶されたところでもう一度揺り戻しがくると。そこのところで私は短歌は力が出せるんじゃないかと思うんですね〉とも言い、松村正直も、〈僕も瞬発力ということではなくて、もっと持続的なかたちで出て来るのかなと思います〉と応じている。もっともな見解だと思う。
　あくまで私の印象だが、被災地でない地で震災を歌に詠む、ということに関しては、比較的若い世代に自制的な間があったように思う。総じて熟年、老年世代の方に性急さを感じることが多かった。この印象は、そもそも若い世代には歌の発表の場、機会自体が少ないという露出度の問題から来るに過ぎないのかもしれないが、それにしても上の世代は、この震災をどう詠むかどう歌うか、ということの方に体重がかかり過ぎているのではないだろうか。
　その点で、花山周子が「歌壇」８月号と11月号の２度にわたって書いた時評が、良かった。震災の歌を「どう詠むか」ではなく「どう読むか」という視点から論じている。〈今回の震災が教科書に載るような事実としては残ったとしても、また詠まれた作品の状況把握はできたとしても、私たちがそこに無意識に汲み取っている、同じ今を共有しているという感覚はやがて損なわれる。私は短歌の一読者として、そのことを強く意識することで、避けていきたいと思った〉と書き、〈忘れるということを前提に何度でも思い出す〉という〈長いスパンでの読み〉の大切さを説いている。吉川宏志も「歌壇」11月号の鼎談や角川「短歌年鑑」で、〈まず、他者の歌を聴く（読む）ということが大事かな、という気はします〉、〈…テレビを見て、津波を描写するとか、何かにたとえるといった歌は、いっさい作らなかった。自分でそのような歌を作るより、実際に震災を体験した人の歌を読むほうが重要だと思った〉と言い、〈今回の震災は、ことに原発なんて、五年十年不安を抱えつつ生きていくわけでしょう。どうなっていくか分からない。だから、長いスパンで見ていったほうがいいのではないか〉と述べている。松村、花山、吉川ら若い歌人がたまたま私と同結社だから持ち上げているわけでは決してない。事あるごとに「どう詠むか」ばかりが性急に競われる短歌界への真っ当な問いを、これらの言論に見出したのである。
 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊
 
　震災の歌を「どう読むか」。長いスパンで読むことの大切さのなかには、読む側にも「時間」によってもたらされるものを待つ必要がある、ということが含まれるのではないか。震災後に締め切り選考された「短歌研究新人賞」と「角川短歌賞」は、順に馬場めぐみと立花開という若い女性が受賞を決めた。馬場の作品には〈切迫感がまず印象的／栗木京子〉、〈希望と絶望の絶対値の大きさというものが非常に魅力的／穂村弘〉といった評言があり、立花の作品には〈これが一番のっぴきならないもの、ひりひりするようなものを感覚で捕まえている／島田修三〉、〈生々しくて痛々しい感じが非常に印象的／米川千嘉子〉といったところが評価されている。それぞれに、歌として貴重な魅力をたたえているに違いない。しかしながらその時そこに、読む側の「切実さ」や「ぎりぎりの希望」、「痛々しさ」というものを見出したいという願望はなかっただろうか。両者の作品とも震災の歌ではなかったが、読む側にもまだ震災後の「時間」が希望と絶望をないまぜに震えていて、以前のようには流れてくれない時期であったろう（今だって、ずっと、そうなのだが）。読み手の心情が読みに反映されるのもまた、短歌である。馬場の作品に対するこうした読みに、佐佐木幸綱が〈詩の言葉の客観的な読みというよりも、読者が迎えて読む読みのような気がする〉と言っているのが突いている。それが悪いと言いたいのではなく、受賞者の作品とこれからを今後長い目で見ていく必要があるのではないか、と言いたいのである。
　こういう時にはどんな表現も、そのジャンルをジャンルたらしめている技術への評価が抜け落ちる。臨場感、肉声感、切実感といったもののインパクトの強さが、どうしても読む者の心をとらえてしまう。それはそれでしっかり感受しながら、今の段階で自分なりの読みを試み評価し、また時間をかけてそれを更新していく。同時に、何でもないような歌も歌として大切に丁寧に読みを重ねていく。短歌が短歌ならではの表現をこつこつと積み上げていこうとすることまで、挫折させてはならないのだと思う。震災の歌をきちんと残していくためにも。
 
　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊
【コラム初回にあたって…】
山に住んでいると、雨の日のぼうっと霞んでひろがる雲のなかでよくもの思いしてしまう。刻々といつもの山が風貌を変えていく。同じ見え方は一度もない。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">年末年始、2011年を振り返るなかに早くも「風化」という言葉があって、あぜんとした。マスメディアによる３月11日の東日本大震災に関わる文脈で、である。なんなんやろ、自分たちが震災を素材として消費し尽くした、そういう感覚の露呈なんやろかね、とでも考え気持ちをなだめておくことにする。さまざまな表現分野においても、あの震災が素材として、或いは空気感を共有するための場として使われ、消費されることがなかったろうか。</p>
<p>　短歌は昔から、他ジャンルよりもこういう出来事への感度が高い。五七五七七のいわゆる黄金の韻律が、社会や民衆に即応的かつ共振的に働くのだろうか。今回も震災発生直後から、プロ歌人、投稿歌人、趣味程度の素人までなだれるように震災の歌を詠んだ。直接に揺れや津波の被害を被った人たちの、命をつなぐのが精一杯の状況下からの詠草もたくさんあった。</p>
<p>　そんななかで、俳人の長谷川櫂がいちはやく書き下ろし出版した『震災歌集』が、話題を呼んだ。私はこの歌集を読んでいない。しかし、俳人が句集でなく歌集を編み、震災から何ヶ月も経ないうちに大手出版社から出版し、その印税を被災地に寄付する、という表現活動の在り方を、自分のなかでうまく受け止められないでいる。日ごろ短詩型に接することのない人にも、大新聞の俳句の選者をしている有名な俳人が緊急出版した歌集は、充分にインパクトがある。購入することが被災地支援につながるとなれば、積極的に買うかもしれない。誰もが被災地のために何かしたくて、いてもたってもいられない時期であった。　だが、と言うか、だからこそ、と言おうか、私は長谷川のこの一連の行動を、表現者の情動によるやむにやまれぬ表現活動、とは捉えられないのである。詩型のもつ即応性がともすればたやすく消費につながる、ということを、この詩型に携わる者は常に頭に置いておかなくていいのだろうか。一方で、この詩型の即応性こそがその場その瞬間の言葉を摑ませ得る、という思いもあるにはあって揺れ動いている自分ではあるのだが。</p>
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<p>　この『震災歌集』に対し鋭く疑問を呈しているのが「短歌往来」12月号「大震災と詩歌を語る」の松本健一と松村正直の対談で、読み応えがあった。ここで松本は、〈短歌が記憶する装置であるとするならば、それが記憶されたところでもう一度揺り戻しがくると。そこのところで私は短歌は力が出せるんじゃないかと思うんですね〉とも言い、松村正直も、〈僕も瞬発力ということではなくて、もっと持続的なかたちで出て来るのかなと思います〉と応じている。もっともな見解だと思う。</p>
<p>　あくまで私の印象だが、被災地でない地で震災を歌に詠む、ということに関しては、比較的若い世代に自制的な間があったように思う。総じて熟年、老年世代の方に性急さを感じることが多かった。この印象は、そもそも若い世代には歌の発表の場、機会自体が少ないという露出度の問題から来るに過ぎないのかもしれないが、それにしても上の世代は、この震災をどう詠むかどう歌うか、ということの方に体重がかかり過ぎているのではないだろうか。</p>
<p>　その点で、花山周子が「歌壇」８月号と11月号の２度にわたって書いた時評が、良かった。震災の歌を「どう詠むか」ではなく「どう読むか」という視点から論じている。〈今回の震災が教科書に載るような事実としては残ったとしても、また詠まれた作品の状況把握はできたとしても、私たちがそこに無意識に汲み取っている、同じ今を共有しているという感覚はやがて損なわれる。私は短歌の一読者として、そのことを強く意識することで、避けていきたいと思った〉と書き、〈忘れるということを前提に何度でも思い出す〉という〈長いスパンでの読み〉の大切さを説いている。吉川宏志も「歌壇」11月号の鼎談や角川「短歌年鑑」で、〈まず、他者の歌を聴く（読む）ということが大事かな、という気はします〉、〈…テレビを見て、津波を描写するとか、何かにたとえるといった歌は、いっさい作らなかった。自分でそのような歌を作るより、実際に震災を体験した人の歌を読むほうが重要だと思った〉と言い、〈今回の震災は、ことに原発なんて、五年十年不安を抱えつつ生きていくわけでしょう。どうなっていくか分からない。だから、長いスパンで見ていったほうがいいのではないか〉と述べている。松村、花山、吉川ら若い歌人がたまたま私と同結社だから持ち上げているわけでは決してない。事あるごとに「どう詠むか」ばかりが性急に競われる短歌界への真っ当な問いを、これらの言論に見出したのである。</p>
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<p>　震災の歌を「どう読むか」。長いスパンで読むことの大切さのなかには、読む側にも「時間」によってもたらされるものを待つ必要がある、ということが含まれるのではないか。震災後に締め切り選考された「短歌研究新人賞」と「角川短歌賞」は、順に馬場めぐみと立花開という若い女性が受賞を決めた。馬場の作品には〈切迫感がまず印象的／栗木京子〉、〈希望と絶望の絶対値の大きさというものが非常に魅力的／穂村弘〉といった評言があり、立花の作品には〈これが一番のっぴきならないもの、ひりひりするようなものを感覚で捕まえている／島田修三〉、〈生々しくて痛々しい感じが非常に印象的／米川千嘉子〉といったところが評価されている。それぞれに、歌として貴重な魅力をたたえているに違いない。しかしながらその時そこに、読む側の「切実さ」や「ぎりぎりの希望」、「痛々しさ」というものを見出したいという願望はなかっただろうか。両者の作品とも震災の歌ではなかったが、読む側にもまだ震災後の「時間」が希望と絶望をないまぜに震えていて、以前のようには流れてくれない時期であったろう（今だって、ずっと、そうなのだが）。読み手の心情が読みに反映されるのもまた、短歌である。馬場の作品に対するこうした読みに、佐佐木幸綱が〈詩の言葉の客観的な読みというよりも、読者が迎えて読む読みのような気がする〉と言っているのが突いている。それが悪いと言いたいのではなく、受賞者の作品とこれからを今後長い目で見ていく必要があるのではないか、と言いたいのである。</p>
<p>　こういう時にはどんな表現も、そのジャンルをジャンルたらしめている技術への評価が抜け落ちる。臨場感、肉声感、切実感といったもののインパクトの強さが、どうしても読む者の心をとらえてしまう。それはそれでしっかり感受しながら、今の段階で自分なりの読みを試み評価し、また時間をかけてそれを更新していく。同時に、何でもないような歌も歌として大切に丁寧に読みを重ねていく。短歌が短歌ならではの表現をこつこつと積み上げていこうとすることまで、挫折させてはならないのだと思う。震災の歌をきちんと残していくためにも。</p>
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<p>【コラム初回にあたって…】</p>
<p>山に住んでいると、雨の日のぼうっと霞んでひろがる雲のなかでよくもの思いしてしまう。刻々といつもの山が風貌を変えていく。同じ見え方は一度もない。</p>
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		<title>仕事納め</title>
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		<pubDate>Wed, 28 Dec 2011 23:31:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>大井 学</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[一年間書いてきたこのブログ時評もこれが最後になるんだけれど、何が一番ツラかったかって、「残念だが紙幅が尽きたので止むなくペンを擱く」という逃げ口上が、この時評の場合には使えないってことで（だって「紙幅」の制限なんてないんだから）、毎回、自分が言いたい事の全体像を組み立てながら、「始めから終わりまで一気に書かないとブログっぽくないしなぁ」なんて変な自己規制をつけたのと、「毎回おやじギャグを２回以上は織り込もう」と思ってたので、それもヘンな規制になっちゃってたなぁ、ってことを考えながら、でも振り返ればいろんなこと書いてた一年だった大井です。こんな大変な一年にこのブログ時評を書かせて貰って申し訳ないです。いや、真面目な話。こんな年だったので、もっと政治的なことも書いたほうがよかったのかもしれないし、炎上覚悟で爆弾投げる必要もあったのかもしれませんが。
はい。これでおしまいです。って終われれば一番楽なんだけれど、それじゃ何も短歌の話をしていないわけで。今回で最後なんで、勝手に書かせてもらいます。いや。はい。今までだって随分勝手に書いてたんですけど。
短歌作品を解釈する場合、僕らは知らないうちに、解釈のためのいろいろなコンテキストを利用してます。ある作品を理解するにあたって、そうしたコンテキストは必要なものだけれども、どれに重きを置くかで、その解釈に違いが生まれてきます。ある人にとっては「当たり前」の解釈だったものが、別の人にとっては「とんでもない」解釈だと思われたり、一般的な了解だと思われていた解釈が、別の見解によって覆ったりすることもあります。それは短歌を解釈するためのコンテキストとして何を利用するかに掛かっているのでしょう。ざっとそのコンテキストを分類すると、次の７つ位に纏められるでしょうか。
１．一首コンテキスト：どのような語彙が使われているか。どのような意味か。
２．音韻コンテキスト：どのような音の言葉が使われているか。
３．連作コンテキスト：その作品を含む一連の作品を一緒に考えるとどのように解釈できるか。
４．作者コンテキスト：作者がどのような人であるのか。
５．時間コンテキスト：どの時代に創られたか。どの年代に創られているか。
６．文学コンテキスト：関連する同時代の作品、先行する作品にどのようなものがあるか。
７．連想コンテキスト：何が連想されるのか。
なんのこっちゃ？と思うかもしれませんが、これ、それぞれのキーワードを挙げてみましょうね。歌会なんかで作品が批評される場面や、評論の中でも、次のようなキーワードが出てきたら、あ、あのコンテキストを使ってる、って判断する目印になります。
１．一首：「この一首からは…」「一首に描かれている場面は…」
２．音韻：「声に出して読んでみると…」「アルファベット表記してみると…」
３．連作：「この作品を含む一連の前後には…」「歌集全体の中でこの作品は…」
４．作者：「作者にとっては…」「○○さんが感じたのは…」
５．時間：「当時の感覚では…」「現代からみれば…」
６．文学：「本歌として…」「○○という作品へのオマージュとして…」
７．連想：「この歌から、ふと…を思い出した」「個人的な思い出になるが…」
１．一首コンテキストは、一番基本的な単位のコンテキストでありながら、その実、短歌作品を解釈するにあたっては一番難しいコンテキストです。キーワードの中に「一首に描かれている場面は…」というものを挙げておきましたが、案外、有名な歌ほど「一首コンテキスト」が混乱している場合が多いのです。これについては、後でまた見てみましょう。
２．音韻コンテキストは、１の読解方法のうちに含めることもできるでしょうが、独立させておきました。これについても作品を解釈する場合には良く見かける方法ですね。一首の中に現れる「音」に着目して、それを鑑賞するという作品解釈です。律の分析や母音・子音の構成状態なんかを論じて、その作品の印象を述べる、というものを良く見かけます。句割れ・句跨りなんかの破調の状態を分析したりするのも、これに含まれるでしょう。
３．連作コンテキストは、それと意識されないままに一番使われている方法かもしれません。ある作品が含まれている「一連」を下敷きにして、その一首の意味を探るというものです。連作の「題」や詞書を手がかりにしたり、前後の作品との関連で解釈するなんてのもよく見かけます。
４．作者コンテキストは、その作者の性別・性向・年齢・職業などの属性や、その作者が住んでいる環境などを前提知識として作品を読むという方法です。歌集の「あとがき」の内容から、作者像を探って、その作品を論じていたりするのを「歌集評」と呼ばれる文章でよく見かけますよね。
５．時間コンテキストは、古典と呼ばれる作品や、すこし下った時代の作品を解釈する場合によく使われる方法です。明治・大正・昭和初期の短歌作品を論じる時などにみかけることが多くて、時代考証的な内容や回顧的な文章とともに書かれているのもよく見かけます。
６．文学コンテキストは、別個の作品との比較において、その短歌を解釈する方法です。キーワードとしては「本歌」や「オマージュ」なんて単語を入れてありますが、実際には歌人論としてよく見かけます。ある歌人と別の歌人を対比して、例えば「齋藤茂吉と北原白秋」なんていう比較論もありますよね。
７．連想コンテキストは、エッセイ風の文章でよく見かけます。ある作品にふれて、その作品から自由にイメージされる内容や記憶をもとに語られるものです。論というよりは「語り」になりますが、鑑賞としては独特の面白さがある場合もあります。
ほのぼのとおのれ光りてながれたる蛍を殺すわが道くらし　齋藤茂吉
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-
七月三十日の夜、はじめは駈けたが、途中から人力車に乗った。蛍がふと青白く道をよぎったのであろう。上句は抒情的に「ほのぼのと」とうち出しながら、一転して「蛍を殺す」という。蛍がのどかに流れるのもいらだたしく堪えがたい。衝動的に蛍を殺したのである。車が走ってゆく道はしんと寝静まり暗くなった街道の道であり、それを抜ければさらに暗い。左手にはかすかに諏訪湖の広がるのがうかがえるのみ。空は星もみえず重く低いのであろう。
一首目につづき、二首目の結句も「わが道くらし」としリフレイン、「悲報来」の導入部を一そう高める作用をする。
『改選版』では歌の順序が、２と３と入れかわっている。が、ここで解釈する如く、初版の順序の方が良いと思われる。
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-
これ、吉田漱さんの『『赤光』全注釈』の、先の「ほのぼのと…」の解釈です。
一首の歌について、その日付、背景、創造される風景までを描き出しています。恐らく、吉田さんは茂吉が通ったであろう道を実際に辿って、その道を進むと「諏訪湖が左手にある」ことを確認したのでしょう。一首の作品を鑑賞するにあたって、それだけの労を惜しまないということが凄いことです。
けれど、どうでしょう。先の一首には含まれていない情報が、この注釈には多く含まれていることに気付きます。一首を読んだだけでは、人力車に乗ったことも解らなければ、蛍を殺したのが「衝動的」だったのかどうかも解りません。「この「蛍を殺す」という際の感情は、衝動的な感情だったに違いない、と吉田さんが解釈した」ということは先の文章から充分に伺えます。けれど、茂吉の一首は、そう感じることを規定してはいません。「ほのぼのと」という言葉を吉田さんは「抒情的」と解いていますが、「ｏ音」にくぐもった響きを感じる人にとっては、内攻する暗く重い感情の沈殿を想定することだって可能です。
いや。吉田さんの解釈が間違っている、なんてことを言っているわけじゃないんです。
逆に、そうした解釈が成立するためのコンテキストは何だったか、ということに意識を向けたいんです。この解釈は「悲報来」の詞書「七月三十日夜、信濃国上諏訪に居りて、伊藤左千夫先生逝去の悲報に接す。すなはち予は高木村なる島木赤彦宅へ走る。時すでに夜半を過ぎゐたり。」という情報がなければ成り立たず、また、人力車云々という解説も、作品以外の情報が付加されていなければ、それと知ることもできません。
つまり、こうした解釈の中には、１．一首・２．音韻・３．連作・４．作者・５．時間などのコンテキストが入り込んでいて、それによって解釈が可能になっているということです。
今回吉田さんの文章を使ったことに他意はありません。塚本邦雄さんの『百首』シリーズや、万葉集の注釈本とかでも同じような傾向の「解釈」が展開されています。吉田さんの文章は、作品鑑賞のお手本のようなもので、その中にはコンテキスト解釈が複雑に入り混じっているということです。
さて、そうした時、「歌を読む」とはどういう行為なのでしょうか。歌を解釈・鑑賞するということはどういうことなのか。
考え続けながら、じっくりと作品に向き合うということ、他者の解釈なども参考にしながら、自分が感じている印象を鑑賞へと深めていくこと、それが「歌を読む」ということだと僕は考えています。
可能な限り、何度も何度も読む。時間を掛けて読む。そうしたいと思える作品に出会うのは、幸せなことです。だから、こんな時評なんて読んでるヒマがあったら、歌を読んで下さいね。
まあ、今回はお笑いなしの方向で。
あ。はい。この文章そのものがお笑い草だってことは承知していますから。
これが今年の仕事納めになります。来年はどなたが書かれることになるのか、実は知っているんですが、内緒にしておきます。
一年間、有難うございました。紙幅はまだまだ尽きませんが、まあ、この辺で。
では。
大井　学
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>一年間書いてきたこのブログ時評もこれが最後になるんだけれど、何が一番ツラかったかって、「残念だが紙幅が尽きたので止むなくペンを擱く」という逃げ口上が、この時評の場合には使えないってことで（だって「紙幅」の制限なんてないんだから）、毎回、自分が言いたい事の全体像を組み立てながら、「始めから終わりまで一気に書かないとブログっぽくないしなぁ」なんて変な自己規制をつけたのと、「毎回おやじギャグを２回以上は織り込もう」と思ってたので、それもヘンな規制になっちゃってたなぁ、ってことを考えながら、でも振り返ればいろんなこと書いてた一年だった大井です。こんな大変な一年にこのブログ時評を書かせて貰って申し訳ないです。いや、真面目な話。こんな年だったので、もっと政治的なことも書いたほうがよかったのかもしれないし、炎上覚悟で爆弾投げる必要もあったのかもしれませんが。<br />
はい。これでおしまいです。って終われれば一番楽なんだけれど、それじゃ何も短歌の話をしていないわけで。今回で最後なんで、勝手に書かせてもらいます。いや。はい。今までだって随分勝手に書いてたんですけど。</p>
<p>短歌作品を解釈する場合、僕らは知らないうちに、解釈のためのいろいろなコンテキストを利用してます。ある作品を理解するにあたって、そうしたコンテキストは必要なものだけれども、どれに重きを置くかで、その解釈に違いが生まれてきます。ある人にとっては「当たり前」の解釈だったものが、別の人にとっては「とんでもない」解釈だと思われたり、一般的な了解だと思われていた解釈が、別の見解によって覆ったりすることもあります。それは短歌を解釈するためのコンテキストとして何を利用するかに掛かっているのでしょう。ざっとそのコンテキストを分類すると、次の７つ位に纏められるでしょうか。<br />
１．一首コンテキスト：どのような語彙が使われているか。どのような意味か。<br />
２．音韻コンテキスト：どのような音の言葉が使われているか。<br />
３．連作コンテキスト：その作品を含む一連の作品を一緒に考えるとどのように解釈できるか。<br />
４．作者コンテキスト：作者がどのような人であるのか。<br />
５．時間コンテキスト：どの時代に創られたか。どの年代に創られているか。<br />
６．文学コンテキスト：関連する同時代の作品、先行する作品にどのようなものがあるか。<br />
７．連想コンテキスト：何が連想されるのか。</p>
<p>なんのこっちゃ？と思うかもしれませんが、これ、それぞれのキーワードを挙げてみましょうね。歌会なんかで作品が批評される場面や、評論の中でも、次のようなキーワードが出てきたら、あ、あのコンテキストを使ってる、って判断する目印になります。</p>
<p>１．一首：「この一首からは…」「一首に描かれている場面は…」<br />
２．音韻：「声に出して読んでみると…」「アルファベット表記してみると…」<br />
３．連作：「この作品を含む一連の前後には…」「歌集全体の中でこの作品は…」<br />
４．作者：「作者にとっては…」「○○さんが感じたのは…」<br />
５．時間：「当時の感覚では…」「現代からみれば…」<br />
６．文学：「本歌として…」「○○という作品へのオマージュとして…」<br />
７．連想：「この歌から、ふと…を思い出した」「個人的な思い出になるが…」</p>
<p>１．一首コンテキストは、一番基本的な単位のコンテキストでありながら、その実、短歌作品を解釈するにあたっては一番難しいコンテキストです。キーワードの中に「一首に描かれている場面は…」というものを挙げておきましたが、案外、有名な歌ほど「一首コンテキスト」が混乱している場合が多いのです。これについては、後でまた見てみましょう。<br />
２．音韻コンテキストは、１の読解方法のうちに含めることもできるでしょうが、独立させておきました。これについても作品を解釈する場合には良く見かける方法ですね。一首の中に現れる「音」に着目して、それを鑑賞するという作品解釈です。律の分析や母音・子音の構成状態なんかを論じて、その作品の印象を述べる、というものを良く見かけます。句割れ・句跨りなんかの破調の状態を分析したりするのも、これに含まれるでしょう。<br />
３．連作コンテキストは、それと意識されないままに一番使われている方法かもしれません。ある作品が含まれている「一連」を下敷きにして、その一首の意味を探るというものです。連作の「題」や詞書を手がかりにしたり、前後の作品との関連で解釈するなんてのもよく見かけます。<br />
４．作者コンテキストは、その作者の性別・性向・年齢・職業などの属性や、その作者が住んでいる環境などを前提知識として作品を読むという方法です。歌集の「あとがき」の内容から、作者像を探って、その作品を論じていたりするのを「歌集評」と呼ばれる文章でよく見かけますよね。<br />
５．時間コンテキストは、古典と呼ばれる作品や、すこし下った時代の作品を解釈する場合によく使われる方法です。明治・大正・昭和初期の短歌作品を論じる時などにみかけることが多くて、時代考証的な内容や回顧的な文章とともに書かれているのもよく見かけます。<br />
６．文学コンテキストは、別個の作品との比較において、その短歌を解釈する方法です。キーワードとしては「本歌」や「オマージュ」なんて単語を入れてありますが、実際には歌人論としてよく見かけます。ある歌人と別の歌人を対比して、例えば「齋藤茂吉と北原白秋」なんていう比較論もありますよね。<br />
７．連想コンテキストは、エッセイ風の文章でよく見かけます。ある作品にふれて、その作品から自由にイメージされる内容や記憶をもとに語られるものです。論というよりは「語り」になりますが、鑑賞としては独特の面白さがある場合もあります。</p>
<p>ほのぼのとおのれ光りてながれたる蛍を殺すわが道くらし　齋藤茂吉</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
七月三十日の夜、はじめは駈けたが、途中から人力車に乗った。蛍がふと青白く道をよぎったのであろう。上句は抒情的に「ほのぼのと」とうち出しながら、一転して「蛍を殺す」という。蛍がのどかに流れるのもいらだたしく堪えがたい。衝動的に蛍を殺したのである。車が走ってゆく道はしんと寝静まり暗くなった街道の道であり、それを抜ければさらに暗い。左手にはかすかに諏訪湖の広がるのがうかがえるのみ。空は星もみえず重く低いのであろう。<br />
一首目につづき、二首目の結句も「わが道くらし」としリフレイン、「悲報来」の導入部を一そう高める作用をする。<br />
『改選版』では歌の順序が、２と３と入れかわっている。が、ここで解釈する如く、初版の順序の方が良いと思われる。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>これ、吉田漱さんの『『赤光』全注釈』の、先の「ほのぼのと…」の解釈です。<br />
一首の歌について、その日付、背景、創造される風景までを描き出しています。恐らく、吉田さんは茂吉が通ったであろう道を実際に辿って、その道を進むと「諏訪湖が左手にある」ことを確認したのでしょう。一首の作品を鑑賞するにあたって、それだけの労を惜しまないということが凄いことです。<br />
けれど、どうでしょう。先の一首には含まれていない情報が、この注釈には多く含まれていることに気付きます。一首を読んだだけでは、人力車に乗ったことも解らなければ、蛍を殺したのが「衝動的」だったのかどうかも解りません。「この「蛍を殺す」という際の感情は、衝動的な感情だったに違いない、と吉田さんが解釈した」ということは先の文章から充分に伺えます。けれど、茂吉の一首は、そう感じることを規定してはいません。「ほのぼのと」という言葉を吉田さんは「抒情的」と解いていますが、「ｏ音」にくぐもった響きを感じる人にとっては、内攻する暗く重い感情の沈殿を想定することだって可能です。</p>
<p>いや。吉田さんの解釈が間違っている、なんてことを言っているわけじゃないんです。<br />
逆に、そうした解釈が成立するためのコンテキストは何だったか、ということに意識を向けたいんです。この解釈は「悲報来」の詞書「七月三十日夜、信濃国上諏訪に居りて、伊藤左千夫先生逝去の悲報に接す。すなはち予は高木村なる島木赤彦宅へ走る。時すでに夜半を過ぎゐたり。」という情報がなければ成り立たず、また、人力車云々という解説も、作品以外の情報が付加されていなければ、それと知ることもできません。<br />
つまり、こうした解釈の中には、１．一首・２．音韻・３．連作・４．作者・５．時間などのコンテキストが入り込んでいて、それによって解釈が可能になっているということです。<br />
今回吉田さんの文章を使ったことに他意はありません。塚本邦雄さんの『百首』シリーズや、万葉集の注釈本とかでも同じような傾向の「解釈」が展開されています。吉田さんの文章は、作品鑑賞のお手本のようなもので、その中にはコンテキスト解釈が複雑に入り混じっているということです。</p>
<p>さて、そうした時、「歌を読む」とはどういう行為なのでしょうか。歌を解釈・鑑賞するということはどういうことなのか。</p>
<p>考え続けながら、じっくりと作品に向き合うということ、他者の解釈なども参考にしながら、自分が感じている印象を鑑賞へと深めていくこと、それが「歌を読む」ということだと僕は考えています。</p>
<p>可能な限り、何度も何度も読む。時間を掛けて読む。そうしたいと思える作品に出会うのは、幸せなことです。だから、こんな時評なんて読んでるヒマがあったら、歌を読んで下さいね。</p>
<p>まあ、今回はお笑いなしの方向で。<br />
あ。はい。この文章そのものがお笑い草だってことは承知していますから。<br />
これが今年の仕事納めになります。来年はどなたが書かれることになるのか、実は知っているんですが、内緒にしておきます。</p>
<p>一年間、有難うございました。紙幅はまだまだ尽きませんが、まあ、この辺で。<br />
では。</p>
<p>大井　学</p>
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		<title>知らない町を</title>
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		<pubDate>Tue, 29 Nov 2011 13:58:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>大井 学</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[出張先のホテルではたいてい枕の高さが合わず、かといって枕なしだと不安定なので、結局出張明けは首を寝違えてるか、肩凝りがもの凄いことになってるかのどちらかの大井です。寝違えの後遺症でこの数日、横を向くのが辛いのです。出張はそれなりに楽しいこともあるので、嫌いではないんです。あらぬ時間にあらぬ町を彷徨ってる感じがあって、異邦人感覚を味わうことができるんですよね。寝違えたのを早く治す方法があれば、もっと楽しいんですけど。
知らない町を歩いてみたい、というのは誰しも思うことなのでしょうが、実際に自分の住む町を離れて、風まかせ、ぶらり途中下車の旅なんかに出るってことは、そうしょっちゅうあることじゃないんですよね。まあ、出張で何度も行っているうちに、見知らぬ町が見知った町に変わっていくということもあって、「日常」を脱出するってことは、一面において「反復」を避けるということでもあるんでしょう。「この町に住んだら、どんな友だちができるんだろう」って思う新鮮さというのは、実際儚い「瞬間」への思いなんですよね。
「町」という同人誌が、残念なことに解散してしまいました。早稲田短歌会の瀬戸夏子さん、服部真里子さん、平岡直子さん、望月裕二郎さん、そして京大短歌の土岐友浩さん、吉岡太朗さんの六名が参加した同人誌でした。二〇〇九年五月二〇日の創刊号から数えると二年半ほどの活動期間。「町」を四号まで刊行し、通巻五号目を歌集『町』として出版しての解散です。
幸か不幸か、僕は「同人誌」というものに参加したことがありません。短歌を始めるとき、すぐに結社に依ってしまったので。けれど、僕などとは逆に、結社に参加したことがなく、ずっと同人誌に拠って作歌し続けた歌人も多くいます。たとえば、九十六歳の今も作歌を続けている岡部桂一郎さんは、当初数年間「一路」という結社に所属しましたが、一九四八（昭和二三）年に「一路」を退会し、「工人」という同人誌を立ち上げて以降、ずっと同人誌・個人誌での活動が主だったですし、浜田到さんなどは一度も結社には所属しなかった歌人でした（ちなみに浜田さんは「コスモス」の入会要項を取り寄せて、入会を検討したようなのですが）。あ、随分古い話ししちゃってますね、「時評」なのに。
ヴォリュームをちょうどよくなるまで上げる　草にふる雨音のヴォリューム
梨の木に梨の花咲く大空は君を護ってくれるだろうか
　　　　　　　土岐友浩
冷蔵庫開けば注ぐ橙のひかりのなかで懺悔をしとる
便箋の余白に咲いた褐色の花をなぞればいつまでも雨
　　　　　　　吉岡太朗
今宵発つ駅舎と青い宝石を君の手帳の中に見ている
調律を終えたピアノはハンマーの戻りが速い　冬の雨来る
　　　　　　　服部真里子
鏡に火を放つ花火で道に迷うすみずみに引っ越してくるこわい顔
したいって何、現代のあさがお順に咲いていきヘリコプターはいつでも笑顔
　　　　　　　瀬戸夏子
空のふかさをはかっているが（だまってろ犬ども）ここは土地か時代か
さかみちを全速力でかけおりてうちについたら幕府をひらく
　　　　　　　望月裕二郎
生き先の字が消えかけたバス停で神父の問いに　はい、と答えた
どうして手が届かないのかこの町は　地図のよう君の血脈のよう
　　　　　　　平岡直子
各人の作品を、不公平にならないよう二首ずつ引いてみました。
土岐さんの作品は、引いた二首にも顕著に見られるように、繊細な感性が世界と触れ合う「瞬間」が歌になるようです。一首目、「ヴォリューム」という言葉が二度繰り返されますが、それが一つのものだと解釈するのか、あるいは別のものだと解釈するかは好みが分かれるでしょう。たとえば「iPodのヴォリュームをちょうどよくなるまで上げる。草にふる雨音のヴォリュームを消しつつ。」という解釈も可能なら、「草にふる雨音のヴォリュームをちょうどよくなるまで上げる。心のノイズを消してゆきつつ。」という解釈も可能でしょう（後者の解釈のほうが僕の趣味です）。いずれにしても下句の「草にふる雨音のヴォリューム」というかそかなものに耳を澄ませている心は容易に読みとることができます。二首目は「薔薇は咲くが故に咲く」というシレジウスの詩や、白秋の「ナニゴトノ不思議ナケレド」を本歌にしている作品でしょう。土岐さんは薔薇ではなく、梨を据えました。人の視線よりは少し上に咲きますが、手の届かない高さにある花ではないでしょう。見上げるものでありながら、手の届く近さにある梨の花。「君」という言葉は梨の花に対しての呼び掛けとして読むこともできますが、伝統的な解釈での「君」＝想い人へおもいを馳せていると読むのが妥当かもしれません。自然の摂理に包まれながら、そうした自然＝必然の成り行きの世界は君を護ってくれるだろうか、と問う。自然ではなく人為が、つまり「僕が君を護る」という思いが言葉の底にあるのかもしれない。この歌、優しさ以外の何物でもないのだと僕は思います。
吉岡さんは連作を作ろうとすると、スカトロ系・エロ系の言葉を素材として使い出すってことがなんとも不思議ですが、そうした作品が成功しているとは、僕は思いません。むしろここに引いた作品のように、弱さやマイナーな気分を詩情に転換できるのが吉岡さんの魅力なんだと感じています。冷蔵庫の庫内灯の光のなかで懺悔をするような心の弱った状態は、触れれば壊れるような危い精神状況かもしれません。何に対して懺悔をしたいのか、それは解りません。解りませんが、「しとる」という客観化された言葉に、「わたし」をみつめる「わたし」の存在が感じられて、そしてその過剰な自意識こそが繊細さの表れなんだと思うのです。二首目は、「花をなぞれば／いつまでも雨」というふうに、意識的な空白があるように感じられます。文房具店に便箋を買いに行っても、なかなか男が使うのに適当な便箋はありません。手紙というのは文化的には女性のコードなんでしょうか。だからかもしれませんが、「この歌は女性歌人の作品です」と言われたら納得しちゃいますよね。そうした柔らかで女性的な文脈をも使うことができるのが、吉岡さんの魅力です。無理して放送禁止用語の三文字・四文字言葉を使わなくとも、いいんじゃないかな。
服部さんの歌にはその外延に物語があるようです。「君の手帳」の中に、本当は何が書かれていたのかは解りません。けれど「わたし」は「今宵発つ駅舎」と「青い宝石」をみている。駅舎とは別れの比喩でしょうか。また、「青い宝石」は愛を誓う指環のことでしょうか。いやいや、ブルーダイアモンドは呪いの宝石、違うよ、青い宝石＝アクアマリンという意味と駅舎とで海に向う電車のことだぜ。。。。。そんな風に、いろいろな物語を引き出してくる言葉の采配になっています。それは恐らく服部さんの短歌が何処かで「詩」や「小説」を志向していることの表れかもしれません。二首目の歌は、リアリティのある詩情だと感じます。西洋音楽の楽器は、ほとんどがmachineですから、調律＝メンテナンスの後は、その性能を遺憾なく発揮するようになります。「わたし」はそのハンマーの戻りを指先と響きとで感じている。雨の前、楽器は少しくぐもった音を出すようになるものですが、この作品の「わたし」はその響きをも聴き分けているのでしょう。
瀬戸さんは「町」の中で一番のアヴァンギャルドかもしれません。あるいは、短歌と現代詩とを意識的に両立・対立させながら言葉を紡いでいるのでしょうか。引いた二首は、それでもまだ定型に近い作品かもしれません。一首目は「鏡に火を／放つ花火で／道に迷う／すみずみに引っ越してくる／こわい顔」と、つまり「６・７・６・１１・５」と分解することができます。また二首目は「したいって何、／現代のあさがお順に／咲いていき／ヘリコプターは／いつでも笑顔」と、つまり「７・１２・５・７・７」と分解することができます。こういう韻律に一番近い歌人を挙げるとすれば、森岡貞香さんでしょうか。大きく韻律を毀しながら、けれども何処かで「定型」の名残りを感じさせる律の作りというのを長く続けるのは、案外難しいことです。また、瀬戸さんの作品は、オートマティスムの影響を感じさせるものですから、シュールレアリスムスについての現代的な評価も含めて再考しなければならないのでしょう。ある時代において有効だった手法が現代においてもなお有効であるのかどうか。そして恐らくそれは、長く使われている５・７・５・７・７という型式が、現代においても有効なのかどうかという議論にも関わっています。歌集『町』の「あとがき」で瀬戸さんは「老婆になり老婆しかいない町に住み、猫が大量にうろついているごみ屋敷で暮らすという私の10歳の頃の夢が叶うのかどうか（略）」と書いていますが、「いやだわ、瀬戸さん、瀬戸さん、ってば。そんな夢、あなた、何処かの『結社』に入れば今すぐにでもその夢がかなっちゃうわよ！」なんてこと、ブラックユーモアにもならずに叱られそうなので、言いません。はい。
望月さんの作品の魅力は、「最強の内弁慶」とでも言えばいいでしょうか。あ。僕はもちろん望月さんを知りませんから（一度挨拶したことがある程度だったかな）本人を評してではありません。引用一首目にあるような括弧を利用した作品が望月さんには多くあり、一首の中に複数の「声」を響かせようという思いが理解できます。そして同時にそれが一首の中で想定される世界を収束させている側面もあるように感じます。だから、一首完結の世界の中で、粗暴な感じの言葉とは違った地平で、自己完結的な密度を感じさせる作品になっているのだと思います。「空のふかさをはかっているが、ここは土地か時代か」という、非日常的な問いの中に「（だまってろ犬ども）」という、ある意味noisyな「声」が挿入されています。空・土地・時代という、日常の言語利用の中では比較不可能なものを「ふかさ」という言葉で統合しながら、けれど「はかる」ことでしか生きられない人間を基準とし、「（だまってろ犬ども）」と小声または内心で言いながら社会と関わっている。詩と関わりながら、けれども社会的に生きざるを得ない人間の姿を描いているのではないでしょうか。二首目についても同様の批評が可能でしょうか。「「かけおりてうちについたら」といっています。「かけあがりうちについたら」という高揚感ではなく、むしろ沈静に向かう表現の中に、現代の状況が垣間見えます。」なんて言ったら、時代批評的に過ぎるでしょうか。「いや、作者望月君の自宅は実際に坂の下にあるので、これは作者の実際を詠んだものなのである」なんていうアラアラな批評も、相応しくはないでしょう。
平岡さんは今度の「歌壇賞」を受賞した、今まさに旬の作家さんです（あ、「時評」っぽくなってきました）。場面の描写力・定型の使い方が上手だなぁと、この二首を見ても思います。同時にそうした巧さは、平岡さんだけじゃなく「町」の皆さん各人が（当然違いはありながらも）それぞれの作歌のなかで模索しつつ実験していっているものなのだと感じます。平岡さんの一首目「神父」の問いの内容は不明のままです。「はい、と答えた」という「わたし」の行為は「生き先の字が消えかけたバス停」の前でのものです。その暗喩するもの、または答えである「はい」、答えの一部である「、」それぞれについて、読解のための「文脈」を構想しながら読む必要があるのでしょう。二首目は「町」が解散した今よみ返すと、いささか皮肉を感じないわけではありませんが、けれども下句にはハッとさせられます。血脈と地図とが並置されていることで、そうです、望月さんが詠っていた「土地か時代か」が言い換えられているのです。「空のふかさをはかっている」のと「どうして手が届かないのか」とは、そして同じ感情の位相から出て来た言葉かもしれません。こうした相互干渉的な読み方ができるのも、同人誌のたのしみかもしれません。
こうして作品を見るにつけ、「町」が解散してしまうということは、なんとも残念なことだという思いが深まります。
で、また少し古いことを書きます。
岡部桂一郎さん達が立ち上げた同人誌「工人」は、第一期（1948-1952）、「後期工人」（1953）、第二期（1959-1960）、「工人2005」という経過を辿りました。解散？　したんでしょうか、しなかったんでしょうか。それはどうでも良いことです。何のことはない。同人誌を出したいという思いが高まったら出せばいいんです。解散？　だからキャンディーズの道を択ぶか、ピンクレディの道を採るのか（あ。「町」の皆さんはそのどちらも知らない！　えーと。Speedでありたいか、それとも、えーと、えーと、すみません。君ら世代のアイドルは、おじさん、もう知らないんです）。
それと。
歌、やめないで下さいね。
それと。
「町」、近所のおじさんも待ってますから。また、いつか。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>出張先のホテルではたいてい枕の高さが合わず、かといって枕なしだと不安定なので、結局出張明けは首を寝違えてるか、肩凝りがもの凄いことになってるかのどちらかの大井です。寝違えの後遺症でこの数日、横を向くのが辛いのです。出張はそれなりに楽しいこともあるので、嫌いではないんです。あらぬ時間にあらぬ町を彷徨ってる感じがあって、異邦人感覚を味わうことができるんですよね。寝違えたのを早く治す方法があれば、もっと楽しいんですけど。</p>
<p>知らない町を歩いてみたい、というのは誰しも思うことなのでしょうが、実際に自分の住む町を離れて、風まかせ、ぶらり途中下車の旅なんかに出るってことは、そうしょっちゅうあることじゃないんですよね。まあ、出張で何度も行っているうちに、見知らぬ町が見知った町に変わっていくということもあって、「日常」を脱出するってことは、一面において「反復」を避けるということでもあるんでしょう。「この町に住んだら、どんな友だちができるんだろう」って思う新鮮さというのは、実際儚い「瞬間」への思いなんですよね。</p>
<p>「町」という同人誌が、残念なことに解散してしまいました。早稲田短歌会の瀬戸夏子さん、服部真里子さん、平岡直子さん、望月裕二郎さん、そして京大短歌の土岐友浩さん、吉岡太朗さんの六名が参加した同人誌でした。二〇〇九年五月二〇日の創刊号から数えると二年半ほどの活動期間。「町」を四号まで刊行し、通巻五号目を歌集『町』として出版しての解散です。</p>
<p>幸か不幸か、僕は「同人誌」というものに参加したことがありません。短歌を始めるとき、すぐに結社に依ってしまったので。けれど、僕などとは逆に、結社に参加したことがなく、ずっと同人誌に拠って作歌し続けた歌人も多くいます。たとえば、九十六歳の今も作歌を続けている岡部桂一郎さんは、当初数年間「一路」という結社に所属しましたが、一九四八（昭和二三）年に「一路」を退会し、「工人」という同人誌を立ち上げて以降、ずっと同人誌・個人誌での活動が主だったですし、浜田到さんなどは一度も結社には所属しなかった歌人でした（ちなみに浜田さんは「コスモス」の入会要項を取り寄せて、入会を検討したようなのですが）。あ、随分古い話ししちゃってますね、「時評」なのに。</p>
<p>ヴォリュームをちょうどよくなるまで上げる　草にふる雨音のヴォリューム<br />
梨の木に梨の花咲く大空は君を護ってくれるだろうか<br />
　　　　　　　土岐友浩</p>
<p>冷蔵庫開けば注ぐ橙のひかりのなかで懺悔をしとる<br />
便箋の余白に咲いた褐色の花をなぞればいつまでも雨<br />
　　　　　　　吉岡太朗</p>
<p>今宵発つ駅舎と青い宝石を君の手帳の中に見ている<br />
調律を終えたピアノはハンマーの戻りが速い　冬の雨来る<br />
　　　　　　　服部真里子</p>
<p>鏡に火を放つ花火で道に迷うすみずみに引っ越してくるこわい顔<br />
したいって何、現代のあさがお順に咲いていきヘリコプターはいつでも笑顔<br />
　　　　　　　瀬戸夏子</p>
<p>空のふかさをはかっているが（だまってろ犬ども）ここは土地か時代か<br />
さかみちを全速力でかけおりてうちについたら幕府をひらく<br />
　　　　　　　望月裕二郎</p>
<p>生き先の字が消えかけたバス停で神父の問いに　はい、と答えた<br />
どうして手が届かないのかこの町は　地図のよう君の血脈のよう<br />
　　　　　　　平岡直子</p>
<p>各人の作品を、不公平にならないよう二首ずつ引いてみました。</p>
<p>土岐さんの作品は、引いた二首にも顕著に見られるように、繊細な感性が世界と触れ合う「瞬間」が歌になるようです。一首目、「ヴォリューム」という言葉が二度繰り返されますが、それが一つのものだと解釈するのか、あるいは別のものだと解釈するかは好みが分かれるでしょう。たとえば「iPodのヴォリュームをちょうどよくなるまで上げる。草にふる雨音のヴォリュームを消しつつ。」という解釈も可能なら、「草にふる雨音のヴォリュームをちょうどよくなるまで上げる。心のノイズを消してゆきつつ。」という解釈も可能でしょう（後者の解釈のほうが僕の趣味です）。いずれにしても下句の「草にふる雨音のヴォリューム」というかそかなものに耳を澄ませている心は容易に読みとることができます。二首目は「薔薇は咲くが故に咲く」というシレジウスの詩や、白秋の「ナニゴトノ不思議ナケレド」を本歌にしている作品でしょう。土岐さんは薔薇ではなく、梨を据えました。人の視線よりは少し上に咲きますが、手の届かない高さにある花ではないでしょう。見上げるものでありながら、手の届く近さにある梨の花。「君」という言葉は梨の花に対しての呼び掛けとして読むこともできますが、伝統的な解釈での「君」＝想い人へおもいを馳せていると読むのが妥当かもしれません。自然の摂理に包まれながら、そうした自然＝必然の成り行きの世界は君を護ってくれるだろうか、と問う。自然ではなく人為が、つまり「僕が君を護る」という思いが言葉の底にあるのかもしれない。この歌、優しさ以外の何物でもないのだと僕は思います。</p>
<p>吉岡さんは連作を作ろうとすると、スカトロ系・エロ系の言葉を素材として使い出すってことがなんとも不思議ですが、そうした作品が成功しているとは、僕は思いません。むしろここに引いた作品のように、弱さやマイナーな気分を詩情に転換できるのが吉岡さんの魅力なんだと感じています。冷蔵庫の庫内灯の光のなかで懺悔をするような心の弱った状態は、触れれば壊れるような危い精神状況かもしれません。何に対して懺悔をしたいのか、それは解りません。解りませんが、「しとる」という客観化された言葉に、「わたし」をみつめる「わたし」の存在が感じられて、そしてその過剰な自意識こそが繊細さの表れなんだと思うのです。二首目は、「花をなぞれば／いつまでも雨」というふうに、意識的な空白があるように感じられます。文房具店に便箋を買いに行っても、なかなか男が使うのに適当な便箋はありません。手紙というのは文化的には女性のコードなんでしょうか。だからかもしれませんが、「この歌は女性歌人の作品です」と言われたら納得しちゃいますよね。そうした柔らかで女性的な文脈をも使うことができるのが、吉岡さんの魅力です。無理して放送禁止用語の三文字・四文字言葉を使わなくとも、いいんじゃないかな。</p>
<p>服部さんの歌にはその外延に物語があるようです。「君の手帳」の中に、本当は何が書かれていたのかは解りません。けれど「わたし」は「今宵発つ駅舎」と「青い宝石」をみている。駅舎とは別れの比喩でしょうか。また、「青い宝石」は愛を誓う指環のことでしょうか。いやいや、ブルーダイアモンドは呪いの宝石、違うよ、青い宝石＝アクアマリンという意味と駅舎とで海に向う電車のことだぜ。。。。。そんな風に、いろいろな物語を引き出してくる言葉の采配になっています。それは恐らく服部さんの短歌が何処かで「詩」や「小説」を志向していることの表れかもしれません。二首目の歌は、リアリティのある詩情だと感じます。西洋音楽の楽器は、ほとんどがmachineですから、調律＝メンテナンスの後は、その性能を遺憾なく発揮するようになります。「わたし」はそのハンマーの戻りを指先と響きとで感じている。雨の前、楽器は少しくぐもった音を出すようになるものですが、この作品の「わたし」はその響きをも聴き分けているのでしょう。</p>
<p>瀬戸さんは「町」の中で一番のアヴァンギャルドかもしれません。あるいは、短歌と現代詩とを意識的に両立・対立させながら言葉を紡いでいるのでしょうか。引いた二首は、それでもまだ定型に近い作品かもしれません。一首目は「鏡に火を／放つ花火で／道に迷う／すみずみに引っ越してくる／こわい顔」と、つまり「６・７・６・１１・５」と分解することができます。また二首目は「したいって何、／現代のあさがお順に／咲いていき／ヘリコプターは／いつでも笑顔」と、つまり「７・１２・５・７・７」と分解することができます。こういう韻律に一番近い歌人を挙げるとすれば、森岡貞香さんでしょうか。大きく韻律を毀しながら、けれども何処かで「定型」の名残りを感じさせる律の作りというのを長く続けるのは、案外難しいことです。また、瀬戸さんの作品は、オートマティスムの影響を感じさせるものですから、シュールレアリスムスについての現代的な評価も含めて再考しなければならないのでしょう。ある時代において有効だった手法が現代においてもなお有効であるのかどうか。そして恐らくそれは、長く使われている５・７・５・７・７という型式が、現代においても有効なのかどうかという議論にも関わっています。歌集『町』の「あとがき」で瀬戸さんは「老婆になり老婆しかいない町に住み、猫が大量にうろついているごみ屋敷で暮らすという私の10歳の頃の夢が叶うのかどうか（略）」と書いていますが、「いやだわ、瀬戸さん、瀬戸さん、ってば。そんな夢、あなた、何処かの『結社』に入れば今すぐにでもその夢がかなっちゃうわよ！」なんてこと、ブラックユーモアにもならずに叱られそうなので、言いません。はい。</p>
<p>望月さんの作品の魅力は、「最強の内弁慶」とでも言えばいいでしょうか。あ。僕はもちろん望月さんを知りませんから（一度挨拶したことがある程度だったかな）本人を評してではありません。引用一首目にあるような括弧を利用した作品が望月さんには多くあり、一首の中に複数の「声」を響かせようという思いが理解できます。そして同時にそれが一首の中で想定される世界を収束させている側面もあるように感じます。だから、一首完結の世界の中で、粗暴な感じの言葉とは違った地平で、自己完結的な密度を感じさせる作品になっているのだと思います。「空のふかさをはかっているが、ここは土地か時代か」という、非日常的な問いの中に「（だまってろ犬ども）」という、ある意味noisyな「声」が挿入されています。空・土地・時代という、日常の言語利用の中では比較不可能なものを「ふかさ」という言葉で統合しながら、けれど「はかる」ことでしか生きられない人間を基準とし、「（だまってろ犬ども）」と小声または内心で言いながら社会と関わっている。詩と関わりながら、けれども社会的に生きざるを得ない人間の姿を描いているのではないでしょうか。二首目についても同様の批評が可能でしょうか。「「かけおりてうちについたら」といっています。「かけあがりうちについたら」という高揚感ではなく、むしろ沈静に向かう表現の中に、現代の状況が垣間見えます。」なんて言ったら、時代批評的に過ぎるでしょうか。「いや、作者望月君の自宅は実際に坂の下にあるので、これは作者の実際を詠んだものなのである」なんていうアラアラな批評も、相応しくはないでしょう。</p>
<p>平岡さんは今度の「歌壇賞」を受賞した、今まさに旬の作家さんです（あ、「時評」っぽくなってきました）。場面の描写力・定型の使い方が上手だなぁと、この二首を見ても思います。同時にそうした巧さは、平岡さんだけじゃなく「町」の皆さん各人が（当然違いはありながらも）それぞれの作歌のなかで模索しつつ実験していっているものなのだと感じます。平岡さんの一首目「神父」の問いの内容は不明のままです。「はい、と答えた」という「わたし」の行為は「生き先の字が消えかけたバス停」の前でのものです。その暗喩するもの、または答えである「はい」、答えの一部である「、」それぞれについて、読解のための「文脈」を構想しながら読む必要があるのでしょう。二首目は「町」が解散した今よみ返すと、いささか皮肉を感じないわけではありませんが、けれども下句にはハッとさせられます。血脈と地図とが並置されていることで、そうです、望月さんが詠っていた「土地か時代か」が言い換えられているのです。「空のふかさをはかっている」のと「どうして手が届かないのか」とは、そして同じ感情の位相から出て来た言葉かもしれません。こうした相互干渉的な読み方ができるのも、同人誌のたのしみかもしれません。</p>
<p>こうして作品を見るにつけ、「町」が解散してしまうということは、なんとも残念なことだという思いが深まります。</p>
<p>で、また少し古いことを書きます。<br />
岡部桂一郎さん達が立ち上げた同人誌「工人」は、第一期（1948-1952）、「後期工人」（1953）、第二期（1959-1960）、「工人2005」という経過を辿りました。解散？　したんでしょうか、しなかったんでしょうか。それはどうでも良いことです。何のことはない。同人誌を出したいという思いが高まったら出せばいいんです。解散？　だからキャンディーズの道を択ぶか、ピンクレディの道を採るのか（あ。「町」の皆さんはそのどちらも知らない！　えーと。Speedでありたいか、それとも、えーと、えーと、すみません。君ら世代のアイドルは、おじさん、もう知らないんです）。</p>
<p>それと。<br />
歌、やめないで下さいね。</p>
<p>それと。<br />
「町」、近所のおじさんも待ってますから。また、いつか。</p>
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		<title>流氷漂流</title>
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		<pubDate>Thu, 27 Oct 2011 12:52:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>大井 学</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[朝、明けるのもすっかり遅くなりました。東京の街路樹ももうすぐに色づきはじめるでしょう。大田区の公孫樹たちが金色に燃えたつのもすぐですね。土に還っていくはずの落葉が東京ではゴミ扱いだってこと、ずっと残念に思ってましたが、今年は僕の田舎のほうでも落葉を除染ゴミとして片付けなければいけないようです。「ただちに」影響がないと言っていた大臣の顔を見るにつけ、残念な溜め息が出る大井です。
「ただちに」という言葉が、今年は特殊な意味をもってしまいましたが、このブログ形式の「時評」の一番の特長が「ただちに」なんですよね。「アラブの春」という中東の政治的なうねりも、「狂犬」とまで呼ばれた独裁者が倒れたのも、ツイッター・フェースブックに代表されるインターネットの即時性が大きな力を発揮したと言われています。「ただちに」情報を提供し、得ることができるネット・ツイッターは今年三月の震災の時も、携帯電話やスマートフォンから閲覧できる情報源として活用されたと言われています。それらが実際にどの程度まで活用されていたのかは、残念ながら、その全体像を語るまでの情報も見識もないけれど、僕も情報源としてネットやツイッターを頼りにしていた、いるのは事実です（僕が実名でツイッターのアカウントを取得したのは、電話もネットも混雑して繋がらなかった３月１１日の夕方でした）。
わざわざネット上にこんなことを書くのは、「短歌現代」の終刊の報に関連して、ちょっと考えておきたいからです。
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-
昭和五十二年七月号を創刊号として三十四年余にわたり刊行してまいりました「短歌現代」ですが、社長高齢（九十五歳健在）のため、この度十二月号（第四一八号）を以て終刊することとなりました。長い間のご愛読、ご支援ご鞭撻に心より厚くお礼申し上げます。
なお、お預かりしている購読費の残金は整理の上、後刻お返しいたします。
平成二十三年十月
短歌新聞社
石黒清介
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-
「短歌現代」の最終ページに、こういう終刊の挨拶が掲載されました。残念です。が、一面では仕方のないことなのかもしれません。雑誌というメディアが、今後どのように存続することができるのか、多分、どんな文芸誌も、いや、どんな分野の雑誌も、今、模索中であるに違いありません。そして当然その模索は、この文章が掲載されているネットというメディアとの並立、または住み分けをどのように考えるのか、という点にかかっているのが現実でしょう。
即時性に優れ、編集後の「印刷」という工程を省略することができる。誤字や脱字の修正も簡単で、公開後でも修正ができてしまう。そうした便利な「出版」が利用できるのであれば、発信者としてそれを利用しない手はないのだと思います。印刷費の削減という点だけでも運用的・経済的には大きな魅力ですが、文字や写真などの静止情報だけに留まらないマルチメディア展開ができたりするネットは、今までにない「出版」の形態を可能にしていく媒体です。新しいことを目指す編集者にとって、魅力的な媒体であるに違いありません（新しいことをやりたければ、の話ですが）。
従来型の短歌雑誌が担っている機能として、３つの「場」を想定することができるのだと思います。
１．作品発表の場。
２．論考発表の場。それに伴う、「歌壇」の一部としての議論の場
３．短歌作者の間接的交流の場。
１については特に言うまでもないでしょう。毎月いろいろな作者の（結社誌とは違った緊張感のもとに作られる）作品が掲載されていて、それぞれに興味深いです。見知らぬ歌人の作品に触れる一番の機会であるかもしれません。３については、投稿作品、添削コーナーなどもそうでしょう。入選常連の作者同士が知り合いになる、なんていう話もよく耳にします。あるいはエッセイや結社誌の紹介などの記事もそうした範疇のものだと思います。
２についてはいささか漠然としていますが、恐らく、ネットメディアが登場したことで一番大きな影響があったと思われているのはこの２の「場」なのではないでしょうか。
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-
いま論壇はどこにあるのか？　そう問われて、すぐに雑誌や新聞をあげる人は多くないだろう。といって、他の回答があるわけでもない。たしかにインターネット上では日々膨大な議論が交わされている。文字のみならず、音声や動画をも利用して。だが、論壇と呼べるかというとどうも難しそうだ。
そもそも論壇とはなにか。この問いは何度も提起されてきた。「論壇」という言葉の誕生以来つねに。理由は単純。実体を特定できないからだ。具体的な人間関係として指せない。登壇資格に相当する大きな賞もない。（略）
論壇誌にたびたび登場し、論壇時評などで言及される論客が論壇の成員として認知される。論壇誌が特集を組み、時評で整理されるテーマが論壇的な課題だとみなされる。（略）結局のところ、論壇の輪郭は事後的に決定されるほかない。ずいぶんとあやうい成立条件である。だがこれが実体なき論壇の実態だ。（略）
情報技術の刷新により、意見発信の回路は激増した。この事態は全体的な統合を崩壊に導く。いや、はじめから全体性など幻想だったのだろう。実態が技術により可視化されただけだ。ツイッターを想起するとよい。ユーザーは関心にそって論者を選出し、画面をカスタマイズする。それゆえ、眺めている言論の風景は各自で異なる。論壇が無数に併存する世界。時評が扱う論壇もあくまでその一つでしかない。
「いま論壇はどこにあるのか」大澤聡（日本学術振興会特別研究員）
朝日新聞夕刊２０１１年１０月２５日
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-
以前この欄で「僕は「歌壇」なるものを実際には見たことが無いんだけど」と書いたことがあります。そうした漠然とした実感も共通のものかもしないと思うような文章が、朝日新聞に掲載されていました。ここに引用した大澤聡さんの文中の「論壇」を、全て「歌壇」と書き換えてみても、そのまま意味が通じ、かつ適切なまとめであると言えるんじゃないでしょうか。言論の「場」としての「壇」が（それが「論」であろうと「歌」であろうと）、ネットメディアの発展によって、その崩壊状態が露わになったのだといえるのかもしれません。
けれど、雑誌が終刊になったり、相対的に衰退していくことで明らかになる、こうした「壇」の崩壊が、それ自体として深刻な問題かというと、実は僕はあまりそう重要な問題だと思ってはいないんです。
「時評」のスピードが早くなり、なにかのシンポジウムについての論評がその日のうちにウェブ上に公開されるなんていうことは単にタイミングの問題だし、そうした素早い情報提供や論点の整理が、そのものの本質を捉えているかどうかは、スピードとは別の問題です。今後はそれらの論評も、自然淘汰されていくでしょう。どんなフォロワーがつくか、フォロワーからの反響がどれほどあるのかという、読み手の側からの選択がそうした淘汰を可能にするんだと思います。長く生き残ったものが正史になるというのは、論にとっての本質ではありませんが、必ずしも正しい論だけが発表されるわけではありませんから、時間という篩を利用する必要があります。カルト的な人気を保つ論者というものも出現しそうですが、それはなにもネットに限ったことではなく、結社だって同じこと。だから、スピードや「壇」の分極化が本質的な問題なのではないんだと思うんです。
実際、雑誌というメディアが先細りでなくなっていくことで予想される一番の問題は、先の分類でいう「１．作品発表の場」の問題なんじゃないでしょうか。
「なに言ってんの？　ツイッターで作品を発表してる歌人だっているし、ブログ・フェースブック・mixi……何だって発表できるようになってんじゃん。」と言われちゃいますよね。確かにそうです。先の大澤さんの論にもありましたが、「発信の回路は激増」したのです。けれど、その発信の場がネット空間であるということの中に本質的な危うさがあるような気がしているのです。
ある歌人が作品をブログやツイッターで発表しているとします。その歌人が「集」として作品を編もうとした時、それは本になるでしょうか。データとして残そうとするのであれば、データ集積の方法として「検索キー・集約キー」を用意するだけで「集」を編むことができます。そう。「本」という物理的な形態を取らずとも、作品を発表できる状況は、その作品が「データ」としてのみ残り、物理的には存在しないということです（厳密に言えば、ハードディスク上のビット状態という物理的な存在はあるんだけど）。
その場合、その作者が死んでしまったら、その「集」は、その作品はどうなるのでしょうか？　誰も触れないままにプロバイダー契約が切れ、ディスクからアーカイブされ、消えるのを待つだけになるのでしょうか。あるいはその「作品」やその歌人との思い出を愛する人達が、データをコピーし、それを保存・公開するかもしれません。その「集」の原本がなくなった場合、ネット空間上に流れていくのはコピーということになります。原本が存在しない、それ故、常に漂流する、実体なきコピーが「作品」として複製され続けることになります（この辺、瀬名秀明の『デカルトの密室』なんかを思い出しますが）。
これ、どこかで見たような気がしませんか？　そう。写本です。万葉集の「原本」はどこにあるでしょうか。ありません。源氏物語の「原本」はどこにあるでしょうか。ありません。ないんです。でも作品としては伝承されている。それはその作品を懸命に写し、伝えた人が居たからです。
例えばそうした「実体なき作品の漂流こそが「作者」の希望だ」、という作者もいるかもしれません。日本語の歴史の中に、無記名の作者として残り、いつしか日本語の古層を形成することができれば、日本語で作歌するものとしては、それで充分、本望だという思いも、まあ、わからないではありません。自分の言葉が日本語の古層になる。日本語で創作をするものにとっては、ロマンティックな理想かもしれません。けれど結果的に「原本」が存在しない作品は記憶の深層に沈潜する前に、忘れられてしまうかもしれません。いや、忘れられたかどうかも検証ができない。あるいはまた、写本を校合し、本来の「原本」の姿を再現させたくなるような作品を創るなんて、それこそ創作者の本望じゃんか、と言われるかもしれません。あるいはまた、昔の「写本」とデータコピーとでは全く比較にならないよ、という人がいるかもしれません。「だって、コンピュータのデータなんだから、完全にコピーできるに決まってるじゃない」と。はい。恐らく、ある程度コンピュータに詳しい人はそう言うでしょうが、コンピュータの運用に携わったことがある人ならば、そうは言わないでしょう。簡単な質問です。５年前に使っていたコンピュータから、今、データを抜き出せますか？　そのデータを今使っているコンピュータにコンバートできますか？　ある程度可能で、ある程度不可能です。エンコード・デコードが常に障壁になります。そうした技術的な問題は今後解消されていく可能性もありますが、解消されない可能性もあります。そうした状況のなかで、実は、作品発表の「場」だけがネット空間上に移行されはじめているということになります。
ある作品を愛し、残そうとする場合、それを流布して多くの人の目に触れるようにするという努力とは別に、その作品を跡づけ、作者の「仕事」の範囲を明確にする必要があります。何が「原本」かがわからない、実体なきコピーの状態の「作品」を、印象や個人の思い入れから離れて論じることは、思いの外難しいことです。
「短歌現代」の終刊のニュースの一方で、加藤英彦さんが書かれた朝日新聞「短歌時評」に次にような文章がありました。『小中英之全歌集』が今年七月に佐藤通雅さん・藤原龍一郎さん・天草季紅さんの編纂によって刊行されたことを顕彰しつつ、加藤さんは次のように纏めています。
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-
時代を超えて愛される歌人がいる。しかし、情報めまぐるしい現代にあっては忘却の速さもまたひとしなみである。歌壇も例外ではない。死後、作品を語り継ごうとする意志がこの一冊に結実した。それは忘却の流れに一本の杭を打ち込むような営為だろう。言葉が詩として響きあう場所がここにはある。
加藤英彦　朝日新聞「短歌時評」２０１１年１０月２４日
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-
小中さんが鬼籍に入られてから、もう十年ですから、待望久しい集です。佐藤さん、藤原さん、天草さんや、もっと沢山の「短歌人」の方達が協力しただろう『全歌集』についての加藤さんの言葉「作品を語り継ごうとする意志」に多いに共感します。共感しながら。先ほどの質問を繰り返しちゃいます。十年前のパソコンからデータを抜き出せますか？
先ほどまでの論の流れを冷静に見ている人であれば、「大井は雑誌の終刊と、出版の世界に訪れるだろう電子化の問題とを混同して論じている」ということを容易に指摘することができるでしょう。または「大井は今後一切の書籍が発刊されないかのような論調で議論を進めている」と言われるかもしれません。ついでにコンピュータ技術の問題についてもゴッチャにしてる、と。
そうですね。でも。
だって、そうじゃないんですか、今はもう？
流氷の上の白クマ
沈みかけのツバル
みんな何処に行った
見送られることもなく
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>朝、明けるのもすっかり遅くなりました。東京の街路樹ももうすぐに色づきはじめるでしょう。大田区の公孫樹たちが金色に燃えたつのもすぐですね。土に還っていくはずの落葉が東京ではゴミ扱いだってこと、ずっと残念に思ってましたが、今年は僕の田舎のほうでも落葉を除染ゴミとして片付けなければいけないようです。「ただちに」影響がないと言っていた大臣の顔を見るにつけ、残念な溜め息が出る大井です。</p>
<p>「ただちに」という言葉が、今年は特殊な意味をもってしまいましたが、このブログ形式の「時評」の一番の特長が「ただちに」なんですよね。「アラブの春」という中東の政治的なうねりも、「狂犬」とまで呼ばれた独裁者が倒れたのも、ツイッター・フェースブックに代表されるインターネットの即時性が大きな力を発揮したと言われています。「ただちに」情報を提供し、得ることができるネット・ツイッターは今年三月の震災の時も、携帯電話やスマートフォンから閲覧できる情報源として活用されたと言われています。それらが実際にどの程度まで活用されていたのかは、残念ながら、その全体像を語るまでの情報も見識もないけれど、僕も情報源としてネットやツイッターを頼りにしていた、いるのは事実です（僕が実名でツイッターのアカウントを取得したのは、電話もネットも混雑して繋がらなかった３月１１日の夕方でした）。</p>
<p>わざわざネット上にこんなことを書くのは、「短歌現代」の終刊の報に関連して、ちょっと考えておきたいからです。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
昭和五十二年七月号を創刊号として三十四年余にわたり刊行してまいりました「短歌現代」ですが、社長高齢（九十五歳健在）のため、この度十二月号（第四一八号）を以て終刊することとなりました。長い間のご愛読、ご支援ご鞭撻に心より厚くお礼申し上げます。<br />
なお、お預かりしている購読費の残金は整理の上、後刻お返しいたします。<br />
平成二十三年十月<br />
短歌新聞社<br />
石黒清介<br />
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>「短歌現代」の最終ページに、こういう終刊の挨拶が掲載されました。残念です。が、一面では仕方のないことなのかもしれません。雑誌というメディアが、今後どのように存続することができるのか、多分、どんな文芸誌も、いや、どんな分野の雑誌も、今、模索中であるに違いありません。そして当然その模索は、この文章が掲載されているネットというメディアとの並立、または住み分けをどのように考えるのか、という点にかかっているのが現実でしょう。</p>
<p>即時性に優れ、編集後の「印刷」という工程を省略することができる。誤字や脱字の修正も簡単で、公開後でも修正ができてしまう。そうした便利な「出版」が利用できるのであれば、発信者としてそれを利用しない手はないのだと思います。印刷費の削減という点だけでも運用的・経済的には大きな魅力ですが、文字や写真などの静止情報だけに留まらないマルチメディア展開ができたりするネットは、今までにない「出版」の形態を可能にしていく媒体です。新しいことを目指す編集者にとって、魅力的な媒体であるに違いありません（新しいことをやりたければ、の話ですが）。</p>
<p>従来型の短歌雑誌が担っている機能として、３つの「場」を想定することができるのだと思います。<br />
１．作品発表の場。<br />
２．論考発表の場。それに伴う、「歌壇」の一部としての議論の場<br />
３．短歌作者の間接的交流の場。</p>
<p>１については特に言うまでもないでしょう。毎月いろいろな作者の（結社誌とは違った緊張感のもとに作られる）作品が掲載されていて、それぞれに興味深いです。見知らぬ歌人の作品に触れる一番の機会であるかもしれません。３については、投稿作品、添削コーナーなどもそうでしょう。入選常連の作者同士が知り合いになる、なんていう話もよく耳にします。あるいはエッセイや結社誌の紹介などの記事もそうした範疇のものだと思います。<br />
２についてはいささか漠然としていますが、恐らく、ネットメディアが登場したことで一番大きな影響があったと思われているのはこの２の「場」なのではないでしょうか。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
いま論壇はどこにあるのか？　そう問われて、すぐに雑誌や新聞をあげる人は多くないだろう。といって、他の回答があるわけでもない。たしかにインターネット上では日々膨大な議論が交わされている。文字のみならず、音声や動画をも利用して。だが、論壇と呼べるかというとどうも難しそうだ。<br />
そもそも論壇とはなにか。この問いは何度も提起されてきた。「論壇」という言葉の誕生以来つねに。理由は単純。実体を特定できないからだ。具体的な人間関係として指せない。登壇資格に相当する大きな賞もない。（略）<br />
論壇誌にたびたび登場し、論壇時評などで言及される論客が論壇の成員として認知される。論壇誌が特集を組み、時評で整理されるテーマが論壇的な課題だとみなされる。（略）結局のところ、論壇の輪郭は事後的に決定されるほかない。ずいぶんとあやうい成立条件である。だがこれが実体なき論壇の実態だ。（略）<br />
情報技術の刷新により、意見発信の回路は激増した。この事態は全体的な統合を崩壊に導く。いや、はじめから全体性など幻想だったのだろう。実態が技術により可視化されただけだ。ツイッターを想起するとよい。ユーザーは関心にそって論者を選出し、画面をカスタマイズする。それゆえ、眺めている言論の風景は各自で異なる。論壇が無数に併存する世界。時評が扱う論壇もあくまでその一つでしかない。<br />
「いま論壇はどこにあるのか」大澤聡（日本学術振興会特別研究員）<br />
朝日新聞夕刊２０１１年１０月２５日<br />
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>以前この欄で「僕は「歌壇」なるものを実際には見たことが無いんだけど」と書いたことがあります。そうした漠然とした実感も共通のものかもしないと思うような文章が、朝日新聞に掲載されていました。ここに引用した大澤聡さんの文中の「論壇」を、全て「歌壇」と書き換えてみても、そのまま意味が通じ、かつ適切なまとめであると言えるんじゃないでしょうか。言論の「場」としての「壇」が（それが「論」であろうと「歌」であろうと）、ネットメディアの発展によって、その崩壊状態が露わになったのだといえるのかもしれません。</p>
<p>けれど、雑誌が終刊になったり、相対的に衰退していくことで明らかになる、こうした「壇」の崩壊が、それ自体として深刻な問題かというと、実は僕はあまりそう重要な問題だと思ってはいないんです。<br />
「時評」のスピードが早くなり、なにかのシンポジウムについての論評がその日のうちにウェブ上に公開されるなんていうことは単にタイミングの問題だし、そうした素早い情報提供や論点の整理が、そのものの本質を捉えているかどうかは、スピードとは別の問題です。今後はそれらの論評も、自然淘汰されていくでしょう。どんなフォロワーがつくか、フォロワーからの反響がどれほどあるのかという、読み手の側からの選択がそうした淘汰を可能にするんだと思います。長く生き残ったものが正史になるというのは、論にとっての本質ではありませんが、必ずしも正しい論だけが発表されるわけではありませんから、時間という篩を利用する必要があります。カルト的な人気を保つ論者というものも出現しそうですが、それはなにもネットに限ったことではなく、結社だって同じこと。だから、スピードや「壇」の分極化が本質的な問題なのではないんだと思うんです。</p>
<p>実際、雑誌というメディアが先細りでなくなっていくことで予想される一番の問題は、先の分類でいう「１．作品発表の場」の問題なんじゃないでしょうか。<br />
「なに言ってんの？　ツイッターで作品を発表してる歌人だっているし、ブログ・フェースブック・mixi……何だって発表できるようになってんじゃん。」と言われちゃいますよね。確かにそうです。先の大澤さんの論にもありましたが、「発信の回路は激増」したのです。けれど、その発信の場がネット空間であるということの中に本質的な危うさがあるような気がしているのです。</p>
<p>ある歌人が作品をブログやツイッターで発表しているとします。その歌人が「集」として作品を編もうとした時、それは本になるでしょうか。データとして残そうとするのであれば、データ集積の方法として「検索キー・集約キー」を用意するだけで「集」を編むことができます。そう。「本」という物理的な形態を取らずとも、作品を発表できる状況は、その作品が「データ」としてのみ残り、物理的には存在しないということです（厳密に言えば、ハードディスク上のビット状態という物理的な存在はあるんだけど）。<br />
その場合、その作者が死んでしまったら、その「集」は、その作品はどうなるのでしょうか？　誰も触れないままにプロバイダー契約が切れ、ディスクからアーカイブされ、消えるのを待つだけになるのでしょうか。あるいはその「作品」やその歌人との思い出を愛する人達が、データをコピーし、それを保存・公開するかもしれません。その「集」の原本がなくなった場合、ネット空間上に流れていくのはコピーということになります。原本が存在しない、それ故、常に漂流する、実体なきコピーが「作品」として複製され続けることになります（この辺、瀬名秀明の『デカルトの密室』なんかを思い出しますが）。<br />
これ、どこかで見たような気がしませんか？　そう。写本です。万葉集の「原本」はどこにあるでしょうか。ありません。源氏物語の「原本」はどこにあるでしょうか。ありません。ないんです。でも作品としては伝承されている。それはその作品を懸命に写し、伝えた人が居たからです。</p>
<p>例えばそうした「実体なき作品の漂流こそが「作者」の希望だ」、という作者もいるかもしれません。日本語の歴史の中に、無記名の作者として残り、いつしか日本語の古層を形成することができれば、日本語で作歌するものとしては、それで充分、本望だという思いも、まあ、わからないではありません。自分の言葉が日本語の古層になる。日本語で創作をするものにとっては、ロマンティックな理想かもしれません。けれど結果的に「原本」が存在しない作品は記憶の深層に沈潜する前に、忘れられてしまうかもしれません。いや、忘れられたかどうかも検証ができない。あるいはまた、写本を校合し、本来の「原本」の姿を再現させたくなるような作品を創るなんて、それこそ創作者の本望じゃんか、と言われるかもしれません。あるいはまた、昔の「写本」とデータコピーとでは全く比較にならないよ、という人がいるかもしれません。「だって、コンピュータのデータなんだから、完全にコピーできるに決まってるじゃない」と。はい。恐らく、ある程度コンピュータに詳しい人はそう言うでしょうが、コンピュータの運用に携わったことがある人ならば、そうは言わないでしょう。簡単な質問です。５年前に使っていたコンピュータから、今、データを抜き出せますか？　そのデータを今使っているコンピュータにコンバートできますか？　ある程度可能で、ある程度不可能です。エンコード・デコードが常に障壁になります。そうした技術的な問題は今後解消されていく可能性もありますが、解消されない可能性もあります。そうした状況のなかで、実は、作品発表の「場」だけがネット空間上に移行されはじめているということになります。</p>
<p>ある作品を愛し、残そうとする場合、それを流布して多くの人の目に触れるようにするという努力とは別に、その作品を跡づけ、作者の「仕事」の範囲を明確にする必要があります。何が「原本」かがわからない、実体なきコピーの状態の「作品」を、印象や個人の思い入れから離れて論じることは、思いの外難しいことです。</p>
<p>「短歌現代」の終刊のニュースの一方で、加藤英彦さんが書かれた朝日新聞「短歌時評」に次にような文章がありました。『小中英之全歌集』が今年七月に佐藤通雅さん・藤原龍一郎さん・天草季紅さんの編纂によって刊行されたことを顕彰しつつ、加藤さんは次のように纏めています。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
時代を超えて愛される歌人がいる。しかし、情報めまぐるしい現代にあっては忘却の速さもまたひとしなみである。歌壇も例外ではない。死後、作品を語り継ごうとする意志がこの一冊に結実した。それは忘却の流れに一本の杭を打ち込むような営為だろう。言葉が詩として響きあう場所がここにはある。<br />
加藤英彦　朝日新聞「短歌時評」２０１１年１０月２４日<br />
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>小中さんが鬼籍に入られてから、もう十年ですから、待望久しい集です。佐藤さん、藤原さん、天草さんや、もっと沢山の「短歌人」の方達が協力しただろう『全歌集』についての加藤さんの言葉「作品を語り継ごうとする意志」に多いに共感します。共感しながら。先ほどの質問を繰り返しちゃいます。十年前のパソコンからデータを抜き出せますか？</p>
<p>先ほどまでの論の流れを冷静に見ている人であれば、「大井は雑誌の終刊と、出版の世界に訪れるだろう電子化の問題とを混同して論じている」ということを容易に指摘することができるでしょう。または「大井は今後一切の書籍が発刊されないかのような論調で議論を進めている」と言われるかもしれません。ついでにコンピュータ技術の問題についてもゴッチャにしてる、と。</p>
<p>そうですね。でも。</p>
<p>だって、そうじゃないんですか、今はもう？</p>
<p>流氷の上の白クマ<br />
沈みかけのツバル<br />
みんな何処に行った<br />
見送られることもなく</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>接続方法</title>
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		<pubDate>Thu, 29 Sep 2011 21:30:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>大井 学</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[台風も過ぎ、虫の声も聞こえるようになってきました。この欄の担当のタカハシさんから、「毎月、首を長くして待っております。ワタシの首がろくろ首になる前に更新していただけるとありがたいです。（笑）」というメールが、もうずっと前に来ていて、どう見ても「（笑）」が「（怒）」に見えてしまう大井です。そろそろタカハシさんは秋祭りの見世物小屋に出演できるような状態になってしまっているんじゃないかと、心配です。
 
先月、この欄で「作者モデル」や「成長する人間」のモデル、なんてことを書いたのですが、「短歌研究」2011年10月号に掲載された現代短歌評論賞の受賞作が、同じような問題点を指摘していたことに、興味を覚えました。
梶原さい子さんの受賞作「短歌の口語化がもたらしたもの――歌の印象からの考察」は、みずからアンケート調査を実施した結果なども利用した、面白い論だと思います。考える刺激を与えられました。
 
―――――引用ここから――――――
口語短歌の一番大きな手柄。それは文語に比べ、自分の詠いたいことを率直に、直截的に表せるというところだろう。そのことを求めて歌人達は試行錯誤し、それぞれの時代の、口語が反映された「口語短歌」が作られてきた。
―――――引用ここまで――――――
 
こういう書き出しで始まる梶原さんの論は、口語短歌がどのような印象をもって受容されるのか、ということを高校生50人へのアンケート調査から読み解いていきます。口語短歌に対しては、76％の高校生が「子供っぽい」という印象を持ったといいます。つまり50人中の38名です。そうした「子供っぽさ」を「まさにこれは、現在の日本文化そのもの」と論じています。「未成熟さ、かわいらしさを強調したこのような文化こそが、今、日本を席巻し、世界にも発信されている」と。
 
―――――引用ここから――――――
今の口語短歌をどう捉えるかというのは、幼形成熟的雰囲気を愛せるかどうかということである。惹かれる人もいるだろう。嫌う人もいるだろう。これは、かなり違いが出るところだと思う。そして、問題は、判断材料があくまで「雰囲気」だということである。中身まで行き着けばいいのだが、その前に幼い「印象」を生理的に受け取らせてしまう。
―――――引用ここまで――――――
 
「生理的」とは、いささか言い過ぎだと思いますが、梶原さんの指摘する問題点は理解することができます。大人の雰囲気の文語と、子供の雰囲気の口語とでは、確かに表面上は口語のほうに幼い印象を持つでしょう。例えばそれは、この欄の過去の担当者である島田さん・真中さんの文章と、僕の文章を読み較べてみるだけでも充分理解できるかもしれません。
梶原さんの論は、格助詞の音韻や自然詠の問題などにも意欲的にふれていますので、是非、「短歌研究」誌を御参照下さい（砂子屋さんのブログで、ライバル社の雑誌を宣伝するってのも、まあ）。
 
―――――引用ここから――――――
文語短歌の「背伸び」は、はるかなものへの背伸びである。蓄積された先人の世界に触れることが歌を深いものにする。
口語短歌の一番の罪。それは、一人一人が意識しない限り、その幼い印象に甘んじ、はるかなものを失っていこうとしているところである。
　　　＊
これからますます増えるであろう純口語短歌。しかし、そこに、文語の力、文語の世界の厚みが、付け加わればと思う。
文語の歌と口語の歌が、拮抗しながら詠われ、印象論ではねのけ合わず、互いに踏み込み、理解しようとすること。それがどちらにとっても大切なものを失わない方法のように思うのだ。そしてそれが、あと何十年後かの歌の世界を広いものにする力になっていくと思うのである。
―――――引用ここまで――――――
 
いささか長い引用ですが、梶原さんの論の、これが最終部分です。
日本語で書かれた作品は、現在までの間に膨大な蓄積があります。古典は、そして当然ながら、文語で書かれています。そうした蓄積を全部投げ捨ててしまうのは、あまりにモッタイナイことです。古典は常に最新の作品ですから。純口語短歌に文語の力が付け加わったとすると、それは純口語ではなく、口語文語の混合文体ということになるでしょうか。梶原さんの主張としては、口語脈で作歌する場合にも、日本語の伝統である文語の蓄積を生かす方法が求められているという指摘なのだと、僕は理解しています。
 
さて、こうした文語・口語という二項対立の図式がある場合、その違いが消失する地点を考えるというのも、一つの有効な方法だと思います。つまり、口語と文語とが同じになる地点はどこだろうかと考えるのです。何処でしょう。例えば、今から５００年後、現在の短歌が残っていたとして、５００年後の人達は現在の純口語作品をどのように読むのでしょうか。おそらくは「古典」として読むのでしょう。
 
―――――引用ここから――――――
げにや安楽世界より、今此の娑婆に示現して。われらがための観世音、仰ぐも高し、高き屋に、登りて民の賑ひを、契り置きてし難波津や。三つづつ十と三つの里、札所札所の霊地霊仏廻れば、罪も夏の雲暑くろしとて駕籠をはや。をりはの乞目さぶろくの十八九なるかほよ花。今咲き出しの初花に笠は着ずとも、召さずとも、照る日の神も男神。
近松門左衛門『曽根崎心中』
―――――引用ここまで――――――
 
これ、御存知のとおり、近松門左衛門『曽根崎心中』の有名な冒頭の部分です。３００年前の日本語ですが、これは文語でしょうか、口語でしょうか。
 
―――――引用ここから――――――
さてそも五条あたりにて、夕顔の宿を訪ねしは、日蔭の糸の冠着し、それは名高き人やらん、賀茂の御生れに飾りしは、糸毛の車とこそ聞け、糸桜、色も盛りに咲く頃は、来る人多き春の暮れ、穂に出づる秋の糸すすき、月に夜をや待ちぬらん、今はた賤が繰る糸の、長き命のつれなさを、長き命のつれなさ、思い明石の浦千鳥、音をのみひとり泣き明かす、音をのみひとり泣き明かす。
『黒塚』
―――――引用ここまで――――――
 
これ、能の『黒塚』の有名な糸づくしの部分です。５５０年以上前の日本語ですが、これは文語でしょうか、口語でしょうか。
 
何となくですが、近松さんの日本語も黒塚の日本語も、口語の感じ、語りの言葉が残っているような気がするんです。いずれも３００年・５００年の年代ものの日本語ですが、「文語」という範疇には括れないように感じるのです。もちろん、古典であって、現代語ではあまり使われない詞がはいっています。けれども、声に出して演じられる日本語だからなのか、リズムが良いからなのか、「文語」として括っていいんだろうか、という感覚が残ります。
 
つまり、こうです。口語・文語という対立は、実際は
 
１）古典語の口語　―　２）古典語の文章語
　　　　　　　｜　　　　　　　　　　｜
３）現代語の口語　―　４）現代語の文章語
 
このような構図になっているにも関わらず、僕らは（と書くと、「君と誰とのこと？」と言われちゃいますね）、時に混乱して２と３とを対比して論じていたり、３と４とをいっしょくたにしていたりするのです。ただし、「１）古典語の口語」はすでに復元することはできず、「２）古典語の文章語」の中にその痕跡が残っているだけですし、逆に「４）現代語の文章語」は何をもって、「文章語」とするのか、その範囲が明確ではありません。また「３）現代語の口語」は普段、僕らが使っている話し言葉を「印象」によって分析するしか捉える方法がないということになります。
さて、ではその場合、現代の口語短歌がその言葉の印象から「子供っぽい」というふうに思われるのは、一体なぜなのでしょう？　それは「３）現代語の口語」が子供っぽいのか、「４）現代語の文章語」が子供っぽいのでしょうか？　おそらくそれはどちらでもありません。日常を見まわしてみても、通常に会話をしている人達が全て子供っぽく見えるなんてことはありませんし、現代語の文章語は幼い、なんて言ったら、それこそ幼い思考だと思われるでしょう。
 
恐らくは、現代語の文章語によって短歌を書く場合に、書かれた内容とその文体とが密接に絡み合いながら、「幼さ」を形づくっているのでしょう。いままでの「文章語」にはなかったものが、「４）現代語の文章語」の中にはいりこんでいて、それが「２）古典語の文章語」の伝統のなかに、まだしっくりと接続していない感じがあるのではないでしょうか。
あるいは、そうして形成されている「幼さ」のイメージこそ、現代語の文章語で書かれる短歌にとっての問題点であって、そのイメージの発生のメカニズムや歴史をひもといてみる必要があることなのかもしれません。
 
この辺、もう少し考え続けなければいけませんね。もとより「正解」なんかはありませんが。
 
金木犀の花が香る頃、僕の地元、二本松で秋祭りが開かれます。田舎町にしては大きな祭りで、露天のお店が並んだ様子は、山車と同じく祭りの華です。並んだ露天の端に、昔、僕が子供の頃には見世物子屋が掛かっていました。タカハシさんが出演していなければいいんだけど。黒塚のある安達が原は、二本松の駅からは少し離れた場所にあります。せめて除染が済んでいればいいんですけどね。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>台風も過ぎ、虫の声も聞こえるようになってきました。この欄の担当のタカハシさんから、「毎月、首を長くして待っております。ワタシの首がろくろ首になる前に更新していただけるとありがたいです。（笑）」というメールが、もうずっと前に来ていて、どう見ても「（笑）」が「（怒）」に見えてしまう大井です。そろそろタカハシさんは秋祭りの見世物小屋に出演できるような状態になってしまっているんじゃないかと、心配です。</p>
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<p>先月、この欄で「作者モデル」や「成長する人間」のモデル、なんてことを書いたのですが、「短歌研究」2011年10月号に掲載された現代短歌評論賞の受賞作が、同じような問題点を指摘していたことに、興味を覚えました。</p>
<p>梶原さい子さんの受賞作「短歌の口語化がもたらしたもの――歌の印象からの考察」は、みずからアンケート調査を実施した結果なども利用した、面白い論だと思います。考える刺激を与えられました。</p>
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<p>―――――引用ここから――――――</p>
<p>口語短歌の一番大きな手柄。それは文語に比べ、自分の詠いたいことを率直に、直截的に表せるというところだろう。そのことを求めて歌人達は試行錯誤し、それぞれの時代の、口語が反映された「口語短歌」が作られてきた。</p>
<p>―――――引用ここまで――――――</p>
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<p>こういう書き出しで始まる梶原さんの論は、口語短歌がどのような印象をもって受容されるのか、ということを高校生50人へのアンケート調査から読み解いていきます。口語短歌に対しては、76％の高校生が「子供っぽい」という印象を持ったといいます。つまり50人中の38名です。そうした「子供っぽさ」を「まさにこれは、現在の日本文化そのもの」と論じています。「未成熟さ、かわいらしさを強調したこのような文化こそが、今、日本を席巻し、世界にも発信されている」と。</p>
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<p>―――――引用ここから――――――</p>
<p>今の口語短歌をどう捉えるかというのは、幼形成熟的雰囲気を愛せるかどうかということである。惹かれる人もいるだろう。嫌う人もいるだろう。これは、かなり違いが出るところだと思う。そして、問題は、判断材料があくまで「雰囲気」だということである。中身まで行き着けばいいのだが、その前に幼い「印象」を生理的に受け取らせてしまう。</p>
<p>―――――引用ここまで――――――</p>
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<p>「生理的」とは、いささか言い過ぎだと思いますが、梶原さんの指摘する問題点は理解することができます。大人の雰囲気の文語と、子供の雰囲気の口語とでは、確かに表面上は口語のほうに幼い印象を持つでしょう。例えばそれは、この欄の過去の担当者である島田さん・真中さんの文章と、僕の文章を読み較べてみるだけでも充分理解できるかもしれません。</p>
<p>梶原さんの論は、格助詞の音韻や自然詠の問題などにも意欲的にふれていますので、是非、「短歌研究」誌を御参照下さい（砂子屋さんのブログで、ライバル社の雑誌を宣伝するってのも、まあ）。</p>
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<p>―――――引用ここから――――――</p>
<p>文語短歌の「背伸び」は、はるかなものへの背伸びである。蓄積された先人の世界に触れることが歌を深いものにする。</p>
<p>口語短歌の一番の罪。それは、一人一人が意識しない限り、その幼い印象に甘んじ、はるかなものを失っていこうとしているところである。</p>
<p>　　　＊</p>
<p>これからますます増えるであろう純口語短歌。しかし、そこに、文語の力、文語の世界の厚みが、付け加わればと思う。</p>
<p>文語の歌と口語の歌が、拮抗しながら詠われ、印象論ではねのけ合わず、互いに踏み込み、理解しようとすること。それがどちらにとっても大切なものを失わない方法のように思うのだ。そしてそれが、あと何十年後かの歌の世界を広いものにする力になっていくと思うのである。</p>
<p>―――――引用ここまで――――――</p>
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<p>いささか長い引用ですが、梶原さんの論の、これが最終部分です。</p>
<p>日本語で書かれた作品は、現在までの間に膨大な蓄積があります。古典は、そして当然ながら、文語で書かれています。そうした蓄積を全部投げ捨ててしまうのは、あまりにモッタイナイことです。古典は常に最新の作品ですから。純口語短歌に文語の力が付け加わったとすると、それは純口語ではなく、口語文語の混合文体ということになるでしょうか。梶原さんの主張としては、口語脈で作歌する場合にも、日本語の伝統である文語の蓄積を生かす方法が求められているという指摘なのだと、僕は理解しています。</p>
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<p>さて、こうした文語・口語という二項対立の図式がある場合、その違いが消失する地点を考えるというのも、一つの有効な方法だと思います。つまり、口語と文語とが同じになる地点はどこだろうかと考えるのです。何処でしょう。例えば、今から５００年後、現在の短歌が残っていたとして、５００年後の人達は現在の純口語作品をどのように読むのでしょうか。おそらくは「古典」として読むのでしょう。</p>
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<p>―――――引用ここから――――――</p>
<p>げにや安楽世界より、今此の娑婆に示現して。われらがための観世音、仰ぐも高し、高き屋に、登りて民の賑ひを、契り置きてし難波津や。三つづつ十と三つの里、札所札所の霊地霊仏廻れば、罪も夏の雲暑くろしとて駕籠をはや。をりはの乞目さぶろくの十八九なるかほよ花。今咲き出しの初花に笠は着ずとも、召さずとも、照る日の神も男神。</p>
<p>近松門左衛門『曽根崎心中』</p>
<p>―――――引用ここまで――――――</p>
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<p>これ、御存知のとおり、近松門左衛門『曽根崎心中』の有名な冒頭の部分です。３００年前の日本語ですが、これは文語でしょうか、口語でしょうか。</p>
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<p>―――――引用ここから――――――</p>
<p>さてそも五条あたりにて、夕顔の宿を訪ねしは、日蔭の糸の冠着し、それは名高き人やらん、賀茂の御生れに飾りしは、糸毛の車とこそ聞け、糸桜、色も盛りに咲く頃は、来る人多き春の暮れ、穂に出づる秋の糸すすき、月に夜をや待ちぬらん、今はた賤が繰る糸の、長き命のつれなさを、長き命のつれなさ、思い明石の浦千鳥、音をのみひとり泣き明かす、音をのみひとり泣き明かす。</p>
<p>『黒塚』</p>
<p>―――――引用ここまで――――――</p>
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<p>これ、能の『黒塚』の有名な糸づくしの部分です。５５０年以上前の日本語ですが、これは文語でしょうか、口語でしょうか。</p>
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<p>何となくですが、近松さんの日本語も黒塚の日本語も、口語の感じ、語りの言葉が残っているような気がするんです。いずれも３００年・５００年の年代ものの日本語ですが、「文語」という範疇には括れないように感じるのです。もちろん、古典であって、現代語ではあまり使われない詞がはいっています。けれども、声に出して演じられる日本語だからなのか、リズムが良いからなのか、「文語」として括っていいんだろうか、という感覚が残ります。</p>
<p> </p>
<p>つまり、こうです。口語・文語という対立は、実際は</p>
<p> </p>
<p>１）古典語の口語　―　２）古典語の文章語</p>
<p>　　　　　　　｜　　　　　　　　　　｜</p>
<p>３）現代語の口語　―　４）現代語の文章語</p>
<p> </p>
<p>このような構図になっているにも関わらず、僕らは（と書くと、「君と誰とのこと？」と言われちゃいますね）、時に混乱して２と３とを対比して論じていたり、３と４とをいっしょくたにしていたりするのです。ただし、「１）古典語の口語」はすでに復元することはできず、「２）古典語の文章語」の中にその痕跡が残っているだけですし、逆に「４）現代語の文章語」は何をもって、「文章語」とするのか、その範囲が明確ではありません。また「３）現代語の口語」は普段、僕らが使っている話し言葉を「印象」によって分析するしか捉える方法がないということになります。</p>
<p>さて、ではその場合、現代の口語短歌がその言葉の印象から「子供っぽい」というふうに思われるのは、一体なぜなのでしょう？　それは「３）現代語の口語」が子供っぽいのか、「４）現代語の文章語」が子供っぽいのでしょうか？　おそらくそれはどちらでもありません。日常を見まわしてみても、通常に会話をしている人達が全て子供っぽく見えるなんてことはありませんし、現代語の文章語は幼い、なんて言ったら、それこそ幼い思考だと思われるでしょう。</p>
<p> </p>
<p>恐らくは、現代語の文章語によって短歌を書く場合に、書かれた内容とその文体とが密接に絡み合いながら、「幼さ」を形づくっているのでしょう。いままでの「文章語」にはなかったものが、「４）現代語の文章語」の中にはいりこんでいて、それが「２）古典語の文章語」の伝統のなかに、まだしっくりと接続していない感じがあるのではないでしょうか。</p>
<p>あるいは、そうして形成されている「幼さ」のイメージこそ、現代語の文章語で書かれる短歌にとっての問題点であって、そのイメージの発生のメカニズムや歴史をひもといてみる必要があることなのかもしれません。</p>
<p> </p>
<p>この辺、もう少し考え続けなければいけませんね。もとより「正解」なんかはありませんが。</p>
<p> </p>
<p>金木犀の花が香る頃、僕の地元、二本松で秋祭りが開かれます。田舎町にしては大きな祭りで、露天のお店が並んだ様子は、山車と同じく祭りの華です。並んだ露天の端に、昔、僕が子供の頃には見世物子屋が掛かっていました。タカハシさんが出演していなければいいんだけど。黒塚のある安達が原は、二本松の駅からは少し離れた場所にあります。せめて除染が済んでいればいいんですけどね。</p>
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		<title>adolesco</title>
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		<pubDate>Tue, 30 Aug 2011 23:19:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>大井 学</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[風呂上りにシーブリーズをバシャバシャふりかけたら「あ、寒い」と思うようになったので、もう秋なんですね。大井です。
夏涸れとはよくいったもので何を書こうかと案じているうちに、すっかり時間が経ってしまって、もう今日で八月もお終いです。八月はお盆やら夏休みやらで、あまり短歌のイベントごともないですし、結社の大会などは八月の後半の土日あたりに集中してますから、どうしてもネタがなくなるんですよね。
 
御多聞に漏れず、僕が所属する結社でもミーティングなんかがあって、諸般の事情からインターネット中継（「その模様を動画で見れます」と宣伝したり）してたので、このブログ時評担当のタカハシさんが呆れるほど遅い更新になってしまいました。すみません。
 
さて、こういう光に満ちた夏の季節には、みずみずしい若手女性歌人の歌集を読んでみましょう（この発想がすでにオッサンですね）。
 
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;
 
壁一面の世界地図ある部屋にいて巡りつづける風を迎える
わたくしも子を産めるのと天蓋をゆたかに開くグランドピアノ
図書館の本棚の前に来て立てばわれのうちなる誰かも立てり
青春と呼ばれる日々はいつのまにか終わってしまい川沿いをゆく
『さくら』という母の歌集にぽっとりと春のよだれを垂らしてしまう
楽器など何ひとつ弾けぬてのひらに集まりやすしゆうべの風は
　　　　　　　　　　小島なお『サリンジャーは死んでしまった』
 
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;
 
小島なおさんの第二歌集『サリンジャーは死んでしまった』から引用しました。ルーズソックスが似合いそうだった小島なおさんが、「青春の終り」を歌うなんていささかショックなんだけれど、第二歌集であってみれば、それも仕方がないのかもしれません。十代の感性を確かな定型意識のなかに歌いおさめていた小島さんの、その後の歌作の充実がこうした作品として結実しているのでしょう。けれど「いつのまにか終わってしまい」という言葉の底に、継続していく時間の流れ、「巡りつづける風」を意識している「われ」がいて、その意識がこれらの作品世界の基礎になっているようでもあります。僕の頭のなかには久しぶりにadolescenceという英単語と、その源のadolescoというラテン語の単語が思い出されました。adolescoとは、成長する、増殖する、強くなる、堅固になるという程の意味です。転じて成長すること、成人したばかりの、若い、青年の、という意味となり、adolescenceは、だから青春時代のことです。（「森田公一とトップギャラン」というグループ名を思い出したら、それは完全にオッサンですね。）
二首目の歌は、上句の科白的な言葉がふと途切れた時、意味的な句切れを感じて読んだほうが良いでしょうか。演劇的なワンシーンの描写のようでもあり、また上句の科白を語っている主体を「グランドピアノ」として擬人的に理解する読みも可能かもしれません。韻律的な充足が多様な読みを引き出してくるのは、読者にとっての楽しみでもあります。今回の歌集では、終り近くに「２０１１年３月」という一聯もあり、時代に呼応しながら創作していこうという思いを読み取ることもできます。
 
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;
 
超新星爆発はるかゆたかなる春一番が海わたるとき
八月の森を歩めばいま満ちる合唱のまえの静寂のおと
屋上より舞い落ちてくる紙屑をわけもわからず拾おうとする
台風や稲妻や虹を待つこころどれも豊かで孤独なこころ
森にきて夕立を待つこころとは初めてきみに逢いし日のこころ
 
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;
 
けれどそれ以上に顕著に感じられるのは、これら五首の歌にも見られるような「次へ」を期待する心の在り方でしょうか。「超新星爆発」も「春一番」も、実際はただならぬ事態です。そうした危機に満ちた時を「海わたるとき」という大きな景のなかで捉える。「合唱のまえの静寂のおと」を、さわだつ静寂を感じている。「次の瞬間へ」こころが向い、そこに意識が集まることで、尖鋭化していく「われ」の存在があります。「待つこころ」が「豊かで孤独」なのは、だから「われ」のこころの緊張が生み出す必然の状態でしょう。そうした心のありようを意識し、自らの姿を描き出すことで、また「われ」は成長していくのかもしれません。
 
 
さて、少し前になってしまいましたが、雪舟えまさんの歌集『たんぽるぽる』が今年の四月に上梓されています。あるいは雪舟さんの名前は、穂村弘さんの歌集の、いわばミューズとして御存知の方もいらっしゃるかもしれません。
 
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;
 
「殺虫剤ばんばん浴びて死んだから魂の引取り手がないの」
氷からまみは生まれた。先生の星、すごく速く回るのね、大すき。
吐く。ことの　震え。ることの　泣き。ながらウエイトレスは懺悔。をしない
東京のカタツムリってでっかくて、渦、キモチワルキレイ、熱帯！
　　　　　　　　　　穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し（ウサギ連れ）』
 
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;
 
こうした穂村さんの作品も、すでに懐かしく思われるほどですが、『たんぽるぽる』は「一九九六年～二〇一〇年の作品から選んだ」ということですから、十五年近くの時間を内包した作品群ということになるのでしょう。
 
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;
開会の言葉のあと、ホリゾントに黄緑を上げる。
舞台への登場の場面から観客に見せる。
場についたらサス点灯。
袖からア・カペラで歌いながら登場。
歌い終わりでサス追加。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;
 
これ。なんのことか。
雪舟えまさんが「マラソン・リーディング２００３」に登場したときの舞台演出の台本です。秋月祐一さんがまとめて、僕もちょっとお手伝いした舞台でした。雪舟さんは、フリードリヒ・フォン・シラーの、あのベートーヴェンの第九交響曲で有名な &#8220;An die Freude&#8221; を独自に翻案した詩を、風のようなウィスパー・ヴォイスで朗読していました。台本を見ると、ベートーヴェンがシラーの詩に付け加えた詩句の部分から翻案してあります。（森進一は川内康範の詩に勝手に自分の詩句を付け加えたといって叱られてましたが、ベートーヴェンが第九を書きあげた時にはシラーはすでにElysiumの住人だったのでしたね。あ、関係ないですね。）
 
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;
 
とても私。きましたここへ。とてもここへ。白い帽子を胸にふせ立つ
美容師の指からこの星にはない海の香気が舞い降りてくる
ふと「死ね」と聞こえたようで聞きかえすおやすみなさいの電話の中に
すきになる？　何を　こういうことすべて　自信をもってまちがえる道
たこ焼き屋の手さばきガラスにくっついて見ている　恋がかなわないの
かたつむりって炎なんだね春雷があたしを指名するから行くね
人類へある朝傘が降ってきてみんなとっても似合っているわ
おはじきを水にいれたらおはじき水　ふたつの姓のあいだで遊ぶ
体には心そそがれボタン押すゆびのさきまで心は満ちる
　　　　　　　　　　雪舟えま『たんぽるぽる』
 
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;
 
雪舟さんの、こうした作品に附箋しながら一冊を読んでいました。新鮮さを感じながら、個々の作品においては近代短歌から続く伝統的な感性に接続するものを包含しているようにも思われます。それは「今ここにあることの慄き」であったり、人間の底にある悪意であったり、あるいは身体と心との違和・宥和の感覚、恋の不如意であったり。換言してみればそうした題材が、現在の口語で歌いとめられているからでしょう。
けれど同時に、何か異なるものを感じてしまうのです。小島なおさんの歌集と雪舟えまさんの歌集を読んだ時の感覚のなかに、何か異なるものがあるように思われるのです。
それを「小島さんと雪舟さんの個性の違い」として単純化することはできないのではないでしょうか。小島さんの作品が近代・現代短歌の伝統に即して在るのに対して、雪舟さんの作品は、その流れだけでは説明がつかないような感じがするのです。
 
あるいはそれは「作者モデル」の違いなのかもしれません。人生のステージに応じた成長が人間にはあり、歌人も短歌作品の作中主体の「われ」も、その時々に応じて成長していく。そうした動きのなかにある人間が、歌い、歌われることで成り立っていた「短歌」の世界に、「作者モデル」が異なる作品が出てきているのではないのか。ライフステージに応じて成長、深化する人間の姿を前提としない、だから、「年相応の」などという言葉が意味をなさない作品群があり、そうした作品や作者を捉えるための概念が、いまだ生み出されていないのかもしれません。
こうしたことを言うと「それは短歌の口語化による問題ではないのか」という疑問も湧いてきます。確かに、小島さんと雪舟さんの作品を較べてみると、小島さんのほうが文語脈を感じさせる口語になっているようです。口語脈を多用するか、文語脈に拠るのかによって「成長」という感覚も異なるのではないか、ということもできるかもしれません。確かにそうでしょう。年齢に応じた言葉使いというものがあり、男性の場合、俺・僕から、わたし、わたくし、われ、わし、へと成長するということもできるかもしれない。いや、それはすでに前衛短歌が「われ＝作者」という構造を破壊したのだから、その当然の帰結にほかならないじゃないか、ということもできそうです。けれどもまた一方で、次のような議論も思い起こされるのです。
 
 
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-
 
一つの方法論で何でもみえるのではなくてその方法論の範囲でしか見えぬということを先ず肝に命ずべきであります。例をあげると明星派の方法論ではみえなかった感動の世界がアララギの方法論で見えるようになった。これは事実です。明星派の方法論だけの明治初期にアララギの方法論でみえる世界が存在しなかったのではありません。弓矢で合戦している時代でもその世界は存在していたわけでありますが見えてこなかった。新らしい方法論によって発見されたのであります。これをよく考えていただきたい。現代短歌の世界が素材に関しては戦後に領域が拡大されたことは事実です。だが素材の領域拡大をすぐに短歌の世界の新しい眼がひらけたと勘ちがいしている人があるならとんでもないおめでたい人だ。アララギの方法論はもう安定したものであるからその方法論でみえる世界は楽な世界であり、古い世界であるということが出来ます。（略）
アララギの方法論でみえない世界は私の周囲をとりまいております。いかに生きるかという価値観の世界にふみ入るならば（略）そこに出来合いの方法論ではどうしても間にあわぬもどかしさを感じました。それは自分がこの方法論に未熟練のせいではないかといく度反省し疑ったか知れません。しかし方法というものはもっと本質的なものであると思います。異質の眼です。新しい認識のワクです。
　　　　　岡部桂一郎「病間録―ある夜わが影に向って行った、じめじめした演説―」
 
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-
 
つまりある表現方法には、その方法によって可能となる内容があり、逆にその方法によって不可能となる内容もある、ということになります。岡部さんのこうした考え方を補助線として考えるとどうでしょう。
現在の「口語化」の問題は、誰も「論」として立ててはいません。だから論のなき方法として短歌の世界へ次第に拡がっているわけですが、実際それは新しい方法論なのではないのでしょうか。従来型の方法では表現不可能なものを盛るための器として「口語」が方法論として要請されているとしたら。いままでは見過ごされてきた、感性を「短歌」という型式に盛るための方法として口語があり、その口語を限界ギリギリまで利用することで表現可能となる感性がある、と。
あるいはそれはこれまで子供っぽいとか、「幼児性」やファンタジー的な、という批評語で語られてきたのかもしれません。つまりは「成長する人間」のモデルからは零れてしまう感性というようなものだったということでしょう。そうした、誰しもの心の中にか細く息づいている感性も「口語」という方法によって掬い取ることが可能になったのではないのか。そんな気がしているのです。誰かがそれを方法論として定式化し、それによって可能となった「感動の世界」を論理化する必要があるのではないでしょうか。
 
無論、伝統的な方法によって表現できるものは、まだまだ多様なのですから、そこに繋がることがダメというわけでもなければ、零れた感性を掬いあげることが歌人にとっての喫緊の課題だなど、というわけではありません。どちらに価値があるのか、などという議論はするべくもありませんしね。
 
あ、ベランダで蝉がなきだしました。台風が接近してきているそうですね。朝の風が爽やかです。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>風呂上りにシーブリーズをバシャバシャふりかけたら「あ、寒い」と思うようになったので、もう秋なんですね。大井です。</p>
<p>夏涸れとはよくいったもので何を書こうかと案じているうちに、すっかり時間が経ってしまって、もう今日で八月もお終いです。八月はお盆やら夏休みやらで、あまり短歌のイベントごともないですし、結社の大会などは八月の後半の土日あたりに集中してますから、どうしてもネタがなくなるんですよね。</p>
<p> </p>
<p>御多聞に漏れず、僕が所属する結社でもミーティングなんかがあって、諸般の事情からインターネット中継（「その模様を動画で見れます」と宣伝したり）してたので、このブログ時評担当のタカハシさんが呆れるほど遅い更新になってしまいました。すみません。</p>
<p> </p>
<p>さて、こういう光に満ちた夏の季節には、みずみずしい若手女性歌人の歌集を読んでみましょう（この発想がすでにオッサンですね）。</p>
<p> </p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;</p>
<p> </p>
<p>壁一面の世界地図ある部屋にいて巡りつづける風を迎える</p>
<p>わたくしも子を産めるのと天蓋をゆたかに開くグランドピアノ</p>
<p>図書館の本棚の前に来て立てばわれのうちなる誰かも立てり</p>
<p>青春と呼ばれる日々はいつのまにか終わってしまい川沿いをゆく</p>
<p>『さくら』という母の歌集にぽっとりと春のよだれを垂らしてしまう</p>
<p>楽器など何ひとつ弾けぬてのひらに集まりやすしゆうべの風は</p>
<p>　　　　　　　　　　小島なお『サリンジャーは死んでしまった』</p>
<p> </p>
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<p>小島なおさんの第二歌集『サリンジャーは死んでしまった』から引用しました。ルーズソックスが似合いそうだった小島なおさんが、「青春の終り」を歌うなんていささかショックなんだけれど、第二歌集であってみれば、それも仕方がないのかもしれません。十代の感性を確かな定型意識のなかに歌いおさめていた小島さんの、その後の歌作の充実がこうした作品として結実しているのでしょう。けれど「いつのまにか終わってしまい」という言葉の底に、継続していく時間の流れ、「巡りつづける風」を意識している「われ」がいて、その意識がこれらの作品世界の基礎になっているようでもあります。僕の頭のなかには久しぶりにadolescenceという英単語と、その源のadolescoというラテン語の単語が思い出されました。adolescoとは、成長する、増殖する、強くなる、堅固になるという程の意味です。転じて成長すること、成人したばかりの、若い、青年の、という意味となり、adolescenceは、だから青春時代のことです。（「森田公一とトップギャラン」というグループ名を思い出したら、それは完全にオッサンですね。）</p>
<p>二首目の歌は、上句の科白的な言葉がふと途切れた時、意味的な句切れを感じて読んだほうが良いでしょうか。演劇的なワンシーンの描写のようでもあり、また上句の科白を語っている主体を「グランドピアノ」として擬人的に理解する読みも可能かもしれません。韻律的な充足が多様な読みを引き出してくるのは、読者にとっての楽しみでもあります。今回の歌集では、終り近くに「２０１１年３月」という一聯もあり、時代に呼応しながら創作していこうという思いを読み取ることもできます。</p>
<p> </p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;</p>
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<p>超新星爆発はるかゆたかなる春一番が海わたるとき</p>
<p>八月の森を歩めばいま満ちる合唱のまえの静寂のおと</p>
<p>屋上より舞い落ちてくる紙屑をわけもわからず拾おうとする</p>
<p>台風や稲妻や虹を待つこころどれも豊かで孤独なこころ</p>
<p>森にきて夕立を待つこころとは初めてきみに逢いし日のこころ</p>
<p> </p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;</p>
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<p>けれどそれ以上に顕著に感じられるのは、これら五首の歌にも見られるような「次へ」を期待する心の在り方でしょうか。「超新星爆発」も「春一番」も、実際はただならぬ事態です。そうした危機に満ちた時を「海わたるとき」という大きな景のなかで捉える。「合唱のまえの静寂のおと」を、さわだつ静寂を感じている。「次の瞬間へ」こころが向い、そこに意識が集まることで、尖鋭化していく「われ」の存在があります。「待つこころ」が「豊かで孤独」なのは、だから「われ」のこころの緊張が生み出す必然の状態でしょう。そうした心のありようを意識し、自らの姿を描き出すことで、また「われ」は成長していくのかもしれません。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>さて、少し前になってしまいましたが、雪舟えまさんの歌集『たんぽるぽる』が今年の四月に上梓されています。あるいは雪舟さんの名前は、穂村弘さんの歌集の、いわばミューズとして御存知の方もいらっしゃるかもしれません。</p>
<p> </p>
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<p> </p>
<p>「殺虫剤ばんばん浴びて死んだから魂の引取り手がないの」</p>
<p>氷からまみは生まれた。先生の星、すごく速く回るのね、大すき。</p>
<p>吐く。ことの　震え。ることの　泣き。ながらウエイトレスは懺悔。をしない</p>
<p>東京のカタツムリってでっかくて、渦、キモチワルキレイ、熱帯！</p>
<p>　　　　　　　　　　穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し（ウサギ連れ）』</p>
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<p>こうした穂村さんの作品も、すでに懐かしく思われるほどですが、『たんぽるぽる』は「一九九六年～二〇一〇年の作品から選んだ」ということですから、十五年近くの時間を内包した作品群ということになるのでしょう。</p>
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<p>開会の言葉のあと、ホリゾントに黄緑を上げる。</p>
<p>舞台への登場の場面から観客に見せる。</p>
<p>場についたらサス点灯。</p>
<p>袖からア・カペラで歌いながら登場。</p>
<p>歌い終わりでサス追加。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;</p>
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<p>これ。なんのことか。</p>
<p>雪舟えまさんが「マラソン・リーディング２００３」に登場したときの舞台演出の台本です。秋月祐一さんがまとめて、僕もちょっとお手伝いした舞台でした。雪舟さんは、フリードリヒ・フォン・シラーの、あのベートーヴェンの第九交響曲で有名な &#8220;An die Freude&#8221; を独自に翻案した詩を、風のようなウィスパー・ヴォイスで朗読していました。台本を見ると、ベートーヴェンがシラーの詩に付け加えた詩句の部分から翻案してあります。（森進一は川内康範の詩に勝手に自分の詩句を付け加えたといって叱られてましたが、ベートーヴェンが第九を書きあげた時にはシラーはすでにElysiumの住人だったのでしたね。あ、関係ないですね。）</p>
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<p>とても私。きましたここへ。とてもここへ。白い帽子を胸にふせ立つ</p>
<p>美容師の指からこの星にはない海の香気が舞い降りてくる</p>
<p>ふと「死ね」と聞こえたようで聞きかえすおやすみなさいの電話の中に</p>
<p>すきになる？　何を　こういうことすべて　自信をもってまちがえる道</p>
<p>たこ焼き屋の手さばきガラスにくっついて見ている　恋がかなわないの</p>
<p>かたつむりって炎なんだね春雷があたしを指名するから行くね</p>
<p>人類へある朝傘が降ってきてみんなとっても似合っているわ</p>
<p>おはじきを水にいれたらおはじき水　ふたつの姓のあいだで遊ぶ</p>
<p>体には心そそがれボタン押すゆびのさきまで心は満ちる</p>
<p>　　　　　　　　　　雪舟えま『たんぽるぽる』</p>
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<p>雪舟さんの、こうした作品に附箋しながら一冊を読んでいました。新鮮さを感じながら、個々の作品においては近代短歌から続く伝統的な感性に接続するものを包含しているようにも思われます。それは「今ここにあることの慄き」であったり、人間の底にある悪意であったり、あるいは身体と心との違和・宥和の感覚、恋の不如意であったり。換言してみればそうした題材が、現在の口語で歌いとめられているからでしょう。</p>
<p>けれど同時に、何か異なるものを感じてしまうのです。小島なおさんの歌集と雪舟えまさんの歌集を読んだ時の感覚のなかに、何か異なるものがあるように思われるのです。</p>
<p>それを「小島さんと雪舟さんの個性の違い」として単純化することはできないのではないでしょうか。小島さんの作品が近代・現代短歌の伝統に即して在るのに対して、雪舟さんの作品は、その流れだけでは説明がつかないような感じがするのです。</p>
<p> </p>
<p>あるいはそれは「作者モデル」の違いなのかもしれません。人生のステージに応じた成長が人間にはあり、歌人も短歌作品の作中主体の「われ」も、その時々に応じて成長していく。そうした動きのなかにある人間が、歌い、歌われることで成り立っていた「短歌」の世界に、「作者モデル」が異なる作品が出てきているのではないのか。ライフステージに応じて成長、深化する人間の姿を前提としない、だから、「年相応の」などという言葉が意味をなさない作品群があり、そうした作品や作者を捉えるための概念が、いまだ生み出されていないのかもしれません。</p>
<p>こうしたことを言うと「それは短歌の口語化による問題ではないのか」という疑問も湧いてきます。確かに、小島さんと雪舟さんの作品を較べてみると、小島さんのほうが文語脈を感じさせる口語になっているようです。口語脈を多用するか、文語脈に拠るのかによって「成長」という感覚も異なるのではないか、ということもできるかもしれません。確かにそうでしょう。年齢に応じた言葉使いというものがあり、男性の場合、俺・僕から、わたし、わたくし、われ、わし、へと成長するということもできるかもしれない。いや、それはすでに前衛短歌が「われ＝作者」という構造を破壊したのだから、その当然の帰結にほかならないじゃないか、ということもできそうです。けれどもまた一方で、次のような議論も思い起こされるのです。</p>
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<p>一つの方法論で何でもみえるのではなくてその方法論の範囲でしか見えぬということを先ず肝に命ずべきであります。例をあげると明星派の方法論ではみえなかった感動の世界がアララギの方法論で見えるようになった。これは事実です。明星派の方法論だけの明治初期にアララギの方法論でみえる世界が存在しなかったのではありません。弓矢で合戦している時代でもその世界は存在していたわけでありますが見えてこなかった。新らしい方法論によって発見されたのであります。これをよく考えていただきたい。現代短歌の世界が素材に関しては戦後に領域が拡大されたことは事実です。だが素材の領域拡大をすぐに短歌の世界の新しい眼がひらけたと勘ちがいしている人があるならとんでもないおめでたい人だ。アララギの方法論はもう安定したものであるからその方法論でみえる世界は楽な世界であり、古い世界であるということが出来ます。（略）</p>
<p>アララギの方法論でみえない世界は私の周囲をとりまいております。いかに生きるかという価値観の世界にふみ入るならば（略）そこに出来合いの方法論ではどうしても間にあわぬもどかしさを感じました。それは自分がこの方法論に未熟練のせいではないかといく度反省し疑ったか知れません。しかし方法というものはもっと本質的なものであると思います。異質の眼です。新しい認識のワクです。</p>
<p>　　　　　岡部桂一郎「病間録―ある夜わが影に向って行った、じめじめした演説―」</p>
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<p>&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
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<p>つまりある表現方法には、その方法によって可能となる内容があり、逆にその方法によって不可能となる内容もある、ということになります。岡部さんのこうした考え方を補助線として考えるとどうでしょう。</p>
<p>現在の「口語化」の問題は、誰も「論」として立ててはいません。だから論のなき方法として短歌の世界へ次第に拡がっているわけですが、実際それは新しい方法論なのではないのでしょうか。従来型の方法では表現不可能なものを盛るための器として「口語」が方法論として要請されているとしたら。いままでは見過ごされてきた、感性を「短歌」という型式に盛るための方法として口語があり、その口語を限界ギリギリまで利用することで表現可能となる感性がある、と。</p>
<p>あるいはそれはこれまで子供っぽいとか、「幼児性」やファンタジー的な、という批評語で語られてきたのかもしれません。つまりは「成長する人間」のモデルからは零れてしまう感性というようなものだったということでしょう。そうした、誰しもの心の中にか細く息づいている感性も「口語」という方法によって掬い取ることが可能になったのではないのか。そんな気がしているのです。誰かがそれを方法論として定式化し、それによって可能となった「感動の世界」を論理化する必要があるのではないでしょうか。</p>
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<p>無論、伝統的な方法によって表現できるものは、まだまだ多様なのですから、そこに繋がることがダメというわけでもなければ、零れた感性を掬いあげることが歌人にとっての喫緊の課題だなど、というわけではありません。どちらに価値があるのか、などという議論はするべくもありませんしね。</p>
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<p>あ、ベランダで蝉がなきだしました。台風が接近してきているそうですね。朝の風が爽やかです。</p>
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