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	<title>月のコラム</title>
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	<description>鞦韆録</description>
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		<title>「わかる」ということ</title>
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		<pubDate>Thu, 02 Sep 2010 07:09:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>真中 朋久</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.sunagoya.com/jihyo/?p=232</guid>
		<description><![CDATA[大松達知が「コスモス」１０月号の「展望」欄に「わからない、ということ」という文章を書いている。※１
直接には、「短歌研究」７月号の「批評について思うこと」という特集の中にある、吉川宏志「〈わからない〉を超える」という文章に対して書かれたものであり、さらに吉川の文章は、「短歌現代」４月号の来嶋靖生「『命』を韻律にのせる」を例にあげて論じているものである。
本欄でも、少しだけ触れた（※２）が「短歌研究」の批評を主題にした特集は６月号に続くものであり、それに触れて書いた人も何人かあった。すこし前の青磁社時評の川本千栄が口火を切った「批評」の在り方についてのあれこれの応答も、私としては何か消化不良な感じがするが、「批評」はどうあるべきかということについて、しばしば議論になることがあるようだ。
　　　＊
広げると収拾がつかなくなるので、とりあえず吉川と大松の論をたどってみようと思う。
吉川はどういうことを言っているかといえば、本人が一文で要約している。
&#8212;&#8212;引用ここから&#8212;&#8212;
短歌の批評において「わからない』「理解できない」という言葉を性急に使わないほうがいいのではないか。
&#8212;&#8212;引用ここまで&#8212;&#8212;
わからない歌はある。けれど、いきなり「わからない」とは言わず一歩踏み込んで考えてみる。そのうえで少しわかるのか、わかってしまってつまらないのか、そういうことを論じ合うことが大事だということである。「『私は、この歌はよくわからないけれど、このように読んでみました。あなたはどのように読みますか。』という問いかけが存在していること。それが〈開かれた批評〉というものではなかろうか」と結ぶ。
それに対して、大松はこう書く。
&#8212;&#8212;引用ここから&#8212;&#8212;
しかし、実際には〈深くて難解でわからない〉のではなく、〈語彙文法面の配慮不足でわからない〉歌が多すぎると思う。読者に確実に言葉を手渡そうとするよりも、整理未然の言葉の断片を提示したとしか思えない不全な歌が多いのだ。その破片を拡大して深読みするよりも、「わからないなあ」と態度を保留することが作品に対して真摯なのではないか。〈吉川はそういう状況を踏まえた上で、敢えて言っているように思えるが。〉
&#8212;&#8212;引用ここまで&#8212;&#8212;
なるほど両面あるだろうなあと思う。
一歩踏み込めば、あるいはちょっとした推敲のポイントを示唆するようにいくつかの解釈を検討しながら読むような批評であれば、ぐんぐん立ちあがってゆく歌が、「わからない」と拒絶されることで失われてしまう場面。逆に単なる推敲不足をことさらに妙味として持ち上げたり、素材あるいは主題を過剰に読みとることで作品と作者をスポイルしてしまったり。
この応答について言えば、（大松も押えているように）吉川は「敢えて」言っているのであり、また「性急に」という前提で言っているのであって、具体的な批評の場面では、これはやはり両面が必要なのだ。
吉川と同じ結社に属しているから、吉川に加勢するために出てきたわけではないのだが、もうすこし具体的な場面について書いておこう。
歌会の場などでは、吉川が良いという作品を、私が「無理では？」といったり、私が肯定する作品の欠点を吉川が突いたり……ということがよくある。互いに攻守変えながら両面をやっているのだ。足りないところを突いてくれたり埋めてくれたりすると思えば、思い切ったことが言える。「わからないなあ」と言いきったうえで「吉川さんどうです？」と振ることもできるし、欠点がいろいろあっても、思い切って「迎えた」批評をすることもできるのだ。
これが、批評の「しんがり」を一人で対応しなければならないような場面（教室、ゲストで招かれた歌会など）になると、とても緊張する。活字の批評でも、基本的には両面を押えなければならないだろう。
このあたりは、一般論であるが、大松の苛立ちは、その次の部分のほうにあるのだろう。
&#8212;&#8212;引用ここから&#8212;&#8212;
ある狭い枠組みの中だけでの作品生産・享受システムはまだ残っているだろう。しかし同時に、結社での言葉の修練をしない層が多く台頭している。彼らは、散文に還元すれば興味深い内容を生み出している。知的に武装する。しかし、まだ表現面での鍛錬が行き届かないうちから、ひとりひとりが「作者」として尊重されすぎているようだ。集団的な裸の王様状態に陥っている可能性もある。
だから、きちんと「わからない」と言うことは不可欠なのだ。こちらから不完全な表現に擦り寄ってゆくのは良いことではない。
&#8212;&#8212;引用ここまで&#8212;&#8212;
さあどうだろう。若い作者に迎合する批評もあるだろうなあ、とあれこれ思い浮かべるが、大松が名指しの批判をしていないので、私も漠然と思い浮かべるのみである。
これはこれで望ましくないことであるけれど、ひょっとすると、既成の枠組みの中のベテランが「わからない」と言ってしまうことが、彼らを「裸の王様」の集団に向かわせてしまうということもあるかもしれない。
まず「わからないなあ」と言うにしても、やはりそれに続けて、どこが問題なのか。作者またはその周囲が「散文に還元」して言うことなどに耳を傾けて、具体的に技術批評を加えてゆくことではないか。とりあえずは「わかろうとする姿勢」で臨むことではないか。
いずれにしても、じっくりと読んでゆかなければならないのだと思う。大松が、石川美南の書いていること（「短歌研究」７月号の上述の特集）に触れて、笹井宏之の作品「とれたての公務員からしぼりとる真冬の星の匂いの公務」について、これなどは「『無理』であろう。こちらから暗号を解読するように理解を進める価値があるほどの歌とは思えない」というのは、私にはやはりちょっと性急なように思う。
解釈は分かれるだろう。それはそれとして、私などはこの作品から、寒夜に佇む若い公務員（あるいはそれを見ている誰か）の痛みのようなものは、ごく自然に伝わってくる。それで完全にわかったとは思えないが、わかり得る作品ではないのか。
大松はこう書く。
&#8212;&#8212;引用ここから&#8212;&#8212;
短歌はもっと肩肘張らず、一読してわかるかどうか、知の前に情で把握する面が大きいのではないか。だから、わかるように作られていなくてはならないと思う。
&#8212;&#8212;引用ここまで&#8212;&#8212;
「知」よりも「情」か。それぞれどう定義するかにもよるが、「知」とは解釈であるとすれば、笹井の歌は、その面では困難があるかもしれない。「わかる」とはどういうことかといえば、解釈可能とは、またちょっと別なことで、それを大松は「情で把握する」というのだろうけれど。
　　　＊
斉藤斎藤が、「歌壇」９月号の時評でこんなことを書いている。
&#8212;&#8212;引用ここから&#8212;&#8212;
〈私〉の感情や出来事が、読者から見てありふれすぎたり激しすぎたりし「リアルではない」場合、作者はもはや近代のように「事実ですから」とは開き直れない。かくして、リアルではない現実が、歌から排除されてゆく。作者は、読者から見える〈私〉を鏡に見ながら、じぶんの顔にできるだけナチュラルな化粧をほどこす。（略）平均値からほどよくずれたリアルな〈私〉が大量生産されてゆく。
&#8212;&#8212;引用ここまで&#8212;&#8212;
前衛短歌以前と、前衛、そしてそれ以後の「私」について、最近のは「短歌の〈私〉は風通しのあまりよくない場所に押し込められているように思う」と言う。斉藤斎藤らしい文体（？）で、いくらか論旨をたどりにくいが、この部分については作歌と批評の現場で、ありがちなことであり、そういうことが多いと言われればそうかもしれない。
世代が違ったり、置かれた環境が違うと知らないことが多い。完全にはわからない。我々にとっては高齢者の昔の生活の、あるいは戦争体験の実相がわからない。高度成長期～バブル期に働いてきた者には、いまの若いひとたちの労働環境がわからない。
高齢者の経験については、それを表現するための典型（ステレオタイプ）がいくつもできあがっていて、ちょっとした修練があれば「わかる」作品になるかもしれない。典型からちょっとずつずらして「新鮮な」作品が生み出されるかもしれない。しかしそれとて読者にとっての「リアル」に押し込められたものだとすれば、真実をどこかで取り逃がしていることになる。
若い人の現実のほうといえば、これは理解される典型すら模索中であるだろう。眼前の現実を「散文に還元」しても「うそだろ！」と言われてしまうこともあるらしい。「わかるように作られていなくてはならない」は大事だが、そのことのためにどこか切り縮めて表現するならば、ずいぶん狭い世界になってしまうだろう。そもそも本人にもいわく言い難い感情というものがあって、なんでもかんでも「わかるように」と言われれば、それは「作品をつくるな」ということに等しい……とまで言うと、これはまた話がそれるかもしれないが。
他者を完全にわかることはできない。他者なのだから。とはいえ、同じ人間として、全くわからないはずはない。そういうところに橋をかけてゆくのが、読むということだろうと思うのだ。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;
※１　ここで読ませていただいた。
http://pinecones.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-ddb1.html
※２　出発点にする～批評について
http://www.sunagoya.com/jihyo/?p=221
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>大松達知が「コスモス」１０月号の「展望」欄に「わからない、ということ」という文章を書いている。※１<br />
直接には、「短歌研究」７月号の「批評について思うこと」という特集の中にある、吉川宏志「〈わからない〉を超える」という文章に対して書かれたものであり、さらに吉川の文章は、「短歌現代」４月号の来嶋靖生「『命』を韻律にのせる」を例にあげて論じているものである。<br />
本欄でも、少しだけ触れた（※２）が「短歌研究」の批評を主題にした特集は６月号に続くものであり、それに触れて書いた人も何人かあった。すこし前の青磁社時評の川本千栄が口火を切った「批評」の在り方についてのあれこれの応答も、私としては何か消化不良な感じがするが、「批評」はどうあるべきかということについて、しばしば議論になることがあるようだ。</p>
<p>　　　＊</p>
<p>広げると収拾がつかなくなるので、とりあえず吉川と大松の論をたどってみようと思う。</p>
<p>吉川はどういうことを言っているかといえば、本人が一文で要約している。</p>
<p>&#8212;&#8212;引用ここから&#8212;&#8212;<br />
短歌の批評において「わからない』「理解できない」という言葉を性急に使わないほうがいいのではないか。<br />
&#8212;&#8212;引用ここまで&#8212;&#8212;</p>
<p>わからない歌はある。けれど、いきなり「わからない」とは言わず一歩踏み込んで考えてみる。そのうえで少しわかるのか、わかってしまってつまらないのか、そういうことを論じ合うことが大事だということである。「『私は、この歌はよくわからないけれど、このように読んでみました。あなたはどのように読みますか。』という問いかけが存在していること。それが〈開かれた批評〉というものではなかろうか」と結ぶ。</p>
<p>それに対して、大松はこう書く。</p>
<p>&#8212;&#8212;引用ここから&#8212;&#8212;<br />
しかし、実際には〈深くて難解でわからない〉のではなく、〈語彙文法面の配慮不足でわからない〉歌が多すぎると思う。読者に確実に言葉を手渡そうとするよりも、整理未然の言葉の断片を提示したとしか思えない不全な歌が多いのだ。その破片を拡大して深読みするよりも、「わからないなあ」と態度を保留することが作品に対して真摯なのではないか。〈吉川はそういう状況を踏まえた上で、敢えて言っているように思えるが。〉<br />
&#8212;&#8212;引用ここまで&#8212;&#8212;</p>
<p>なるほど両面あるだろうなあと思う。</p>
<p>一歩踏み込めば、あるいはちょっとした推敲のポイントを示唆するようにいくつかの解釈を検討しながら読むような批評であれば、ぐんぐん立ちあがってゆく歌が、「わからない」と拒絶されることで失われてしまう場面。逆に単なる推敲不足をことさらに妙味として持ち上げたり、素材あるいは主題を過剰に読みとることで作品と作者をスポイルしてしまったり。<br />
この応答について言えば、（大松も押えているように）吉川は「敢えて」言っているのであり、また「性急に」という前提で言っているのであって、具体的な批評の場面では、これはやはり両面が必要なのだ。</p>
<p>吉川と同じ結社に属しているから、吉川に加勢するために出てきたわけではないのだが、もうすこし具体的な場面について書いておこう。<br />
歌会の場などでは、吉川が良いという作品を、私が「無理では？」といったり、私が肯定する作品の欠点を吉川が突いたり……ということがよくある。互いに攻守変えながら両面をやっているのだ。足りないところを突いてくれたり埋めてくれたりすると思えば、思い切ったことが言える。「わからないなあ」と言いきったうえで「吉川さんどうです？」と振ることもできるし、欠点がいろいろあっても、思い切って「迎えた」批評をすることもできるのだ。<br />
これが、批評の「しんがり」を一人で対応しなければならないような場面（教室、ゲストで招かれた歌会など）になると、とても緊張する。活字の批評でも、基本的には両面を押えなければならないだろう。</p>
<p>このあたりは、一般論であるが、大松の苛立ちは、その次の部分のほうにあるのだろう。</p>
<p>&#8212;&#8212;引用ここから&#8212;&#8212;<br />
ある狭い枠組みの中だけでの作品生産・享受システムはまだ残っているだろう。しかし同時に、結社での言葉の修練をしない層が多く台頭している。彼らは、散文に還元すれば興味深い内容を生み出している。知的に武装する。しかし、まだ表現面での鍛錬が行き届かないうちから、ひとりひとりが「作者」として尊重されすぎているようだ。集団的な裸の王様状態に陥っている可能性もある。<br />
だから、きちんと「わからない」と言うことは不可欠なのだ。こちらから不完全な表現に擦り寄ってゆくのは良いことではない。<br />
&#8212;&#8212;引用ここまで&#8212;&#8212;</p>
<p>さあどうだろう。若い作者に迎合する批評もあるだろうなあ、とあれこれ思い浮かべるが、大松が名指しの批判をしていないので、私も漠然と思い浮かべるのみである。<br />
これはこれで望ましくないことであるけれど、ひょっとすると、既成の枠組みの中のベテランが「わからない」と言ってしまうことが、彼らを「裸の王様」の集団に向かわせてしまうということもあるかもしれない。<br />
まず「わからないなあ」と言うにしても、やはりそれに続けて、どこが問題なのか。作者またはその周囲が「散文に還元」して言うことなどに耳を傾けて、具体的に技術批評を加えてゆくことではないか。とりあえずは「わかろうとする姿勢」で臨むことではないか。</p>
<p>いずれにしても、じっくりと読んでゆかなければならないのだと思う。大松が、石川美南の書いていること（「短歌研究」７月号の上述の特集）に触れて、笹井宏之の作品「とれたての公務員からしぼりとる真冬の星の匂いの公務」について、これなどは「『無理』であろう。こちらから暗号を解読するように理解を進める価値があるほどの歌とは思えない」というのは、私にはやはりちょっと性急なように思う。<br />
解釈は分かれるだろう。それはそれとして、私などはこの作品から、寒夜に佇む若い公務員（あるいはそれを見ている誰か）の痛みのようなものは、ごく自然に伝わってくる。それで完全にわかったとは思えないが、わかり得る作品ではないのか。</p>
<p>大松はこう書く。</p>
<p>&#8212;&#8212;引用ここから&#8212;&#8212;<br />
短歌はもっと肩肘張らず、一読してわかるかどうか、知の前に情で把握する面が大きいのではないか。だから、わかるように作られていなくてはならないと思う。<br />
&#8212;&#8212;引用ここまで&#8212;&#8212;</p>
<p>「知」よりも「情」か。それぞれどう定義するかにもよるが、「知」とは解釈であるとすれば、笹井の歌は、その面では困難があるかもしれない。「わかる」とはどういうことかといえば、解釈可能とは、またちょっと別なことで、それを大松は「情で把握する」というのだろうけれど。</p>
<p>　　　＊</p>
<p>斉藤斎藤が、「歌壇」９月号の時評でこんなことを書いている。</p>
<p>&#8212;&#8212;引用ここから&#8212;&#8212;<br />
〈私〉の感情や出来事が、読者から見てありふれすぎたり激しすぎたりし「リアルではない」場合、作者はもはや近代のように「事実ですから」とは開き直れない。かくして、リアルではない現実が、歌から排除されてゆく。作者は、読者から見える〈私〉を鏡に見ながら、じぶんの顔にできるだけナチュラルな化粧をほどこす。（略）平均値からほどよくずれたリアルな〈私〉が大量生産されてゆく。<br />
&#8212;&#8212;引用ここまで&#8212;&#8212;</p>
<p>前衛短歌以前と、前衛、そしてそれ以後の「私」について、最近のは「短歌の〈私〉は風通しのあまりよくない場所に押し込められているように思う」と言う。斉藤斎藤らしい文体（？）で、いくらか論旨をたどりにくいが、この部分については作歌と批評の現場で、ありがちなことであり、そういうことが多いと言われればそうかもしれない。</p>
<p>世代が違ったり、置かれた環境が違うと知らないことが多い。完全にはわからない。我々にとっては高齢者の昔の生活の、あるいは戦争体験の実相がわからない。高度成長期～バブル期に働いてきた者には、いまの若いひとたちの労働環境がわからない。<br />
高齢者の経験については、それを表現するための典型（ステレオタイプ）がいくつもできあがっていて、ちょっとした修練があれば「わかる」作品になるかもしれない。典型からちょっとずつずらして「新鮮な」作品が生み出されるかもしれない。しかしそれとて読者にとっての「リアル」に押し込められたものだとすれば、真実をどこかで取り逃がしていることになる。<br />
若い人の現実のほうといえば、これは理解される典型すら模索中であるだろう。眼前の現実を「散文に還元」しても「うそだろ！」と言われてしまうこともあるらしい。「わかるように作られていなくてはならない」は大事だが、そのことのためにどこか切り縮めて表現するならば、ずいぶん狭い世界になってしまうだろう。そもそも本人にもいわく言い難い感情というものがあって、なんでもかんでも「わかるように」と言われれば、それは「作品をつくるな」ということに等しい……とまで言うと、これはまた話がそれるかもしれないが。</p>
<p>他者を完全にわかることはできない。他者なのだから。とはいえ、同じ人間として、全くわからないはずはない。そういうところに橋をかけてゆくのが、読むということだろうと思うのだ。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;<br />
※１　ここで読ませていただいた。<br />
<a href="http://pinecones.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-ddb1.html">http://pinecones.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-ddb1.html</a><br />
※２　出発点にする～批評について<br />
<a href="http://www.sunagoya.com/jihyo/?p=221">http://www.sunagoya.com/jihyo/?p=221</a></p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>「機械力専制」のこと</title>
		<link>http://www.sunagoya.com/jihyo/?p=228</link>
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		<pubDate>Mon, 09 Aug 2010 15:23:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>真中 朋久</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.sunagoya.com/jihyo/?p=228</guid>
		<description><![CDATA[同人誌「Ｓａｉ」の特集「工場（つくる）」を持ち歩いて、あれこれ考えている。いろいろなことを考えさせる企画だった。
川崎の地帯でいくつかの工場の見学をしながらの合宿歌会の記録および合宿参加者の作品を中心に、玲はる名による評論「『工場』という穴場」、生沼義朗、高島裕のそれぞれ７０首、５０首を巻頭に据える。
文中にも何度か言及されているように、「工場萌え」などという言葉が出てくるような、ある種のノスタルジーとしての工場への視線というのもあるらしい。しかし現実に工場というものがなければ私たちの生活も維持されない。一口にノスタルジーといっても、甘い感傷にひたるばかりでもなく、近代日本を歴史的に振り返ってものを考えることに意義はあるだろう。そしてまた普段そういう世界に足を踏み入れることが無い人にとっては「『ここは立ち入り禁止区域です』という無機的なアナウンスが大音量で繰り返されていた」というような場所は、「心胆を寒からしめ」るもの（岸野亜紗子）であり、夢とかＳＦ的な妄想とか、つまり表現としては喩の噴出を感じるような場であるだろう。そのあたりの、さまざまなアプローチも、合宿歌会での議論に窺える。
　　　＊
作品をいくつか引く。
たとえば盛田志保子「無題」は、合宿に参加しての作品ではないようだ。
・工場を背にして父が飛ばしてたラジコン飛行機川面に落ちる
これなどはノスタルジーに近い作品。工場の街に育った私としては、とても懐かしく感じる。今でももちろん住宅地の近くに工場のあるような場所はあるけれど、工場らしい工場は、遠方の工業団地や、さらに海外に移転してしまう。工場の跡地にマンションやショッピングセンターが建ってゆく。こんなふうな場面の切り取り方をすると、いかにも「昭和」という感じになる。
合宿参加者の作品も、いろいろな系列の作品があるが、たとえば松村正直「鶴見線、その他」は、土屋文明の「機械力専制」に言及し、リアリズムで工場地帯の風景を描写しつつ、こんな作品も並べてゆく。
・ふとぶとと脈を打ちつつ流れゆくこの生殖のちからを思え
さらに黒瀬珂瀾「夢を作る」も、リアリズムの作品を配しながら、「夢」ということを言う。
・尖塔のさびしきまでに天に噴く炎よ　夢なりき製油所は
工場にもいろいろあって、土屋文明『山谷集』ならば〈小工場に酸素溶接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす〉のようなものから、〈吾が見るは鶴見埋立地の一隅ながらほしいままなり機械力専制は〉というものまであり、とくに後者のほうのような圧倒的な物量の前に立たされるとき、奇妙に現実感のない感覚に誘われるということはある。「夢」というのが、むしろ実感であったりするのだ。
合宿作品の中で、最も過激（奇妙）なのは、今橋愛の次の作品か。
・野生動物の反たひ語は家畜／工場の反たひ語は／〓　〓　〓／なに？
本欄は書式制御がちょっと難いので改行を「／」として一行で引く。また〓は四分休符（カラスかコウモリのような「休み」を示す音符）。多行書きや、意図的なのか怪しげな仮名遣い（これは認めたくないが）はともかく、いきなり「反対語」を持ち出してくるのが面白い。
この過激さのまま行くのかというと、詞書をまじえながら、父親らしき人物も引き寄せてみせる。
・「工場つてゆうたつて結局はそこにいるひとやからなあ」つて言ひさう。
ああそうだ。ベテランはそう言うだろうと思う。「言ひさう」というあたりで、予期してしまい、しかしそれを肯うでもなく否定するわけでもなく、ただ何かもやもややしたものを読者との間に投げ出してみる。
　　　＊
ところで、この特集では「工場」と書いて「つくる」と振る。素朴には「工場」とは、ものをつくるところだ。もっとも、清掃工場（最近は「クリーン・センター」などと呼ばれることもある）は何をつくるのかというと首をかしげてしまう。「修理工場」というのも、「つくる」というのとはちょっと違う。発電所は工場と呼ばないけれど、臨海工業地帯にあって、かたちのないエネルギーを生産している。
そういうことを思いながら巻頭にもどって、生沼義朗「ものつくる」７０首を読んでいると、
・生者は青の、死者はグレイのストレッチャーで運ばれておりそれぞれの室に
・救急室ロビーのテレビモニターは鏡となりて遺族を映す
・胃カメラを挿管すれば率直な反応として嘔吐は返る
といった作品があらわれる。
かならずしも「工場」ということではなく「労働の現場」ということで配置された作品なのかもしれないが、しかしこれはもう「工場」ではないか。
じつに、あらゆるところが「工場」なのだ。学校が「教育工場」になっているというのは１９８０年代の議論であるけれど、その時代とはまた別の意味で、工場化が進行しているように思う。「機械力専制」とは、歯車とか回転軸とかのことではなく、土屋文明の時代も現在をもつらぬく、人間を優先しないシステムのことなのである。もちろん時代によって大きく違うところはたくさんあるだろうけれど、そういうシステムは、必ずしも「つくる」というポジティブな言葉で言いつくせるものではないのではないか。もちろんそういうことを充分に含んだ上で、「つくる」ということにこだわる場面もあるわけだが。
かつては技能に裏付けられた自信と、集団の規律というものが工場の基盤であった。「結局はそこにいるひと」というのはそういうことだろう。しかし、巨大化と合理化が進んでくると、何かあったときには人間業では対応できなくなる。自分で考えて行動するのではなく、マニュアルどおり、あるいはシステムの指示どおりに行動するのが無難だということになると、それはもう、ほとんど責任を負うためだけに人がそこにいるというようなこともある。
そういうところでモラルを保つのは容易ではない。多くの「現場」は、おそらくそういう問題を抱えているだろう。
工場地帯を遠望し、耳目を全開にして見学コースを歩く歌人の想像力は届いているか。そして、私たちに、私たちの生活のありさまは見えているだろうか。そしてまたそれぞれの「現場」にいる歌人は、ぴりぴりと感じていることを言葉にできているか。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;
※
私が工場について考えるときに参照するのは、少々古い本であるけれど、大工場については中岡哲郎『コンビナートの労働と社会』（平凡社,1974）、小工場は小関智弘の諸書、たとえば『春は鉄までが匂った』（晩声社,1979……ちくま文庫,2004）などである。
中岡は、鹿島地域のコンビナートに働く人々と、地域の変貌を丁寧に取材し、いきいきと描きだした。石油ショック以前の、経済成長が信じられていた時期のこと。最新式の工場では滅多に事故は起こらず（つまりは経験を積むこともできず）、しかし一度事故が起これば命を失うかもしれない。そんな現場を、深夜に一人で点検してまわる作業員の感じている恐怖など、とても印象的であった。この本に出会って十数年後、バブル後のリストラ（人員削減と高度なシステム化）の現場でも、基本的にはほとんど同じことが（事故の程度はそれぞれ違うけれど）起こっていることに驚いたのだった。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>同人誌「Ｓａｉ」の特集「工場（つくる）」を持ち歩いて、あれこれ考えている。いろいろなことを考えさせる企画だった。<br />
川崎の地帯でいくつかの工場の見学をしながらの合宿歌会の記録および合宿参加者の作品を中心に、玲はる名による評論「『工場』という穴場」、生沼義朗、高島裕のそれぞれ７０首、５０首を巻頭に据える。<br />
文中にも何度か言及されているように、「工場萌え」などという言葉が出てくるような、ある種のノスタルジーとしての工場への視線というのもあるらしい。しかし現実に工場というものがなければ私たちの生活も維持されない。一口にノスタルジーといっても、甘い感傷にひたるばかりでもなく、近代日本を歴史的に振り返ってものを考えることに意義はあるだろう。そしてまた普段そういう世界に足を踏み入れることが無い人にとっては「『ここは立ち入り禁止区域です』という無機的なアナウンスが大音量で繰り返されていた」というような場所は、「心胆を寒からしめ」るもの（岸野亜紗子）であり、夢とかＳＦ的な妄想とか、つまり表現としては喩の噴出を感じるような場であるだろう。そのあたりの、さまざまなアプローチも、合宿歌会での議論に窺える。</p>
<p>　　　＊</p>
<p>作品をいくつか引く。<br />
たとえば盛田志保子「無題」は、合宿に参加しての作品ではないようだ。</p>
<p>・工場を背にして父が飛ばしてたラジコン飛行機川面に落ちる</p>
<p>これなどはノスタルジーに近い作品。工場の街に育った私としては、とても懐かしく感じる。今でももちろん住宅地の近くに工場のあるような場所はあるけれど、工場らしい工場は、遠方の工業団地や、さらに海外に移転してしまう。工場の跡地にマンションやショッピングセンターが建ってゆく。こんなふうな場面の切り取り方をすると、いかにも「昭和」という感じになる。<br />
合宿参加者の作品も、いろいろな系列の作品があるが、たとえば松村正直「鶴見線、その他」は、土屋文明の「機械力専制」に言及し、リアリズムで工場地帯の風景を描写しつつ、こんな作品も並べてゆく。</p>
<p>・ふとぶとと脈を打ちつつ流れゆくこの生殖のちからを思え</p>
<p>さらに黒瀬珂瀾「夢を作る」も、リアリズムの作品を配しながら、「夢」ということを言う。</p>
<p>・尖塔のさびしきまでに天に噴く炎よ　夢なりき製油所は</p>
<p>工場にもいろいろあって、土屋文明『山谷集』ならば〈小工場に酸素溶接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす〉のようなものから、〈吾が見るは鶴見埋立地の一隅ながらほしいままなり機械力専制は〉というものまであり、とくに後者のほうのような圧倒的な物量の前に立たされるとき、奇妙に現実感のない感覚に誘われるということはある。「夢」というのが、むしろ実感であったりするのだ。</p>
<p>合宿作品の中で、最も過激（奇妙）なのは、今橋愛の次の作品か。</p>
<p>・野生動物の反たひ語は家畜／工場の反たひ語は／〓　〓　〓／なに？</p>
<p>本欄は書式制御がちょっと難いので改行を「／」として一行で引く。また〓は四分休符（カラスかコウモリのような「休み」を示す音符）。多行書きや、意図的なのか怪しげな仮名遣い（これは認めたくないが）はともかく、いきなり「反対語」を持ち出してくるのが面白い。<br />
この過激さのまま行くのかというと、詞書をまじえながら、父親らしき人物も引き寄せてみせる。</p>
<p>・「工場つてゆうたつて結局はそこにいるひとやからなあ」つて言ひさう。</p>
<p>ああそうだ。ベテランはそう言うだろうと思う。「言ひさう」というあたりで、予期してしまい、しかしそれを肯うでもなく否定するわけでもなく、ただ何かもやもややしたものを読者との間に投げ出してみる。</p>
<p>　　　＊</p>
<p>ところで、この特集では「工場」と書いて「つくる」と振る。素朴には「工場」とは、ものをつくるところだ。もっとも、清掃工場（最近は「クリーン・センター」などと呼ばれることもある）は何をつくるのかというと首をかしげてしまう。「修理工場」というのも、「つくる」というのとはちょっと違う。発電所は工場と呼ばないけれど、臨海工業地帯にあって、かたちのないエネルギーを生産している。<br />
そういうことを思いながら巻頭にもどって、生沼義朗「ものつくる」７０首を読んでいると、</p>
<p>・生者は青の、死者はグレイのストレッチャーで運ばれておりそれぞれの室に</p>
<p>・救急室ロビーのテレビモニターは鏡となりて遺族を映す</p>
<p>・胃カメラを挿管すれば率直な反応として嘔吐は返る</p>
<p>といった作品があらわれる。<br />
かならずしも「工場」ということではなく「労働の現場」ということで配置された作品なのかもしれないが、しかしこれはもう「工場」ではないか。<br />
じつに、あらゆるところが「工場」なのだ。学校が「教育工場」になっているというのは１９８０年代の議論であるけれど、その時代とはまた別の意味で、工場化が進行しているように思う。「機械力専制」とは、歯車とか回転軸とかのことではなく、土屋文明の時代も現在をもつらぬく、人間を優先しないシステムのことなのである。もちろん時代によって大きく違うところはたくさんあるだろうけれど、そういうシステムは、必ずしも「つくる」というポジティブな言葉で言いつくせるものではないのではないか。もちろんそういうことを充分に含んだ上で、「つくる」ということにこだわる場面もあるわけだが。</p>
<p>かつては技能に裏付けられた自信と、集団の規律というものが工場の基盤であった。「結局はそこにいるひと」というのはそういうことだろう。しかし、巨大化と合理化が進んでくると、何かあったときには人間業では対応できなくなる。自分で考えて行動するのではなく、マニュアルどおり、あるいはシステムの指示どおりに行動するのが無難だということになると、それはもう、ほとんど責任を負うためだけに人がそこにいるというようなこともある。<br />
そういうところでモラルを保つのは容易ではない。多くの「現場」は、おそらくそういう問題を抱えているだろう。</p>
<p>工場地帯を遠望し、耳目を全開にして見学コースを歩く歌人の想像力は届いているか。そして、私たちに、私たちの生活のありさまは見えているだろうか。そしてまたそれぞれの「現場」にいる歌人は、ぴりぴりと感じていることを言葉にできているか。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;<br />
※<br />
私が工場について考えるときに参照するのは、少々古い本であるけれど、大工場については中岡哲郎『コンビナートの労働と社会』（平凡社,1974）、小工場は小関智弘の諸書、たとえば『春は鉄までが匂った』（晩声社,1979……ちくま文庫,2004）などである。<br />
中岡は、鹿島地域のコンビナートに働く人々と、地域の変貌を丁寧に取材し、いきいきと描きだした。石油ショック以前の、経済成長が信じられていた時期のこと。最新式の工場では滅多に事故は起こらず（つまりは経験を積むこともできず）、しかし一度事故が起これば命を失うかもしれない。そんな現場を、深夜に一人で点検してまわる作業員の感じている恐怖など、とても印象的であった。この本に出会って十数年後、バブル後のリストラ（人員削減と高度なシステム化）の現場でも、基本的にはほとんど同じことが（事故の程度はそれぞれ違うけれど）起こっていることに驚いたのだった。</p>
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		<title>朗読のリズム</title>
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		<pubDate>Mon, 12 Jul 2010 05:53:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>真中 朋久</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[短歌のリズムや拍子について言えば、日本語４拍子説というのがあって、その枠で七五調を云々する真面目な書物が何冊も出た。
たとえば別宮貞徳『日本語のリズム』（ちくま学芸文庫,2005／講談社現代新書,1977）がよく売れた本であるけれど、坂野信彦（『七五調の謎をとく―日本語リズム原論』大修館書店,1996その他）に言わせれば、そんなものは、もっと前から知られていたことであるという。菅谷規矩雄『詩的リズム』（大和書房,1975）その他、より精緻に論じたものなどもさまざまあり、数年前（２００７年４月～）に「短歌研究」で連載された小池光の論考も、それらを踏まえたものであった。
いちばん素朴なパターンは次のようなかたちだろうか。♪が５・７・５・７・７ある間に、無音の拍を・印で示した。
♪♪♪♪♪・・・♪♪♪♪♪♪♪・♪♪♪♪♪・・・♪♪♪♪♪♪♪・♪♪♪♪♪♪♪・
なるほど、短歌作品を朗読をしようとすると、こんなリズムで読む人が多い。百人一首なども「秋の田のぉーっ」と大きく伸ばして朗詠する。
岡井隆『現代短歌入門』（講談社学術文庫,1997／もとは角川「短歌」連載 1961～1963）の記述を借りれば「歌はこれを読むとき、第一句のあとで休止を置き、二・三句をつづけて第三句のあとでまた休止を置く。経験上、そういうよみ方をするのが多いが、これを分析してみると、五拍のあとに必ず休止を置いています」という言い方になる。
これがつまり、どういうことになるかというと、こんなふうな四拍子または５音句のあとに休止を置く読み方は、必然的に初句または３句切れになってしまうのである。
どうもこのあたり実作者として納得しがたいことがある。二句切れとしてはっきり切って読んでほしいときもあるし、四句まで通して欲しい場合もある。固定した読み方をされるのは、なにか窮屈な感じがする。
思うに、啄木の３行書きも、迢空の句読点も、そして塚本邦雄の句割れ／句またがりも、通俗的な朗詠あるいは３句切れ固定スタイルによる朗読の拒否ではなかったか。
　　　＊
さきに引用した岡井隆の記述は、当時、結社誌「未来」を含めて、破調の歌が多くなっていることを注記として述べた部分であり、塚本邦雄の初句七音を例に上げて「七拍化する理由」について軽く試論しているところである。初句のあとの休止「虚の拍」を埋めることによって「第一句と第二句とを接続して、上句を一気によみ下すことによってある下降力―速度感を得ようとすることは、考えられる」としている。
なるほど、埋めることによって接続される。ただ、埋めれば埋めたで初句に重みが生じて、速度感以外の印象も出て来るかもしれない。
しかし、さまざまに分析を加え、短歌定型の議論をしても、朗読方法を読者に強制することはできない。なんとなく、４拍子的に、５音句のあとを長い休止を置きながら読んでいて、身に付いた読み方が自然だと思っている。句割れ・句またがり、破調の歌も、「自然な」短歌定型の５・７・５・７・７を意識した読み方をして、ぎくしゃくと読む。句読点があっても、「自然な」読み方で読んでしまう。
　　　＊
岡井『現代短歌入門』の別のところには、こんなふうに書いてある。
&#8212;&#8212;引用ここから&#8212;&#8212;
わたしたちは、こういう意地の悪い歌を読むとき、ゆっくりと、五・七・五……の拍数の切れ目で人工的に――というには、実際にこれらの詩の持つ、自然と人工の二つの音数律とは無関係に息をついて読みます。そして、これらの詩の持つ、自然と人工の二つの音数律の懸隔に嘆息するのです。
&#8212;&#8212;引用ここまで&#8212;&#8212;
この部分は、とりわけゴツゴツと、３１音というだけの制約でつくられた作品について書かれていることであるけれど、あえてそれを定型の枠組みに入れてみると言っている。そうしながら意味のつらなりや言葉の流れをつかまえてゆくのだろう。それが面白いという人もいるだろうし、実際そういう過程を経て見えてくることはある。
だが、それは理屈というものであるかもしれない。そのことに作品の魅力を云々するよりは、「嘆息する」ということなのだ。よく知られた、愛唱している作品まで、わざわざそうするものではない、と私は思う。
　　　＊
日本語として、短歌として自然でないのかもしれないが、私の朗読方法について、ひとつの試論として提示してみることにする。
実演できればよいのだが、言葉で説明すると次のような方法になる。
・休止は置かないつもりで読む。１音節に満たない程度の休止はあり得る。
・句切れなどの必要があれば大きく休止する。句読点や一字あけも尊重して休止する。
・各音節の速さは変えないつもりで読む（等時拍）。勢いで緩急を生じることはある。
・定型の句切れや文節は強弱や高低のアクセントで示す。
こんなことを考えながら読むのは、これまた窮屈かもしれないが、こんな読みかたをするとどうなるか。４つめの項目「アクセント」は、全身を軽く揺らしながら発声するとよいと思う。定型（５・７・５・７・７）と、意味の句切れの両方を、アクセントで越えてゆこうというのがミソでもある。
こうして読むのを、すこしペースを上げると、５音または７音のまとまりが、一つの大きな拍として感じられてくるのではないだろうか。はなはだ感覚的な表現で恐縮だが、５音は浅い拍、７音は深い拍とも感じられるのではないかと思う。
小池光は「どのような定型であっても、必ず五音句と七音句を同一の時間幅で読む。（略）五七五七七である短歌は緩急緩急急という読み方が指定されているのである。定型は五とか七とかの数字が本質なのではなく、テンポの緩急が本質なのだ」と、いささか大胆なことを書いていたが、それに似て少し違う。小池に倣って言えば、私のほうは時間幅ではなく、音数のほうに基本を置いて「浅深浅深深」という言い方になろうか。
　　　＊
少し違う観点になるが、有名すぎる作品を例としてとりあげてみる。
・革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ　　『水葬物語』
休止を置かず等時拍で読んでゆく。この場合、上句のほうは、従来からの読み方とそう違わないが、句割れ・句またがりがある部分の「凭り」と「かかられて」の両方に強いアクセントがかかる。ドライブ感が出て来る。ポピュラー音楽の言葉でいうと「グルーブ感」などという定義しにくい概念もあるらしいが、そういうものである。
下句は「すこしづつ液化／してゆくピアノ」と読むのが普通だろうけれど、等時拍かつ無休止を前提として読んでゆくと、「すこしづつ／液化してゆく／ピアノ」の３つのまとまりが目立ってくる。これら３つのパートの先頭にしっかりとアクセントを立てて読でみる。先頭にアクセントというよりも、何度も読んでいると、それぞれがひとつのまとまりとして、楽譜なら「スラー」をつけたひと山のものになってゆく。
じっさい、塚本邦雄には下句が３パート（あえて３句といっても言い）になるものが少なくない。そういうものは、はじめから３パートとして読む。
・煮られゐる鷄の心臓いきいきとむらさきに無名詩人の忌日　　『日本人靈歌』
・こゑ嗄れて晩夏病みゐるわが部屋にひわひわと繪葉書の吊橋
それぞれ「むらさきに／無名詩人の／忌日」「ひわひわと／繪葉書の／吊橋」のように、３つのパートとしてアクセントを置いて読んでみるのである。
　　　＊
思いつきで言えば、このあたり、タンゴかなにかラテン系の強いアクセントの立つ音楽のイメージに近い。全体は四拍子なのだが、そこに３拍子が乗ってくる。タツツタツツスタツツ……というようなリズムである。
休拍を置かない。そのことによって、塚本邦雄のような作品は、もっとダイナミックに、躍動感あふれる朗読ができるはずだと思う。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>短歌のリズムや拍子について言えば、日本語４拍子説というのがあって、その枠で七五調を云々する真面目な書物が何冊も出た。<br />
たとえば別宮貞徳『日本語のリズム』（ちくま学芸文庫,2005／講談社現代新書,1977）がよく売れた本であるけれど、坂野信彦（『七五調の謎をとく―日本語リズム原論』大修館書店,1996その他）に言わせれば、そんなものは、もっと前から知られていたことであるという。菅谷規矩雄『詩的リズム』（大和書房,1975）その他、より精緻に論じたものなどもさまざまあり、数年前（２００７年４月～）に「短歌研究」で連載された小池光の論考も、それらを踏まえたものであった。</p>
<p>いちばん素朴なパターンは次のようなかたちだろうか。♪が５・７・５・７・７ある間に、無音の拍を・印で示した。</p>
<p>♪♪♪♪♪・・・♪♪♪♪♪♪♪・♪♪♪♪♪・・・♪♪♪♪♪♪♪・♪♪♪♪♪♪♪・</p>
<p>なるほど、短歌作品を朗読をしようとすると、こんなリズムで読む人が多い。百人一首なども「秋の田のぉーっ」と大きく伸ばして朗詠する。<br />
岡井隆『現代短歌入門』（講談社学術文庫,1997／もとは角川「短歌」連載 1961～1963）の記述を借りれば「歌はこれを読むとき、第一句のあとで休止を置き、二・三句をつづけて第三句のあとでまた休止を置く。経験上、そういうよみ方をするのが多いが、これを分析してみると、五拍のあとに必ず休止を置いています」という言い方になる。</p>
<p>これがつまり、どういうことになるかというと、こんなふうな四拍子または５音句のあとに休止を置く読み方は、必然的に初句または３句切れになってしまうのである。</p>
<p>どうもこのあたり実作者として納得しがたいことがある。二句切れとしてはっきり切って読んでほしいときもあるし、四句まで通して欲しい場合もある。固定した読み方をされるのは、なにか窮屈な感じがする。<br />
思うに、啄木の３行書きも、迢空の句読点も、そして塚本邦雄の句割れ／句またがりも、通俗的な朗詠あるいは３句切れ固定スタイルによる朗読の拒否ではなかったか。</p>
<p>　　　＊</p>
<p>さきに引用した岡井隆の記述は、当時、結社誌「未来」を含めて、破調の歌が多くなっていることを注記として述べた部分であり、塚本邦雄の初句七音を例に上げて「七拍化する理由」について軽く試論しているところである。初句のあとの休止「虚の拍」を埋めることによって「第一句と第二句とを接続して、上句を一気によみ下すことによってある下降力―速度感を得ようとすることは、考えられる」としている。<br />
なるほど、埋めることによって接続される。ただ、埋めれば埋めたで初句に重みが生じて、速度感以外の印象も出て来るかもしれない。<br />
しかし、さまざまに分析を加え、短歌定型の議論をしても、朗読方法を読者に強制することはできない。なんとなく、４拍子的に、５音句のあとを長い休止を置きながら読んでいて、身に付いた読み方が自然だと思っている。句割れ・句またがり、破調の歌も、「自然な」短歌定型の５・７・５・７・７を意識した読み方をして、ぎくしゃくと読む。句読点があっても、「自然な」読み方で読んでしまう。</p>
<p>　　　＊</p>
<p>岡井『現代短歌入門』の別のところには、こんなふうに書いてある。</p>
<p>&#8212;&#8212;引用ここから&#8212;&#8212;<br />
わたしたちは、こういう意地の悪い歌を読むとき、ゆっくりと、五・七・五……の拍数の切れ目で人工的に――というには、実際にこれらの詩の持つ、自然と人工の二つの音数律とは無関係に息をついて読みます。そして、これらの詩の持つ、自然と人工の二つの音数律の懸隔に嘆息するのです。<br />
&#8212;&#8212;引用ここまで&#8212;&#8212;</p>
<p>この部分は、とりわけゴツゴツと、３１音というだけの制約でつくられた作品について書かれていることであるけれど、あえてそれを定型の枠組みに入れてみると言っている。そうしながら意味のつらなりや言葉の流れをつかまえてゆくのだろう。それが面白いという人もいるだろうし、実際そういう過程を経て見えてくることはある。<br />
だが、それは理屈というものであるかもしれない。そのことに作品の魅力を云々するよりは、「嘆息する」ということなのだ。よく知られた、愛唱している作品まで、わざわざそうするものではない、と私は思う。</p>
<p>　　　＊</p>
<p>日本語として、短歌として自然でないのかもしれないが、私の朗読方法について、ひとつの試論として提示してみることにする。<br />
実演できればよいのだが、言葉で説明すると次のような方法になる。</p>
<p>・休止は置かないつもりで読む。１音節に満たない程度の休止はあり得る。<br />
・句切れなどの必要があれば大きく休止する。句読点や一字あけも尊重して休止する。<br />
・各音節の速さは変えないつもりで読む（等時拍）。勢いで緩急を生じることはある。<br />
・定型の句切れや文節は強弱や高低のアクセントで示す。</p>
<p>こんなことを考えながら読むのは、これまた窮屈かもしれないが、こんな読みかたをするとどうなるか。４つめの項目「アクセント」は、全身を軽く揺らしながら発声するとよいと思う。定型（５・７・５・７・７）と、意味の句切れの両方を、アクセントで越えてゆこうというのがミソでもある。<br />
こうして読むのを、すこしペースを上げると、５音または７音のまとまりが、一つの大きな拍として感じられてくるのではないだろうか。はなはだ感覚的な表現で恐縮だが、５音は浅い拍、７音は深い拍とも感じられるのではないかと思う。<br />
小池光は「どのような定型であっても、必ず五音句と七音句を同一の時間幅で読む。（略）五七五七七である短歌は緩急緩急急という読み方が指定されているのである。定型は五とか七とかの数字が本質なのではなく、テンポの緩急が本質なのだ」と、いささか大胆なことを書いていたが、それに似て少し違う。小池に倣って言えば、私のほうは時間幅ではなく、音数のほうに基本を置いて「浅深浅深深」という言い方になろうか。</p>
<p>　　　＊</p>
<p>少し違う観点になるが、有名すぎる作品を例としてとりあげてみる。</p>
<p>・革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ　　『水葬物語』</p>
<p>休止を置かず等時拍で読んでゆく。この場合、上句のほうは、従来からの読み方とそう違わないが、句割れ・句またがりがある部分の「凭り」と「かかられて」の両方に強いアクセントがかかる。ドライブ感が出て来る。ポピュラー音楽の言葉でいうと「グルーブ感」などという定義しにくい概念もあるらしいが、そういうものである。<br />
下句は「すこしづつ液化／してゆくピアノ」と読むのが普通だろうけれど、等時拍かつ無休止を前提として読んでゆくと、「すこしづつ／液化してゆく／ピアノ」の３つのまとまりが目立ってくる。これら３つのパートの先頭にしっかりとアクセントを立てて読でみる。先頭にアクセントというよりも、何度も読んでいると、それぞれがひとつのまとまりとして、楽譜なら「スラー」をつけたひと山のものになってゆく。<br />
じっさい、塚本邦雄には下句が３パート（あえて３句といっても言い）になるものが少なくない。そういうものは、はじめから３パートとして読む。</p>
<p>・煮られゐる鷄の心臓いきいきとむらさきに無名詩人の忌日　　『日本人靈歌』<br />
・こゑ嗄れて晩夏病みゐるわが部屋にひわひわと繪葉書の吊橋</p>
<p>それぞれ「むらさきに／無名詩人の／忌日」「ひわひわと／繪葉書の／吊橋」のように、３つのパートとしてアクセントを置いて読んでみるのである。</p>
<p>　　　＊</p>
<p>思いつきで言えば、このあたり、タンゴかなにかラテン系の強いアクセントの立つ音楽のイメージに近い。全体は四拍子なのだが、そこに３拍子が乗ってくる。タツツタツツスタツツ……というようなリズムである。</p>
<p>休拍を置かない。そのことによって、塚本邦雄のような作品は、もっとダイナミックに、躍動感あふれる朗読ができるはずだと思う。</p>
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		<title>出発点にする</title>
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		<pubDate>Sun, 06 Jun 2010 16:24:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>真中 朋久</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[私事で恐縮だが「逆流性食道炎」とやらになっている。胃酸が逆流することによって、食道に炎症が起こるとだという。
ストレスのせいか胃の調子が悪いと思ってきたが、胃が痛んだりするのは一時的で、健康診断でもとくに悪いところは見つからない。ただ、げっぷが多いのには閉口する（出てしまうげっぷをかみ殺すためにも口は閉じないといけないが……）ので、すこし前にかかりつけの医師に相談したのだ。診断は「典型的な逆流性食道炎」とのことで、薬を処方してもらっているところである。
最近になって、某薬品メーカーが、キャンペーンをはじめた(※１）。「逆流性食道炎」を自己チェックしてみて、該当する可能性があれば病院に行きなさい。そうすれば適切な治療を受けることができるというのだ。ああなるほど……処方されている薬を見ると、この薬品メーカーのものが含まれている。そういうキャンペーンなのだ。
「キャンペーン見た？」と先生がおっしゃる。そのときは見てなかったが、上記のようなキャンペーンであるのを翌朝の新聞折り込み広告で知ることになった。
先生曰く「ちゃんと医者に見せればいいんだけど、自己診断でたいしたことないと思ってしまう人がいると困るな。げっぷとか胃のもたれとかが、深刻な病気の兆候である場合もあるからなあ」だそうである。
＊
「短歌往来」５月号の「今月の視点」に、山田航が「啄木と発達障害」という文章を書いている。何か言おうと思い、どう書こうと思っているあいだに「まひる野」６月号が出る。染野太郎が時評「わからないということ」で山田の文章にコメントしている。先を越されてしまった。
山田は、「医師でもない私が、残されたエピソードのみで啄木を発達障害と断ずるのは危険を孕むが」と留保をつけたうえであるが、自身が「発達障害」の当事者であるということで経験的に感じるシンパシーも含め、啄木が「発達障害」である可能性が強く、あれだけの作品を残したのは、「奇跡的な幸運」であったと希望的断定的に書いている。
そして、「これからの啄木研究において、『発達障害の可能性があった』という視点を避けては通れないと思う。啄木を愛する全ての歌人は、発達障害についも学ばねばならない。」と結ぶ。
染野太郎は、この山田の文章に対し、学校教育現場で発達障害を抱えた生徒とも向き合い、発達障害について学んできた経験からこんなふうに言う。
&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;
しかしそれによって彼らを理解できるようになったか、彼らを支援できるようになったかと言えばそうは思わない。発達障害とそれがもつ特徴を言葉によって納得したところで、それを目の前の生徒に当てはめることなどできないことの方が多かったし、今もそうだ。わからない生徒をわからないままにしてほとんど対症療法的に接していくことでしか、目の前の「わからない」を「わかる」に変えることはできなかった。
&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;
カウンセリングに心血を注いでいる人からは異論が出るかもしれないが、病名がついたからといって、解決につながらないことが少なくないのはそのとおりだろう。特効薬があるものならともかく、メンタルなものはとくに難しい。強引なことをすれば副作用のようなことも起こるかもしれない。
そしてまた、病名がレッテル貼りや排除につながってしまうこともしばしば見聞きするし、逆に当事者が病名を盾に開き直ることもある。自分を守ることは必要だが「わたしは病気です」に甘えてしまうのだとしたら、それはやはり治癒や解決からは遠いだろう。
染野はこんなふうに結んでいる。
&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;
啄木を「発達障害」と名付けたとき何かが終わる。穂村弘が「短歌的武装解除」「棒立ちの歌」「想いの圧縮と解凍」と言ったとき何かが終わったはずだ。僕はそれを「思考停止」と呼ぶ。言葉をもってしか思考できない僕たちは言葉によって思考停止にも陥る。
&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;
山田が断定的なのと別の方向であるが、染野もまた断定的に書いている。短い文章をシャープに書こうと思えば、テンポよく断定的に書かなければならないことはわかるが、このあたり、「陥ることに注意が必要である」とでも補って読んでおきたいと思う。
この部分はおそらく、「短歌研究」６月号の座談会の大辻隆弘が、鮮やかな批評用語によって「何かわかったような気分になってしまう。そこがちょっと危うい」と言っていることにも通じるだろうし、この大辻の発言を引用している川本千栄（※２）が、少し前に「評論に求めること」（※３）で提起したことも、余計なことをいろいろ書いたためか批判を呼び、理解されなかったが「思考停止」を危ぶむということが根本のところではなかったかと思う。
ある「名付け」あるいは「批評用語の発明」によって、終わることもある。終わらせてしまうのはたいてい、生はんかにそのキーワードに飛びついた人たちである。またたくまに思考停止状態に覆われる。考え抜いて新しい批評用語を提出した本人まで、「わかったような気分」の一人と見られてしまう。
ただ、そのことをもって、新しい批評用語の開発をしなくてよいということにはならない。新しい視点に立つことは作品を新鮮な目で読むことになる。批評用語とは、つまり切り口であり視点なのであって、危うさは意識しつつ、踏み出してゆかなければ何も得られないとも言えるのである。
診断して病名をつけなければ治療計画も立てられない。日々の対症療法といえど、診断を放棄してよいということではなかろう。
出発点にするかどうかは、論者、そして読者次第なのだ。
＊
山田のアプローチも必要なことである。「発達障害」という切り口も面白いのではないかと思う。ただ「啄木を愛する全ての歌人は、発達障害についも学ばねばならない」というような押しつけは勘弁してほしい。啄木が嫌いになってしまいそうだ。
まずは山田自身が、みずから学び（医者にならなくてもいいのだ）、あるいは専門家のパートナーとともに、分析を進めるのがよいだろう。文学作品にその作家の病気の跡を読み取り分析する学問を「病跡学」といって、学会まであるが、そういうところに参加すると、より適切なアドヴァイスを得られるかもしれない。「発達障害」と見当をつけて分析をはじめたら、さらに違った病名が浮んでくるというようなこともあり得る。
「そっちでやれ」と言っているのではない。狭いところで考え込まないほうがよいということである。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
※１
http://gyakusyoku.jp/
※２
http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_100524.html
※３
http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_100315.html
http://www.banraisha.co.jp/humi/eda/eda137.html
反論・コメント多数。江田浩司の最初の反論のみを掲げる。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>私事で恐縮だが「逆流性食道炎」とやらになっている。胃酸が逆流することによって、食道に炎症が起こるとだという。<br />
ストレスのせいか胃の調子が悪いと思ってきたが、胃が痛んだりするのは一時的で、健康診断でもとくに悪いところは見つからない。ただ、げっぷが多いのには閉口する（出てしまうげっぷをかみ殺すためにも口は閉じないといけないが……）ので、すこし前にかかりつけの医師に相談したのだ。診断は「典型的な逆流性食道炎」とのことで、薬を処方してもらっているところである。</p>
<p>最近になって、某薬品メーカーが、キャンペーンをはじめた(※１）。「逆流性食道炎」を自己チェックしてみて、該当する可能性があれば病院に行きなさい。そうすれば適切な治療を受けることができるというのだ。ああなるほど……処方されている薬を見ると、この薬品メーカーのものが含まれている。そういうキャンペーンなのだ。</p>
<p>「キャンペーン見た？」と先生がおっしゃる。そのときは見てなかったが、上記のようなキャンペーンであるのを翌朝の新聞折り込み広告で知ることになった。</p>
<p>先生曰く「ちゃんと医者に見せればいいんだけど、自己診断でたいしたことないと思ってしまう人がいると困るな。げっぷとか胃のもたれとかが、深刻な病気の兆候である場合もあるからなあ」だそうである。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>「短歌往来」５月号の「今月の視点」に、山田航が「啄木と発達障害」という文章を書いている。何か言おうと思い、どう書こうと思っているあいだに「まひる野」６月号が出る。染野太郎が時評「わからないということ」で山田の文章にコメントしている。先を越されてしまった。</p>
<p>山田は、「医師でもない私が、残されたエピソードのみで啄木を発達障害と断ずるのは危険を孕むが」と留保をつけたうえであるが、自身が「発達障害」の当事者であるということで経験的に感じるシンパシーも含め、啄木が「発達障害」である可能性が強く、あれだけの作品を残したのは、「奇跡的な幸運」であったと希望的断定的に書いている。<br />
そして、「これからの啄木研究において、『発達障害の可能性があった』という視点を避けては通れないと思う。啄木を愛する全ての歌人は、発達障害についも学ばねばならない。」と結ぶ。</p>
<p>染野太郎は、この山田の文章に対し、学校教育現場で発達障害を抱えた生徒とも向き合い、発達障害について学んできた経験からこんなふうに言う。</p>
<p>&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;<br />
しかしそれによって彼らを理解できるようになったか、彼らを支援できるようになったかと言えばそうは思わない。発達障害とそれがもつ特徴を言葉によって納得したところで、それを目の前の生徒に当てはめることなどできないことの方が多かったし、今もそうだ。わからない生徒をわからないままにしてほとんど対症療法的に接していくことでしか、目の前の「わからない」を「わかる」に変えることはできなかった。<br />
&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;</p>
<p>カウンセリングに心血を注いでいる人からは異論が出るかもしれないが、病名がついたからといって、解決につながらないことが少なくないのはそのとおりだろう。特効薬があるものならともかく、メンタルなものはとくに難しい。強引なことをすれば副作用のようなことも起こるかもしれない。<br />
そしてまた、病名がレッテル貼りや排除につながってしまうこともしばしば見聞きするし、逆に当事者が病名を盾に開き直ることもある。自分を守ることは必要だが「わたしは病気です」に甘えてしまうのだとしたら、それはやはり治癒や解決からは遠いだろう。</p>
<p>染野はこんなふうに結んでいる。</p>
<p>&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;<br />
啄木を「発達障害」と名付けたとき何かが終わる。穂村弘が「短歌的武装解除」「棒立ちの歌」「想いの圧縮と解凍」と言ったとき何かが終わったはずだ。僕はそれを「思考停止」と呼ぶ。言葉をもってしか思考できない僕たちは言葉によって思考停止にも陥る。<br />
&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;</p>
<p>山田が断定的なのと別の方向であるが、染野もまた断定的に書いている。短い文章をシャープに書こうと思えば、テンポよく断定的に書かなければならないことはわかるが、このあたり、「陥ることに注意が必要である」とでも補って読んでおきたいと思う。</p>
<p>この部分はおそらく、「短歌研究」６月号の座談会の大辻隆弘が、鮮やかな批評用語によって「何かわかったような気分になってしまう。そこがちょっと危うい」と言っていることにも通じるだろうし、この大辻の発言を引用している川本千栄（※２）が、少し前に「評論に求めること」（※３）で提起したことも、余計なことをいろいろ書いたためか批判を呼び、理解されなかったが「思考停止」を危ぶむということが根本のところではなかったかと思う。</p>
<p>ある「名付け」あるいは「批評用語の発明」によって、終わることもある。終わらせてしまうのはたいてい、生はんかにそのキーワードに飛びついた人たちである。またたくまに思考停止状態に覆われる。考え抜いて新しい批評用語を提出した本人まで、「わかったような気分」の一人と見られてしまう。</p>
<p>ただ、そのことをもって、新しい批評用語の開発をしなくてよいということにはならない。新しい視点に立つことは作品を新鮮な目で読むことになる。批評用語とは、つまり切り口であり視点なのであって、危うさは意識しつつ、踏み出してゆかなければ何も得られないとも言えるのである。<br />
診断して病名をつけなければ治療計画も立てられない。日々の対症療法といえど、診断を放棄してよいということではなかろう。</p>
<p>出発点にするかどうかは、論者、そして読者次第なのだ。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>山田のアプローチも必要なことである。「発達障害」という切り口も面白いのではないかと思う。ただ「啄木を愛する全ての歌人は、発達障害についも学ばねばならない」というような押しつけは勘弁してほしい。啄木が嫌いになってしまいそうだ。<br />
まずは山田自身が、みずから学び（医者にならなくてもいいのだ）、あるいは専門家のパートナーとともに、分析を進めるのがよいだろう。文学作品にその作家の病気の跡を読み取り分析する学問を「病跡学」といって、学会まであるが、そういうところに参加すると、より適切なアドヴァイスを得られるかもしれない。「発達障害」と見当をつけて分析をはじめたら、さらに違った病名が浮んでくるというようなこともあり得る。</p>
<p>「そっちでやれ」と言っているのではない。狭いところで考え込まないほうがよいということである。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
※１<br />
<a href="http://gyakusyoku.jp/">http://gyakusyoku.jp/</a></p>
<p>※２<br />
<a href="http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_100524.html">http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_100524.html</a></p>
<p>※３<br />
<a href="http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_100315.html">http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_100315.html</a><br />
<a href="http://www.banraisha.co.jp/humi/eda/eda137.html">http://www.banraisha.co.jp/humi/eda/eda137.html</a><br />
反論・コメント多数。江田浩司の最初の反論のみを掲げる。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>全体像</title>
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		<pubDate>Mon, 10 May 2010 07:01:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>真中 朋久</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[角川「短歌」５月号が出ている。江戸雪の短歌時評は納得できる内容。川野里子『幻想の重量―葛原妙子の戦後短歌』（本阿弥書店）と、「短歌往来」１月号に掲載された、岩井謙一「川野里子『幻想の重量』への疑問」についてのコメントである。
後半は中沢直人作品にふれ、「作者は、拍子抜けするほどあっけらかんと、信仰を持つ者として作品のなかに立っている。またいっぽうで、宗教独特の理想に拠って詠むこともしない。こういう風通しのよさも新鮮である。」と結んでいる。
ああ、そうだった……と思う。私などはあれこれ考えてしまうほうなので、中沢作品の、江戸の言うようなある種の屈折のなさは共感できるわけではないのだが、ともかくこういう立場もあるのだろうと思って作品を読んだことである。
風通しのよさといえば、江戸の文章も、風通しがよい。
＊
川野―岩井の論争（といっても、川野は答える必要を感じていないようだが）については、青磁社の時評及び掲示板でいくつかのやりとりがあった（※１～３）。
私としては、この論争については、本欄１月５日稿（※４）で、水を差したつもりであったが、ややエスカレートしているようにも思われる。それで議論が深まっているならばよいが、どうだろう。
＊
松村由利子「葛原妙子とキリスト教」（※１）について、ひとつコメントをしておきたい。
こういうのはお互い様で、わたしもずいぶん不注意なことをしているから他人様のことを言えないのだが、私の文章の、一部のみへの言及「真中もその部分について、岩井と同様のことを感じたといい、無力なイエスこそが『象徴的なイエスの像』ではないかと述べている」は、なにか私が岩井の肩をもっているように読めてしまうのはどうか。
私の書いたはずのことを、思いきり短くすれば「双方の論を鳥瞰しながら生身の葛原のゆれを受け止めたいとした」という江戸の要約につきる。
「鳥瞰」つまり傍観者的な書き方は反発を招くかとも思ったが、何かを論じる時には、情熱と同時にどこか冷静な部分も必要だろう。
それにしても、一文で言えてしまうことを、長々と書いて申し訳ないことであった。筋道を立てて書いたつもりでも、長い文章になると結論までなかなか読んでもらえないものだと思ったことである。
＊
岩井謙一の松村への反論（※２）は、かなり踏み込んで自分の立場を書いていて驚かされた。
このことが論争をどう方向づけるかというと、かならずしも岩井の論を補強することになっていないようにも思えるのだが、岩井は「私は牧師に騙された形で洗礼を受けさせられ、無念の気持ちを抱きながら洗礼の儀式を終えた。したがって私自身は信仰者であるという認識はあるが信者ではない思っている。」と書いている。
勝手な口をさめば、ここで読者は言葉の定義にすぐには深入りしないほうがよい。信仰と一口にいっても、かくのごとく個々の体験や教会組織との距離のとり方は異なるのということを読み取ったほうがとりあえずは有益だろう。
それにしても、岩井のこの述懐は、ありがちなことではあるけれど、相当に強い表現である。ただ、岩井のこれまでの２冊の歌集を読んできた者には、腑に落ちる感じがした。第二歌集『揮発』には次のような作品がある。
・退職を告げし牧師の見捨てたる教会にかぐ荒廃の香を
・アメリカへ永住せむと牧師去り二年半過ぎ二度の戦争
もう少し生々しい作品もあるが、論点がずれそうなのでここでは触れない。歌集にあたっていただきたい。９・１１以後のアメリカが前提であり、この「永住」は帰国ということであるかもしれない。
比較的厳格で平和主義（「非戦」）を掲げる教団に属していることは第一歌集『光弾』の作品からも読み取れるのだが、その教会の信徒が「見捨て」られたと感じるようなできごとがあったのだ。
指導者を失った教会を維持するのは、それはたいへんなことだろうと思うのだが、岩井の場合には、それが信仰そのものにかかわることとして内面化されている。受洗の頃までさかのぼる根深いものなのだろう。
これは読解に関係のない私的なことの詮索か？　そういう面もあるかもしれない（存命中の歌人の場合、本人が積極的に書かないことまで調べあげるべきだとは思わない）が、しかし評伝（川野『幻想の重量』など）を書き、評伝を読むというのは、歌人の全体像をとらえなおしつつ作品を読むということである。そしてここで触れた文章および作品も、全体から見れば、ごく一部ということなのである。
＊
論争の帰結はともかく、熱く語る人物には興味がある。熱い思いをもった人の作品は大切に読んでゆこうと思う。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
※１　葛原妙子とキリスト教／松村由利子
http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_100419.html
※２　松村由利子への反論／岩井謙一
http://6131.teacup.com/seijisya/bbs/204
少しだけコメントを加える。岩井の書く「敗戦後の混乱期にキリスト教が注目されたという川野の論自体が間違いである」および、ＧＨＱ等による「キリスト教化は失敗している」は、後者についてはある程度納得するものの、前者のように否定できるわけでもないように思う。戦後期に受洗した若者達（私の両親を含む）のうち、去らずに残ったひとたちがその後の各地の教会を支えているのであって、それは「歩留まり」が低かったとしても、やはり「注目された」ということの結果ではないか。これは地域によっても違うだろうが、岩井の断定に違和感を感じる部分として書いておく。
※３　信仰と作品／広坂早苗
http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_100510.html
※４　信仰を〈読む〉／真中朋久　本欄１月５日稿
http://www.sunagoya.com/jihyo/?p=174
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>角川「短歌」５月号が出ている。江戸雪の短歌時評は納得できる内容。川野里子『幻想の重量―葛原妙子の戦後短歌』（本阿弥書店）と、「短歌往来」１月号に掲載された、岩井謙一「川野里子『幻想の重量』への疑問」についてのコメントである。<br />
後半は中沢直人作品にふれ、「作者は、拍子抜けするほどあっけらかんと、信仰を持つ者として作品のなかに立っている。またいっぽうで、宗教独特の理想に拠って詠むこともしない。こういう風通しのよさも新鮮である。」と結んでいる。</p>
<p>ああ、そうだった……と思う。私などはあれこれ考えてしまうほうなので、中沢作品の、江戸の言うようなある種の屈折のなさは共感できるわけではないのだが、ともかくこういう立場もあるのだろうと思って作品を読んだことである。<br />
風通しのよさといえば、江戸の文章も、風通しがよい。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>川野―岩井の論争（といっても、川野は答える必要を感じていないようだが）については、青磁社の時評及び掲示板でいくつかのやりとりがあった（※１～３）。</p>
<p>私としては、この論争については、本欄１月５日稿（※４）で、水を差したつもりであったが、ややエスカレートしているようにも思われる。それで議論が深まっているならばよいが、どうだろう。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>松村由利子「葛原妙子とキリスト教」（※１）について、ひとつコメントをしておきたい。</p>
<p>こういうのはお互い様で、わたしもずいぶん不注意なことをしているから他人様のことを言えないのだが、私の文章の、一部のみへの言及「真中もその部分について、岩井と同様のことを感じたといい、無力なイエスこそが『象徴的なイエスの像』ではないかと述べている」は、なにか私が岩井の肩をもっているように読めてしまうのはどうか。<br />
私の書いたはずのことを、思いきり短くすれば「双方の論を鳥瞰しながら生身の葛原のゆれを受け止めたいとした」という江戸の要約につきる。<br />
「鳥瞰」つまり傍観者的な書き方は反発を招くかとも思ったが、何かを論じる時には、情熱と同時にどこか冷静な部分も必要だろう。<br />
それにしても、一文で言えてしまうことを、長々と書いて申し訳ないことであった。筋道を立てて書いたつもりでも、長い文章になると結論までなかなか読んでもらえないものだと思ったことである。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>岩井謙一の松村への反論（※２）は、かなり踏み込んで自分の立場を書いていて驚かされた。<br />
このことが論争をどう方向づけるかというと、かならずしも岩井の論を補強することになっていないようにも思えるのだが、岩井は「私は牧師に騙された形で洗礼を受けさせられ、無念の気持ちを抱きながら洗礼の儀式を終えた。したがって私自身は信仰者であるという認識はあるが信者ではない思っている。」と書いている。</p>
<p>勝手な口をさめば、ここで読者は言葉の定義にすぐには深入りしないほうがよい。信仰と一口にいっても、かくのごとく個々の体験や教会組織との距離のとり方は異なるのということを読み取ったほうがとりあえずは有益だろう。</p>
<p>それにしても、岩井のこの述懐は、ありがちなことではあるけれど、相当に強い表現である。ただ、岩井のこれまでの２冊の歌集を読んできた者には、腑に落ちる感じがした。第二歌集『揮発』には次のような作品がある。</p>
<p>・退職を告げし牧師の見捨てたる教会にかぐ荒廃の香を</p>
<p>・アメリカへ永住せむと牧師去り二年半過ぎ二度の戦争</p>
<p>もう少し生々しい作品もあるが、論点がずれそうなのでここでは触れない。歌集にあたっていただきたい。９・１１以後のアメリカが前提であり、この「永住」は帰国ということであるかもしれない。<br />
比較的厳格で平和主義（「非戦」）を掲げる教団に属していることは第一歌集『光弾』の作品からも読み取れるのだが、その教会の信徒が「見捨て」られたと感じるようなできごとがあったのだ。</p>
<p>指導者を失った教会を維持するのは、それはたいへんなことだろうと思うのだが、岩井の場合には、それが信仰そのものにかかわることとして内面化されている。受洗の頃までさかのぼる根深いものなのだろう。</p>
<p>これは読解に関係のない私的なことの詮索か？　そういう面もあるかもしれない（存命中の歌人の場合、本人が積極的に書かないことまで調べあげるべきだとは思わない）が、しかし評伝（川野『幻想の重量』など）を書き、評伝を読むというのは、歌人の全体像をとらえなおしつつ作品を読むということである。そしてここで触れた文章および作品も、全体から見れば、ごく一部ということなのである。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>論争の帰結はともかく、熱く語る人物には興味がある。熱い思いをもった人の作品は大切に読んでゆこうと思う。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
※１　葛原妙子とキリスト教／松村由利子<br />
<a href="http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_100419.html">http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_100419.html</a></p>
<p>※２　松村由利子への反論／岩井謙一<br />
<a href="http://6131.teacup.com/seijisya/bbs/204">http://6131.teacup.com/seijisya/bbs/204</a><br />
少しだけコメントを加える。岩井の書く「敗戦後の混乱期にキリスト教が注目されたという川野の論自体が間違いである」および、ＧＨＱ等による「キリスト教化は失敗している」は、後者についてはある程度納得するものの、前者のように否定できるわけでもないように思う。戦後期に受洗した若者達（私の両親を含む）のうち、去らずに残ったひとたちがその後の各地の教会を支えているのであって、それは「歩留まり」が低かったとしても、やはり「注目された」ということの結果ではないか。これは地域によっても違うだろうが、岩井の断定に違和感を感じる部分として書いておく。</p>
<p>※３　信仰と作品／広坂早苗<br />
<a href="http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_100510.html">http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_100510.html</a></p>
<p>※４　信仰を〈読む〉／真中朋久　本欄１月５日稿<br />
<a href="http://www.sunagoya.com/jihyo/?p=174">http://www.sunagoya.com/jihyo/?p=174</a></p>
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		<item>
		<title>表現の強度を支えるもの</title>
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		<comments>http://www.sunagoya.com/jihyo/?p=202#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 11 Apr 2010 17:21:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>真中 朋久</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[現代のイスラム世界のあれこれを考える上で、池内恵（いけうちさとし）の書いたものは参考になることが多い。
この人のバックグラウンドは、たとえば『書物の運命』（文藝春秋,2006）などに少年時代の回想など含めて書かれているけれど、ともかくその読書経験には圧倒される。とくだん自慢の色も見せずに小学生時代にマックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を母方の祖父から強制的に与えられ、文字面をたどったと書いていたりする。
さすがに学問をする環境が違うのだと思わされるが、読めといわれて読んでしまうのだから、たいしたものだ。もっとも「『外国文学』などというものを職種にしている父の元で育ったため、文学は家の中でかなり重たい空気のように（また文字通り生活の糧として）存在していた」とも書いている。ドイツ文学者である父＝池内紀よりも、母方の祖父の「理知的なものの見方」に、解放感を感じていたということであり、それが現在のアラブ研究にもつながっているのだろう。
池内は、テロに傾斜するイスラム原理主義に批判的であり、イスラム世界の人々との対話可能性についても懐疑的である。イスラムにもいろいろあるのであって……という反論は当然出てくるけれど、エジプトのカイロにも住居を持ち、イスラム圏の人々との実際のやりとりや、現地の文献も含めて広範な情報収集を基にしたものであるから、発言に重みがある。
イスラム圏の人々との共栄や交流を模索する人も、池内の懐疑論は頭に入れておいたほうがよいだろう。
＊
その池内の『イスラーム世界の論じ方』（中央公論新社,2008）が、たまたま図書館の展示コーナーに出ていたので手にとってみる。時評的なものを中心にまとめたものであるらしい……と、ぱらぱらとページをめくって、「まえがき」に戻る。こんなことが書いてあった。
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-
日本語でイスラーム世界を論じられるか。そんな疑問を抱きながら、この本に収めた論考を書いてきた。そもそも、国際社会の権力と政治について論じることのできる言葉と論理を、日本語は持っているのだろうか。
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-
このあと、「現実として、国際政治をめぐる有意義で影響力のある議論の多くは、英語でなされている」などということも書かれるが、英語ならば、政治的なことを語ることができるとか、英語を使えるようにしようという方向の話ではない。
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-
中東やイスラーム世界をめぐる英語での議論には、「当事者」の発言としての切迫感があり、深い含意や大きな影響力を持つものが多い。ここでいう「当事者」とは、発言が現地の現実と照合されて検証されるということを、発言する者たちが当然に前提としているということを意味している。「当事者」の発言は、対象となる現実に影響を及ぼす可能性があり、その結果が現地社会にとっても自国にとっても重大なものになりかねない。ときには本人にも直接跳ね返ってきさえしかねない。英語メディアでの議論は、そういったことまでも当然に想定したうえで行われざるを得ない。
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-
これに対して、日本における日本語の発言はどうか。そもそもイスラム世界の人々にとって、日本のイメージも相当に歪んだものであり、重視されているわけでもない。
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-
日本からはほとんど影響力を及ぼせない国際政治の動きが厳然としてあるということは、必ずしも悲観すべきことではない。局外にいることによって、政治的思惑に惑わされず、時間をかけ、多面的でより的確な認識を追究できる、という強みにもなりうる。ただしそのためにはかなりの自己規律が必要である。抜き差しならない当事者ではないということは、無責任に何を語ってもいいということにつながってしまいやすい。要するに、現地の現実はどうでもよくて、日本で大向こう受けすることを言えばいい、ということになってしまう。言語のモラルハザードである。
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-
「まえがき」らしく、やや大雑把な言い方ではあるけれど、問題意識がシンプルに提示される（話がそれるが、私はしばしば内容に歯が立たないような専門書の「まえがき」だけを読む―これがけっこう面白い―著者の情熱がまっすぐ伝わってくるのは、たぶんよい本なのだ）。
ここでは池内の本論のほうを紹介する余裕はないが、ああ、こういうモラルハザードはあるだろう……と思うのだった。
日常生活に近い場面でも、「ここだけの話」などといって、勝手なことを言い合うのは、程度の差こそあれ、誰しも思い当たる節はあるだろう。「ここだけの話」にならざるを得ないような場合、はじめから放言に罪悪感を感じなかったりもする。たわいのない内容ならばよいが、放言は、やはり放言のレベルにとどまる。
＊
教師をしている人と短歌の話をする。「学校のことも、どんどん題材にしたらいいと思いますよ」と言うと、それは難しいという。生徒のプライヴァシーとか、職業的な守秘義務ということがあるし、だいいち教師としての正直な思いなど、とても作品として発表できるものではないという。
少しずつ細部は異なるが、似たような場面が最近何度かあった。「生徒のことなんか歌ってもいいんでしょうか？」という質問を受けたこともある。
ある先生は、「小池さんの『佐野朋子』なんか、とんでもない」と言った。小池光歌集『日々の思ひ出』の作品である。
・　佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず
事実かどうかとかいったレベルの話はともかく……と言いたいところだが、なかなかそうも言ってられない場面があることはよくわかる。フィクションであっても、現実のあれこれに結び付けて理解する人がでてくる。そうしてかえって話がこじれる。
それは教師だけでなくて、会社員をしていても会社の中のあれこれを断片として、情景描写として題材にしているのが同僚に知られると、いろいろとほじくりかえされる。人知れず短歌をつくっているうちは問題にならないが、作品が検索されたり、活字媒体にそれなりに作品がさらされるようになると、居心地の悪い事態になることは少なくない。親類家族に作品を読まれる場合も同様だろう。
だからペンネームにしてしまえ……という人がいる。どうせ短歌はマイナーな分野だから、気にする必要ないという人もいる。そんなふうに言ってしまいそうにならりながら、やはりそれはモラルハザードにつながることなのだと思い至る。
ペンネームはけしからんなどと言っているのではない。しかし、当事者であっても「ここだけの話」に逃げ込んでものを書くのだとすれば、そういう場で歌をつくるのだとすれば、よほど強く自分を律していないと、中途半端なものになってしまうおそれがあるだろう。
＊
小池作品の印象は、じつはそれほど重いものではなくて、明るくからっとした感じがする。佐野朋子（またはそのモデル）が実在かどうか知らないが、こんな歌を読めば「えへへへ」などと笑うだろうと思う。重点は、あたふたと駆け回る教師の自画像のほうにあるのだから。
教師をしている人の作品を少しあげてみる。もうすこし重い場面。
まずは、久我田鶴子歌集『雨の葛籠』から。
・　なんとせう夜ごとの夢にあらはれてあをじろき顔の生徒もの言はず
・　集団の力学のなかに身を置きてナイフをつねに持ちあるくＭ
・　共犯のよろこびあらは吾に訊くいちばん嫌ひな先生は誰
・　ただひとり家にゐるらしき素直さにＨの声が受話器を伝ふ
・　語気つよくもの言ふわれをドア閉ぢし廊下の声は「せんせい怖い」
このときは、荒れた高校に勤務しておられたらしい。夢の中にも生徒が無言であらわれる。ナイフを持っている生徒がいる。その生徒一人の問題というよりは、集団という場のなかで、仲間であることを示すために、あるいは身を守るためにナイフを持つのであろう。悪意の渦は教師を巻き込もうとすることもある。
電話で素直に話しているのは、ふだんは周囲に友人がいればそれを意識し、親兄弟がいれば、また意識して荒々しいことを言う生徒なのだろう。さらに、生徒は生徒で「ここだけの話」をしているのが聞こえてしまう場面もある。
酒井久美子歌集『夏刈』から。
・　「殺すぞ」が挨拶がはりの一学期「ぞ」は強意の助詞ねとかはし
・　先生のせいじやなかろとタクシーに慰められをり土地訛りにて
・　差し入れは切手封筒　犬の絵のある便箋は不許可とされたり
・　しつかりと書けたる手紙の文字褒めて今担任になつた気がする
中学校である。古文の文法でかわすあたりは、なかなか面白いが、こんなふうにかわせる場面ばかりではなかっただろう。
遠い土地の少年院に送られる生徒がいてときどき面会に行く。手紙の文字を褒める歌などはとても良い。表現されていなかった多くのことが背景にあるのだろう、と感じられる。義務教育の中学校であれば中退ということにもならない。少年院の卒業式は〈卒業生の数だけ中学校長ら座りて無言　式を待つ間も〉というように、それぞれ通っていた学校の校長と担任が出張してくるのだという。
それぞれ、ドキュメンタリーとして、まずは作品の重みを感じる。ひとつひとつの場面がいきいきと迫ってくる。
あえて比較して言うと、久我作品は、作品のなかに登場する生徒とのコミュニケーションが成り立っていないほうに傾く。それで価値がどうだというのではない。実際の、あるいは描こうとしている世界の厳しさの違いの反映であろう。ただ、「Ｍ」や「Ｈ」といったイニシャルが、どうにも私には居心地悪く感じられる。かえって生々しくなるのは、そういう効果を計算したのか。
いっぽうで酒井作品は、個人を特定するようなことは慎重に避けられている。それをもって「きれいごと」などということを言う人もいるかもしれない。
どちらがよいというのではないが、いずれにしても、それぞれが、ぎりぎりのところで表現の水準を測っているのだろう。
＊
こういうことが問題になるのは教師だけではないのだが、職業がらかどうか、どうも先生がたはいろいろと考えてしまうようだ。何かあったときのリスクも大きいかもしれない。
しかし、自分を律して真摯につくるというのは、モラルに縛られるということとは違う。ガイドラインとかマニュアルがあるわけではないのだ。
自分にとって最も大切なことを歌うべきであって、それが現実世界にかかわることであれば、どうにかして歌うべきだろう。それはもう緊張感や覚悟というほかはない。その緊張感や覚悟こそが作品の強度を支えているのだ。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8211;
引用中の作者名（久我 田鶴子氏）に誤記がありました。お詫びして訂正いたします。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>現代のイスラム世界のあれこれを考える上で、池内恵（いけうちさとし）の書いたものは参考になることが多い。</p>
<p>この人のバックグラウンドは、たとえば『書物の運命』（文藝春秋,2006）などに少年時代の回想など含めて書かれているけれど、ともかくその読書経験には圧倒される。とくだん自慢の色も見せずに小学生時代にマックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を母方の祖父から強制的に与えられ、文字面をたどったと書いていたりする。<br />
さすがに学問をする環境が違うのだと思わされるが、読めといわれて読んでしまうのだから、たいしたものだ。もっとも「『外国文学』などというものを職種にしている父の元で育ったため、文学は家の中でかなり重たい空気のように（また文字通り生活の糧として）存在していた」とも書いている。ドイツ文学者である父＝池内紀よりも、母方の祖父の「理知的なものの見方」に、解放感を感じていたということであり、それが現在のアラブ研究にもつながっているのだろう。</p>
<p>池内は、テロに傾斜するイスラム原理主義に批判的であり、イスラム世界の人々との対話可能性についても懐疑的である。イスラムにもいろいろあるのであって……という反論は当然出てくるけれど、エジプトのカイロにも住居を持ち、イスラム圏の人々との実際のやりとりや、現地の文献も含めて広範な情報収集を基にしたものであるから、発言に重みがある。<br />
イスラム圏の人々との共栄や交流を模索する人も、池内の懐疑論は頭に入れておいたほうがよいだろう。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>その池内の『イスラーム世界の論じ方』（中央公論新社,2008）が、たまたま図書館の展示コーナーに出ていたので手にとってみる。時評的なものを中心にまとめたものであるらしい……と、ぱらぱらとページをめくって、「まえがき」に戻る。こんなことが書いてあった。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
日本語でイスラーム世界を論じられるか。そんな疑問を抱きながら、この本に収めた論考を書いてきた。そもそも、国際社会の権力と政治について論じることのできる言葉と論理を、日本語は持っているのだろうか。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>このあと、「現実として、国際政治をめぐる有意義で影響力のある議論の多くは、英語でなされている」などということも書かれるが、英語ならば、政治的なことを語ることができるとか、英語を使えるようにしようという方向の話ではない。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
中東やイスラーム世界をめぐる英語での議論には、「当事者」の発言としての切迫感があり、深い含意や大きな影響力を持つものが多い。ここでいう「当事者」とは、発言が現地の現実と照合されて検証されるということを、発言する者たちが当然に前提としているということを意味している。「当事者」の発言は、対象となる現実に影響を及ぼす可能性があり、その結果が現地社会にとっても自国にとっても重大なものになりかねない。ときには本人にも直接跳ね返ってきさえしかねない。英語メディアでの議論は、そういったことまでも当然に想定したうえで行われざるを得ない。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>これに対して、日本における日本語の発言はどうか。そもそもイスラム世界の人々にとって、日本のイメージも相当に歪んだものであり、重視されているわけでもない。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここから&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
日本からはほとんど影響力を及ぼせない国際政治の動きが厳然としてあるということは、必ずしも悲観すべきことではない。局外にいることによって、政治的思惑に惑わされず、時間をかけ、多面的でより的確な認識を追究できる、という強みにもなりうる。ただしそのためにはかなりの自己規律が必要である。抜き差しならない当事者ではないということは、無責任に何を語ってもいいということにつながってしまいやすい。要するに、現地の現実はどうでもよくて、日本で大向こう受けすることを言えばいい、ということになってしまう。言語のモラルハザードである。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;-引用ここまで&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>「まえがき」らしく、やや大雑把な言い方ではあるけれど、問題意識がシンプルに提示される（話がそれるが、私はしばしば内容に歯が立たないような専門書の「まえがき」だけを読む―これがけっこう面白い―著者の情熱がまっすぐ伝わってくるのは、たぶんよい本なのだ）。</p>
<p>ここでは池内の本論のほうを紹介する余裕はないが、ああ、こういうモラルハザードはあるだろう……と思うのだった。<br />
日常生活に近い場面でも、「ここだけの話」などといって、勝手なことを言い合うのは、程度の差こそあれ、誰しも思い当たる節はあるだろう。「ここだけの話」にならざるを得ないような場合、はじめから放言に罪悪感を感じなかったりもする。たわいのない内容ならばよいが、放言は、やはり放言のレベルにとどまる。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>教師をしている人と短歌の話をする。「学校のことも、どんどん題材にしたらいいと思いますよ」と言うと、それは難しいという。生徒のプライヴァシーとか、職業的な守秘義務ということがあるし、だいいち教師としての正直な思いなど、とても作品として発表できるものではないという。</p>
<p>少しずつ細部は異なるが、似たような場面が最近何度かあった。「生徒のことなんか歌ってもいいんでしょうか？」という質問を受けたこともある。<br />
ある先生は、「小池さんの『佐野朋子』なんか、とんでもない」と言った。小池光歌集『日々の思ひ出』の作品である。</p>
<p>・　佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず</p>
<p>事実かどうかとかいったレベルの話はともかく……と言いたいところだが、なかなかそうも言ってられない場面があることはよくわかる。フィクションであっても、現実のあれこれに結び付けて理解する人がでてくる。そうしてかえって話がこじれる。<br />
それは教師だけでなくて、会社員をしていても会社の中のあれこれを断片として、情景描写として題材にしているのが同僚に知られると、いろいろとほじくりかえされる。人知れず短歌をつくっているうちは問題にならないが、作品が検索されたり、活字媒体にそれなりに作品がさらされるようになると、居心地の悪い事態になることは少なくない。親類家族に作品を読まれる場合も同様だろう。</p>
<p>だからペンネームにしてしまえ……という人がいる。どうせ短歌はマイナーな分野だから、気にする必要ないという人もいる。そんなふうに言ってしまいそうにならりながら、やはりそれはモラルハザードにつながることなのだと思い至る。</p>
<p>ペンネームはけしからんなどと言っているのではない。しかし、当事者であっても「ここだけの話」に逃げ込んでものを書くのだとすれば、そういう場で歌をつくるのだとすれば、よほど強く自分を律していないと、中途半端なものになってしまうおそれがあるだろう。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>小池作品の印象は、じつはそれほど重いものではなくて、明るくからっとした感じがする。佐野朋子（またはそのモデル）が実在かどうか知らないが、こんな歌を読めば「えへへへ」などと笑うだろうと思う。重点は、あたふたと駆け回る教師の自画像のほうにあるのだから。</p>
<p>教師をしている人の作品を少しあげてみる。もうすこし重い場面。</p>
<p>まずは、久我田鶴子歌集『雨の葛籠』から。</p>
<p>・　なんとせう夜ごとの夢にあらはれてあをじろき顔の生徒もの言はず</p>
<p>・　集団の力学のなかに身を置きてナイフをつねに持ちあるくＭ</p>
<p>・　共犯のよろこびあらは吾に訊くいちばん嫌ひな先生は誰</p>
<p>・　ただひとり家にゐるらしき素直さにＨの声が受話器を伝ふ</p>
<p>・　語気つよくもの言ふわれをドア閉ぢし廊下の声は「せんせい怖い」</p>
<p>このときは、荒れた高校に勤務しておられたらしい。夢の中にも生徒が無言であらわれる。ナイフを持っている生徒がいる。その生徒一人の問題というよりは、集団という場のなかで、仲間であることを示すために、あるいは身を守るためにナイフを持つのであろう。悪意の渦は教師を巻き込もうとすることもある。<br />
電話で素直に話しているのは、ふだんは周囲に友人がいればそれを意識し、親兄弟がいれば、また意識して荒々しいことを言う生徒なのだろう。さらに、生徒は生徒で「ここだけの話」をしているのが聞こえてしまう場面もある。</p>
<p>酒井久美子歌集『夏刈』から。</p>
<p>・　「殺すぞ」が挨拶がはりの一学期「ぞ」は強意の助詞ねとかはし</p>
<p>・　先生のせいじやなかろとタクシーに慰められをり土地訛りにて</p>
<p>・　差し入れは切手封筒　犬の絵のある便箋は不許可とされたり</p>
<p>・　しつかりと書けたる手紙の文字褒めて今担任になつた気がする</p>
<p>中学校である。古文の文法でかわすあたりは、なかなか面白いが、こんなふうにかわせる場面ばかりではなかっただろう。<br />
遠い土地の少年院に送られる生徒がいてときどき面会に行く。手紙の文字を褒める歌などはとても良い。表現されていなかった多くのことが背景にあるのだろう、と感じられる。義務教育の中学校であれば中退ということにもならない。少年院の卒業式は〈卒業生の数だけ中学校長ら座りて無言　式を待つ間も〉というように、それぞれ通っていた学校の校長と担任が出張してくるのだという。</p>
<p>それぞれ、ドキュメンタリーとして、まずは作品の重みを感じる。ひとつひとつの場面がいきいきと迫ってくる。</p>
<p>あえて比較して言うと、久我作品は、作品のなかに登場する生徒とのコミュニケーションが成り立っていないほうに傾く。それで価値がどうだというのではない。実際の、あるいは描こうとしている世界の厳しさの違いの反映であろう。ただ、「Ｍ」や「Ｈ」といったイニシャルが、どうにも私には居心地悪く感じられる。かえって生々しくなるのは、そういう効果を計算したのか。<br />
いっぽうで酒井作品は、個人を特定するようなことは慎重に避けられている。それをもって「きれいごと」などということを言う人もいるかもしれない。</p>
<p>どちらがよいというのではないが、いずれにしても、それぞれが、ぎりぎりのところで表現の水準を測っているのだろう。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>こういうことが問題になるのは教師だけではないのだが、職業がらかどうか、どうも先生がたはいろいろと考えてしまうようだ。何かあったときのリスクも大きいかもしれない。<br />
しかし、自分を律して真摯につくるというのは、モラルに縛られるということとは違う。ガイドラインとかマニュアルがあるわけではないのだ。<br />
自分にとって最も大切なことを歌うべきであって、それが現実世界にかかわることであれば、どうにかして歌うべきだろう。それはもう緊張感や覚悟というほかはない。その緊張感や覚悟こそが作品の強度を支えているのだ。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8211;</p>
<p>引用中の作者名（久我 田鶴子氏）に誤記がありました。お詫びして訂正いたします。</p>
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		<title>ぎこちなく</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Mar 2010 14:28:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>真中 朋久</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[高島裕の散文集『廃虚からの祈り』（北冬舎）が出たので早速読む。評論集ではなく、エッセイ集でもなく、「散文集」だという。詩歌は、そして短歌はかくあるべしという強い希求につらぬかれた一冊である。希求というよりも、断言が多いかもしれない。
高島の書くことについては、本書のなかの「過去からの光」が発表されたときにも書いたことがある（※１）。熱意に打たれながら、その意図する方向が、つまらない復古主義に陥るのではないかと危ぶみながら読んだことであった。そしてその後も、あれこれ批判されることがありながらも確信をもって発言を続けているのを、（高島が古田足日『おしいれのぼうけん』を引用していることにならって言えば）「えらいな」と思ったことであった。
一冊としてまとまったものを読むときに、あいかわらず危うい感じは拭えないところがあるものの、いくつかの回想記的エッセイなどをまじえて読むと、結論はともかくとして納得するところがある。高島の論考が書かれているというよりも、高島という人間がそこにいるのだ。そのことを私は喜ぶ。
＊
それぞれ、まだ短歌にかかわっていなかった頃のことであるが、ある時期、高島と私はお互い知らぬまま近いところにいた。
１９８０年代の後半、京都での学生生活は数年の差ががあるものの、こちらは卒業後も大学近辺に住んで、学生時代のつきあいは切れていなかった。高島は一時期の学生運動とのかかわりを、深く悔い「わが過ち」として書いているが、おそらくそのあたりで、私とも共通の知人が何人かいるだろう。
８０年代の京都というのは、まだ７０年代のざわめきを残していた。もとより、ざわついていたのはごく一部のことであり、９０年代以降も、かたちを変えたざわめきはあったらしいと、これは吉川宏志の書いていることなどから知れるが、８０年代のこととして言えば「ガラパゴス」などと揶揄されつつ、寮の管理強化であるとか、キャンパスの移転などにかかわる問題のために、散発的にバリケードが築かれたりすることもあったのだ。政治課題としては、高島も触れているように、韓国の民主化運動への連帯であるとか、天皇の代替わりに際して天皇制をどう考えるかというようなことが問題になっていた。
呪文にすぎないことを唱えたり（※２）、笑止なことも含めて、いろいろなことがあったわけだが、高島はそれを「若気の至り」とする。ああ、そう思う人もいるのだろう……と思う。思いながらも、それは違うなあとも感じるのだ。
そもそも大学に入る前から身構えていた。寮に住んでいたから、いつも身辺慌しく出入りがあった。しばしば「お前はどうするのか」と問い詰められる。相反する立場それぞれの話を聞きながら、あれこれ疑いながら迷いながら、半身でかかわったというのが実情かもしれない。徹底しなかった分、完全に折れるということもなかった。だから負い目を感じつつ、「お前はどうするのか」という問いを、今も保っているようなところがある。つまり同じところをうろうろとしていると見ることもできよう。
と、そんなふうに、高島の書いたものを読んでいると、つい私のほうも回想および反省モードに引き寄せられるのだ。
そしてその後、いくつもの分岐点を別の方向に歩んできた。あるいは私は分岐点を行きつ戻りつしているあいだに、高島は遠くまで行ってしまった。そんな感じがするのだ。
＊
私は反省する。しかし反省することと屈服することは違う。私は伝統を尊重する。しかし尊重し学び、自らの滋養とすることは、伝統に帰順することとは違う。そんなふうに思っている。
ただ、しばしばそれは混同される。反省することが屈服すことにつながり、それゆえ反省すること自体が有害なことと退けられる。私には、それは大人のすることとは思えないのだが、冷静に反省するというのは、そもそも人間には難しいことなのか。
いっぽう、伝統に関しては、必ずしも理詰めではない。身体性をもったものであり、どっぷりと浸からないとわからない部分もあるだろう。しかし、どっぷり浸かるだけで良いのかというと、私の身体は素直には納得しない。
高島はこんなふうに書く。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
短歌定型の力は、民族の歴史的連続性によって支へられてゐる。だから、短歌定型の力によって救済されることの意味は、民族の歴史的連続性に抱き取られることによつて、その安らぎとなつかしさのなかで、日本人としての自分を感じ、日本人としての輪郭を獲得するといふことなのだ。それは、近代的に孤立した自我とはまったく異質な〈自分〉である。戦後的に無国籍で無色透明な〈人間〉ともまったく異質な〈自分〉である。
いま語つたことは、かうあらねばならぬといふ当為ではなく、かうあつてしまふといふ自然である。だから短歌定型を無色透明な詩の型と見做して作歌することも、短歌定型を利用してどのやうな言語実験を行ふことも、非難するにはあたらない。好きにやればよろしい。ただ、短歌が短歌である限り、さうした試みのすべては、いづれ、民族の歴史的連続性に照らして評価され、審判されることになる。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
ほんとうに自然なのか。ほんとうに「安らぎ」を感じられるものなのか。
たとえば高島が愛情を込めて書く大伴家持の作品。
・　うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば
は、近代的な誤解も含むかもしれないが、すっと心に入ってくる。しかし、
・　新（あたら）しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事（よごと）
になると、ややハードルが上がる。高島の解説を読みながら、なるほど祈りのこもった作品と理解するが、これを繰り返し唱えて、まっすぐに感じられるようになるだろうか。とりあえず、下句がどうも落ち着かないのだが、そんなところまで含めて私の言語感覚を塗り替える必要があるのか。
あるいは、私にも高島のような「ふるさと」があれば同じように感じることができるのだろうか。父祖の地と呼びうるところで育ったならば、伝統的なものに、「安らぎとなつかしさ」を感じることがあるのだろうか。
環境決定論をとりたくはないが、「西部劇の街」のように開かれ地方都市に、さまざまな文化を持ち寄って流れ着いた両親のもとに生まれ、戦後の空気の中にどっぷりと漬かって育った者には、土地とか血縁というものの連続性は自明ではない。
高島の文章は、そもそも論証しようとすること自体を拒否しているようなところがあって、取りつく島も無いのだが、おそらく「かうあつてしまふ」ということを論理だてて説明するのは困難なことなのだろう。
私も「利用」とか「言語実験」ということには距離をとる者である。詩型を「無色透明」とは思わない。日々、工夫し実験のようなこともするけれど、自然に出てくる言葉でなければ意味がない。理屈を捏ね、試行錯誤するのは、自分のなかから出てくる表現を見つけ出すための営為であると思っている。その結果が伝統的なものと一致することもあるし、そうならないこともある。
そしてまた、伝統の中にもいくつも断層はあるのだ。残らないものも多々ある。たしかに、歴史的に「審判されることになる」のだろうけれど、それはそれてとして、勝利者が正しいという話になるのであれば、それは文芸ではなかろう。永く省みられなかったものに突如として光が当てられることも稀ではない。そのように「再審請求」を求める作品、そして歌人は、まだたくさん埋もれているだろうと思うのだ。
高島はまたこんなふうにも言う。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
民族、日本人という言葉にたいして、このグローバルな時代に、あまりに視野が狭いと笑ふ人がゐるかもしれない。だが、さう言ふあなたは一体誰なのか？　世界市民か？　透明人類か？　自分は日本人であるといふ事実から目をそむけ、民族的アイデンティティーに無自覚なまま、海月（くらげ）のやうにふらふらと海外へ漂ひ出す人は、世界の笑ひ者になるだらう。私は、人間である前に、日本人である。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
こんなふうに「日本人である」と疑いなく言える人は、たぶんたくさんいるのだろう。多数派なのかもしれない。それを虚構だなどと言うつもりはない。
だが、文化的には明らかに、そして濃淡のさまざまを含めて言えば血統的にも、私たちはハイブリッド（雑種）であることを余儀なくされているというのも一方の現実である。
もうひとつ言えば、「世界の笑ひ者」にならないように、慌てて古典を勉強したりするというのだとすれば、これはどこか不自然である。もちろん高島もそんなことのために伝統に帰順せよと言っているわけではないのだろう。
私などはむしろ、コスモポリタン（世界市民）であるほかはないと思っている。苦々しく思っている。そしてたまたま現代日本語を母語として育ち、国籍は日本である。それゆえ、選び取るものとして、他のどれでもなかったのである。私の自然はそういうことになる。
私は私なりに、ぎこちなく古典を読み味わうということを続けるだろう。私は私の祈りを、ぎこちなく短歌定型の言葉に託すだろう。
高島の言挙げを遠く聞きつつ、そんなふうに思うのだ。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;
※１
「短歌」2005年9月号,角川書店
※２
http://www.sunagoya.com/tanka/?p=2089
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>高島裕の散文集『廃虚からの祈り』（北冬舎）が出たので早速読む。評論集ではなく、エッセイ集でもなく、「散文集」だという。詩歌は、そして短歌はかくあるべしという強い希求につらぬかれた一冊である。希求というよりも、断言が多いかもしれない。</p>
<p>高島の書くことについては、本書のなかの「過去からの光」が発表されたときにも書いたことがある（※１）。熱意に打たれながら、その意図する方向が、つまらない復古主義に陥るのではないかと危ぶみながら読んだことであった。そしてその後も、あれこれ批判されることがありながらも確信をもって発言を続けているのを、（高島が古田足日『おしいれのぼうけん』を引用していることにならって言えば）「えらいな」と思ったことであった。<br />
一冊としてまとまったものを読むときに、あいかわらず危うい感じは拭えないところがあるものの、いくつかの回想記的エッセイなどをまじえて読むと、結論はともかくとして納得するところがある。高島の論考が書かれているというよりも、高島という人間がそこにいるのだ。そのことを私は喜ぶ。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>それぞれ、まだ短歌にかかわっていなかった頃のことであるが、ある時期、高島と私はお互い知らぬまま近いところにいた。</p>
<p>１９８０年代の後半、京都での学生生活は数年の差ががあるものの、こちらは卒業後も大学近辺に住んで、学生時代のつきあいは切れていなかった。高島は一時期の学生運動とのかかわりを、深く悔い「わが過ち」として書いているが、おそらくそのあたりで、私とも共通の知人が何人かいるだろう。</p>
<p>８０年代の京都というのは、まだ７０年代のざわめきを残していた。もとより、ざわついていたのはごく一部のことであり、９０年代以降も、かたちを変えたざわめきはあったらしいと、これは吉川宏志の書いていることなどから知れるが、８０年代のこととして言えば「ガラパゴス」などと揶揄されつつ、寮の管理強化であるとか、キャンパスの移転などにかかわる問題のために、散発的にバリケードが築かれたりすることもあったのだ。政治課題としては、高島も触れているように、韓国の民主化運動への連帯であるとか、天皇の代替わりに際して天皇制をどう考えるかというようなことが問題になっていた。<br />
呪文にすぎないことを唱えたり（※２）、笑止なことも含めて、いろいろなことがあったわけだが、高島はそれを「若気の至り」とする。ああ、そう思う人もいるのだろう……と思う。思いながらも、それは違うなあとも感じるのだ。<br />
そもそも大学に入る前から身構えていた。寮に住んでいたから、いつも身辺慌しく出入りがあった。しばしば「お前はどうするのか」と問い詰められる。相反する立場それぞれの話を聞きながら、あれこれ疑いながら迷いながら、半身でかかわったというのが実情かもしれない。徹底しなかった分、完全に折れるということもなかった。だから負い目を感じつつ、「お前はどうするのか」という問いを、今も保っているようなところがある。つまり同じところをうろうろとしていると見ることもできよう。</p>
<p>と、そんなふうに、高島の書いたものを読んでいると、つい私のほうも回想および反省モードに引き寄せられるのだ。<br />
そしてその後、いくつもの分岐点を別の方向に歩んできた。あるいは私は分岐点を行きつ戻りつしているあいだに、高島は遠くまで行ってしまった。そんな感じがするのだ。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>私は反省する。しかし反省することと屈服することは違う。私は伝統を尊重する。しかし尊重し学び、自らの滋養とすることは、伝統に帰順することとは違う。そんなふうに思っている。<br />
ただ、しばしばそれは混同される。反省することが屈服すことにつながり、それゆえ反省すること自体が有害なことと退けられる。私には、それは大人のすることとは思えないのだが、冷静に反省するというのは、そもそも人間には難しいことなのか。<br />
いっぽう、伝統に関しては、必ずしも理詰めではない。身体性をもったものであり、どっぷりと浸からないとわからない部分もあるだろう。しかし、どっぷり浸かるだけで良いのかというと、私の身体は素直には納得しない。</p>
<p>高島はこんなふうに書く。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
短歌定型の力は、民族の歴史的連続性によって支へられてゐる。だから、短歌定型の力によって救済されることの意味は、民族の歴史的連続性に抱き取られることによつて、その安らぎとなつかしさのなかで、日本人としての自分を感じ、日本人としての輪郭を獲得するといふことなのだ。それは、近代的に孤立した自我とはまったく異質な〈自分〉である。戦後的に無国籍で無色透明な〈人間〉ともまったく異質な〈自分〉である。<br />
いま語つたことは、かうあらねばならぬといふ当為ではなく、かうあつてしまふといふ自然である。だから短歌定型を無色透明な詩の型と見做して作歌することも、短歌定型を利用してどのやうな言語実験を行ふことも、非難するにはあたらない。好きにやればよろしい。ただ、短歌が短歌である限り、さうした試みのすべては、いづれ、民族の歴史的連続性に照らして評価され、審判されることになる。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>ほんとうに自然なのか。ほんとうに「安らぎ」を感じられるものなのか。</p>
<p>たとえば高島が愛情を込めて書く大伴家持の作品。</p>
<p>・　うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば</p>
<p>は、近代的な誤解も含むかもしれないが、すっと心に入ってくる。しかし、</p>
<p>・　新（あたら）しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事（よごと）</p>
<p>になると、ややハードルが上がる。高島の解説を読みながら、なるほど祈りのこもった作品と理解するが、これを繰り返し唱えて、まっすぐに感じられるようになるだろうか。とりあえず、下句がどうも落ち着かないのだが、そんなところまで含めて私の言語感覚を塗り替える必要があるのか。</p>
<p>あるいは、私にも高島のような「ふるさと」があれば同じように感じることができるのだろうか。父祖の地と呼びうるところで育ったならば、伝統的なものに、「安らぎとなつかしさ」を感じることがあるのだろうか。<br />
環境決定論をとりたくはないが、「西部劇の街」のように開かれ地方都市に、さまざまな文化を持ち寄って流れ着いた両親のもとに生まれ、戦後の空気の中にどっぷりと漬かって育った者には、土地とか血縁というものの連続性は自明ではない。</p>
<p>高島の文章は、そもそも論証しようとすること自体を拒否しているようなところがあって、取りつく島も無いのだが、おそらく「かうあつてしまふ」ということを論理だてて説明するのは困難なことなのだろう。<br />
私も「利用」とか「言語実験」ということには距離をとる者である。詩型を「無色透明」とは思わない。日々、工夫し実験のようなこともするけれど、自然に出てくる言葉でなければ意味がない。理屈を捏ね、試行錯誤するのは、自分のなかから出てくる表現を見つけ出すための営為であると思っている。その結果が伝統的なものと一致することもあるし、そうならないこともある。</p>
<p>そしてまた、伝統の中にもいくつも断層はあるのだ。残らないものも多々ある。たしかに、歴史的に「審判されることになる」のだろうけれど、それはそれてとして、勝利者が正しいという話になるのであれば、それは文芸ではなかろう。永く省みられなかったものに突如として光が当てられることも稀ではない。そのように「再審請求」を求める作品、そして歌人は、まだたくさん埋もれているだろうと思うのだ。</p>
<p>高島はまたこんなふうにも言う。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
民族、日本人という言葉にたいして、このグローバルな時代に、あまりに視野が狭いと笑ふ人がゐるかもしれない。だが、さう言ふあなたは一体誰なのか？　世界市民か？　透明人類か？　自分は日本人であるといふ事実から目をそむけ、民族的アイデンティティーに無自覚なまま、海月（くらげ）のやうにふらふらと海外へ漂ひ出す人は、世界の笑ひ者になるだらう。私は、人間である前に、日本人である。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>こんなふうに「日本人である」と疑いなく言える人は、たぶんたくさんいるのだろう。多数派なのかもしれない。それを虚構だなどと言うつもりはない。</p>
<p>だが、文化的には明らかに、そして濃淡のさまざまを含めて言えば血統的にも、私たちはハイブリッド（雑種）であることを余儀なくされているというのも一方の現実である。<br />
もうひとつ言えば、「世界の笑ひ者」にならないように、慌てて古典を勉強したりするというのだとすれば、これはどこか不自然である。もちろん高島もそんなことのために伝統に帰順せよと言っているわけではないのだろう。</p>
<p>私などはむしろ、コスモポリタン（世界市民）であるほかはないと思っている。苦々しく思っている。そしてたまたま現代日本語を母語として育ち、国籍は日本である。それゆえ、選び取るものとして、他のどれでもなかったのである。私の自然はそういうことになる。</p>
<p>私は私なりに、ぎこちなく古典を読み味わうということを続けるだろう。私は私の祈りを、ぎこちなく短歌定型の言葉に託すだろう。</p>
<p>高島の言挙げを遠く聞きつつ、そんなふうに思うのだ。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;<br />
※１<br />
「短歌」2005年9月号,角川書店</p>
<p>※２<br />
<a href="http://www.sunagoya.com/tanka/?p=2089">http://www.sunagoya.com/tanka/?p=2089</a></p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>〈語り〉をひきだす</title>
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		<pubDate>Wed, 03 Feb 2010 14:20:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>真中 朋久</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.sunagoya.com/jihyo/?p=184</guid>
		<description><![CDATA[日々のクオリアのほうを担当しておられる大松達知さんが、少し前のご自身のブログに「添削」ということについて書いておられた（※１）。
添削など必要なさそうなベテランも、添削を求めるという。そういうところから、そもそも「添削」はどういうことか？と問題を立てている。これはまた考え始めると、いろいろな面がありそうだが、ひとまずは読んでコメントをもらうことが必要なのだろうとまとめている。
おそらく選歌欄への投稿というのも、そんなふうに読者を求める行為なのだろう。「添削」というのは、いわゆる投稿と比べれば必ずコメントが返って来るというところに特徴がある。
＊
これはもう少し古い話。月刊「新潮」の昨年１０月号に、六車由実が「『介護民俗学』から」という文章を書いている。
六車由実といえば、『神、人を喰う―人身御供の民俗学―』（新曜社,2003：サントリー学芸賞）である。人柱や人身御供、祭礼における食ということを考えようとするとき、参考になることがいろいろ書かれていてたいへん面白かった。最近は、エンターテインメント系の時代小説で参考文献に上がっていたりする。
その六車が、東北芸術工科大学を退職して、いまは「縁あって、静岡県東部地区のある特別養護老人ホーム内のデイサービスセンターで介護職員として勤務している」という。文中には、民俗学の行き詰まりのようなことも示唆されているが、どんな経緯があったのかはわからない（※２）。
ともかく、「３ヶ月間、ホームヘルパー２級の講習を受講したうえで、現職場で働くようになった」のであり、執筆時点で「働きはじめて３ヶ月以上たつ」ということである。当然ながら、いろいろ戸惑うことがあるようだが、そのハードルを乗り越えつつある現状について、まず、こんなふうに書いている。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
大きな心の支えになっているのは、デイサービスの利用者との関係である。デイサービスには、大正一桁生まれはもちろんのこと、明治生まれの利用者も通っている。しかも子供のころのことや若いころのことはかなり鮮明に覚えている。たとえば大正２年生まれの女性利用者は、関東大震災のことを生々しく語ってくれる。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
そうだろうなあ、今朝のこと忘れても古いことは覚えているんだよなあ……とまずは思いながら読む。しかし、このことが民俗学において、どれほど重要性かということは、ふつう気がつかない。六車は、つづけてこう書く。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
実は、私が民俗学の聞き書きを始めた頃にはもうムラでは大正一桁や明治生まれの方にお話を聞くことはほとんどできなかった。せいぜい聞けても大正二桁までだったのである。それが、デイサービスではなんと関東大震災を体験した世代からの生の声を聞けるのである。また、高度成長期に多くの出稼ぎ者を迎えた静岡県の特徴なのか、北海道長万部出身の炭鉱で働いてきた男性、宮崎県都城市出身で東海道新幹線が開通した年に静岡に来たという男性、そして、長野県栄村、すなわち鈴木牧之の描いた秋山郷で炭焼きの両親のもとで育った女性など、全国各地から利用者が集まっている。その利用者たちが様々な経験について語ってくれるのである。まさに、デイサービスは民俗学の宝庫といっていいだろう。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
１９７０年生まれの六車が、フィールドワークを始めたのは、十数年前のことであろう。その頃すでに、過疎の農村に話の聞けるお年寄りが少なくなっていたのだ。民俗学というと、現場が重要であり、その場に根ざして長く生活してきた人から話を聞くというものだろうと思われるが、過疎の現実からすると、もはやそこにとどまる人だけを対象にしているのでは、私たちの文化の基層は深く埋もれてしまって見えなくなっている。むしろ、出稼ぎのために都会に出て、そのまま定着した人々や、都会で生活する子や孫のところに身を寄せることになった人々のほうが、多数派であるかもしれない。
そういう人に出会いながら、「介護の現場は、民俗学のフィールドとして新たな可能性をもっている」と、すこし興奮ぎみに書いている。その熱気が伝わってくる文章だ。
＊
もうひとつの論点は、高齢者介護に対する、民俗学的アプローチの重要性である。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
自分は何の役にも立たない、何のため生きているのか、この世は生き地獄だといった言葉を利用者が口にすることがしばしばある。すなわち、利用者の多くは、体力や記憶力の衰えなどにより、社会や家族からの疎外感を感じ、生きる気力を喪失しているのである。ところが、そうした利用者に子供のころや社会で活躍していたころの話を聞くと、表情は一変しいきいきと目を輝かせていく。介護の世界では、このような利用者の話を聞くことで記憶を呼び起こしていく方法を回想法と呼び、９０年代から本格的に日本でも試みられてきた。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
話を聞くのは、民俗学の「お家芸」である。フィールドワークである。民俗学でも文献だけを扱う人もいれば、少数のインフォーマント（案内人：しばしば農村出身の学生など）からの情報に依拠したり、弟子をフィールドワークに派遣することによって、考える材料を集めるような場合もある。けれど、基本は、その土地の人の語りを引き出すことであり、それは〈俺は学者だ〉式では、ぜんぜん駄目なのだ。
語り手を肯定し、学ぶ姿勢で臨まなければならない。訛りのある言葉を理解できなければならないし、その土地のことについての基礎知識がなければ、話の接ぎ穂が出せない。相槌をうち、適切なタイミングで問いかけ、それによって話者とともに、降り積もった記憶の迷路をたどってゆく。もちろんそれは、現実そのままではなく、長年にわたって変形された記憶であるかもしれないけれど、生きた記憶を、そうやって引き出しながら、話者自身が、自分を回復してゆくことになる。
これはつまり、ほとんどカウンセリングそのものであるとも言える。そして通りいっぺんのカウンセリングではないのである。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
民俗学の側からは、これまで高齢者介護には全くアプローチがなかったが、私は実際に介護の現場で利用者に話を聞きながら、この回想法には民俗学的な知識や手法が必要であることを実感している。というのも、聴き手である介護者の側に、利用者の生きてきた頃の暮らしやその時代背景などについての知識と関心がなければ、利用者の発する言葉の意味を受け止めることは難しいのではないかと思うからである。たとえば栄村出身の利用者が「私は山育ちで炭焼きばかりしてきたから都会のことはわからないの」と言ったとき、栄村＝秋山郷という知識のもとに、炭焼き小屋はどんなだったのかとか山ではどんなものが採れたか、などといった問いかけを聴き手がしていかなければ、「山育ち」だけで話は終わってしまう。利用者の心に寄り添ってより深く記憶を掘り下げるためには、利用者の暮らしてきた地域や時代とはどういうものかを知っているかどうか、あるいはどれだけそこに関心を向けることができるかどうかが、回想法においては、聴き手側に求められる資質であるはずである。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
つまりは、そういうことなのだ。「関心を向ける」ということなのである。それを抜きにしては、どんなに福祉に予算をつぎこんでも、人は幸せにはならない。
そのひとに興味をもてば、その人の生活史を知らなければならない。それはつまり、大きな社会の歴史だけではなく、まさに民俗学が扱ってきた分野なのである。
＊
六車が書いているのは大きく２点。民俗学としての可能性。そして介護の現場で民俗学的アプローチが有効であること。このことから六車は「介護民俗学」を掲げようという。それをライフワークにしようというのである。
六車自身の、そいして民俗学と社会福祉の双方の分野で、よい成果が出ることを期待したいと思う。
＊
六車の文章を読みながら思うのは、「語り」と、それを引き出すということは、短歌を作ることと、読み味わうことに似ているということである。もちろん同じだとは言わないが、たとえば近代短歌を鑑賞するというのも、どこか古老の回想を聞き出すようなところがある。選歌や添削の現場、教室などで高齢者の作品を読むのも、そういうことだろう。
背景となる歴史についてある程度知っていなければ鑑賞の手がかりがない。年表的な事実だけではなく社会生活がどうであったのかということは、むしろ作品の中から読み取ることであるかもしれない。
歌会や、教室などで長々と「語り」がはじまってしまうと困ることもある。聴き手としての「資質」といわれると、私などは苦手だと思わざるを得ないが、薀蓄も含めて、社会の歴史について折々調べていることが話の接ぎ穂なる。おそらくは拾い落としている題材がたくさんあって、それは聞き手のいるところで発見されるのだろう。
読み取られ、作歌を促されることは、作者にとって必要なことであると同時に、読む側も、自分の鑑賞の枠を広げることであるだろう。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8211;
※１
http://pinecones.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-e3c7.html
※２
http://muguyumi.hp.infoseek.co.jp/
「しばらく更新もしなかったため、「六車が行方不明になった」との噂が巷に広がっていたとか、なかったとか。」と書いておられるが、ほんとに心配してたのですぞ。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>日々のクオリアのほうを担当しておられる大松達知さんが、少し前のご自身のブログに「添削」ということについて書いておられた（※１）。<br />
添削など必要なさそうなベテランも、添削を求めるという。そういうところから、そもそも「添削」はどういうことか？と問題を立てている。これはまた考え始めると、いろいろな面がありそうだが、ひとまずは読んでコメントをもらうことが必要なのだろうとまとめている。<br />
おそらく選歌欄への投稿というのも、そんなふうに読者を求める行為なのだろう。「添削」というのは、いわゆる投稿と比べれば必ずコメントが返って来るというところに特徴がある。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>これはもう少し古い話。月刊「新潮」の昨年１０月号に、六車由実が「『介護民俗学』から」という文章を書いている。</p>
<p>六車由実といえば、『神、人を喰う―人身御供の民俗学―』（新曜社,2003：サントリー学芸賞）である。人柱や人身御供、祭礼における食ということを考えようとするとき、参考になることがいろいろ書かれていてたいへん面白かった。最近は、エンターテインメント系の時代小説で参考文献に上がっていたりする。</p>
<p>その六車が、東北芸術工科大学を退職して、いまは「縁あって、静岡県東部地区のある特別養護老人ホーム内のデイサービスセンターで介護職員として勤務している」という。文中には、民俗学の行き詰まりのようなことも示唆されているが、どんな経緯があったのかはわからない（※２）。<br />
ともかく、「３ヶ月間、ホームヘルパー２級の講習を受講したうえで、現職場で働くようになった」のであり、執筆時点で「働きはじめて３ヶ月以上たつ」ということである。当然ながら、いろいろ戸惑うことがあるようだが、そのハードルを乗り越えつつある現状について、まず、こんなふうに書いている。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
大きな心の支えになっているのは、デイサービスの利用者との関係である。デイサービスには、大正一桁生まれはもちろんのこと、明治生まれの利用者も通っている。しかも子供のころのことや若いころのことはかなり鮮明に覚えている。たとえば大正２年生まれの女性利用者は、関東大震災のことを生々しく語ってくれる。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>そうだろうなあ、今朝のこと忘れても古いことは覚えているんだよなあ……とまずは思いながら読む。しかし、このことが民俗学において、どれほど重要性かということは、ふつう気がつかない。六車は、つづけてこう書く。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
実は、私が民俗学の聞き書きを始めた頃にはもうムラでは大正一桁や明治生まれの方にお話を聞くことはほとんどできなかった。せいぜい聞けても大正二桁までだったのである。それが、デイサービスではなんと関東大震災を体験した世代からの生の声を聞けるのである。また、高度成長期に多くの出稼ぎ者を迎えた静岡県の特徴なのか、北海道長万部出身の炭鉱で働いてきた男性、宮崎県都城市出身で東海道新幹線が開通した年に静岡に来たという男性、そして、長野県栄村、すなわち鈴木牧之の描いた秋山郷で炭焼きの両親のもとで育った女性など、全国各地から利用者が集まっている。その利用者たちが様々な経験について語ってくれるのである。まさに、デイサービスは民俗学の宝庫といっていいだろう。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>１９７０年生まれの六車が、フィールドワークを始めたのは、十数年前のことであろう。その頃すでに、過疎の農村に話の聞けるお年寄りが少なくなっていたのだ。民俗学というと、現場が重要であり、その場に根ざして長く生活してきた人から話を聞くというものだろうと思われるが、過疎の現実からすると、もはやそこにとどまる人だけを対象にしているのでは、私たちの文化の基層は深く埋もれてしまって見えなくなっている。むしろ、出稼ぎのために都会に出て、そのまま定着した人々や、都会で生活する子や孫のところに身を寄せることになった人々のほうが、多数派であるかもしれない。</p>
<p>そういう人に出会いながら、「介護の現場は、民俗学のフィールドとして新たな可能性をもっている」と、すこし興奮ぎみに書いている。その熱気が伝わってくる文章だ。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>もうひとつの論点は、高齢者介護に対する、民俗学的アプローチの重要性である。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
自分は何の役にも立たない、何のため生きているのか、この世は生き地獄だといった言葉を利用者が口にすることがしばしばある。すなわち、利用者の多くは、体力や記憶力の衰えなどにより、社会や家族からの疎外感を感じ、生きる気力を喪失しているのである。ところが、そうした利用者に子供のころや社会で活躍していたころの話を聞くと、表情は一変しいきいきと目を輝かせていく。介護の世界では、このような利用者の話を聞くことで記憶を呼び起こしていく方法を回想法と呼び、９０年代から本格的に日本でも試みられてきた。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>話を聞くのは、民俗学の「お家芸」である。フィールドワークである。民俗学でも文献だけを扱う人もいれば、少数のインフォーマント（案内人：しばしば農村出身の学生など）からの情報に依拠したり、弟子をフィールドワークに派遣することによって、考える材料を集めるような場合もある。けれど、基本は、その土地の人の語りを引き出すことであり、それは〈俺は学者だ〉式では、ぜんぜん駄目なのだ。</p>
<p>語り手を肯定し、学ぶ姿勢で臨まなければならない。訛りのある言葉を理解できなければならないし、その土地のことについての基礎知識がなければ、話の接ぎ穂が出せない。相槌をうち、適切なタイミングで問いかけ、それによって話者とともに、降り積もった記憶の迷路をたどってゆく。もちろんそれは、現実そのままではなく、長年にわたって変形された記憶であるかもしれないけれど、生きた記憶を、そうやって引き出しながら、話者自身が、自分を回復してゆくことになる。</p>
<p>これはつまり、ほとんどカウンセリングそのものであるとも言える。そして通りいっぺんのカウンセリングではないのである。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
民俗学の側からは、これまで高齢者介護には全くアプローチがなかったが、私は実際に介護の現場で利用者に話を聞きながら、この回想法には民俗学的な知識や手法が必要であることを実感している。というのも、聴き手である介護者の側に、利用者の生きてきた頃の暮らしやその時代背景などについての知識と関心がなければ、利用者の発する言葉の意味を受け止めることは難しいのではないかと思うからである。たとえば栄村出身の利用者が「私は山育ちで炭焼きばかりしてきたから都会のことはわからないの」と言ったとき、栄村＝秋山郷という知識のもとに、炭焼き小屋はどんなだったのかとか山ではどんなものが採れたか、などといった問いかけを聴き手がしていかなければ、「山育ち」だけで話は終わってしまう。利用者の心に寄り添ってより深く記憶を掘り下げるためには、利用者の暮らしてきた地域や時代とはどういうものかを知っているかどうか、あるいはどれだけそこに関心を向けることができるかどうかが、回想法においては、聴き手側に求められる資質であるはずである。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>つまりは、そういうことなのだ。「関心を向ける」ということなのである。それを抜きにしては、どんなに福祉に予算をつぎこんでも、人は幸せにはならない。</p>
<p>そのひとに興味をもてば、その人の生活史を知らなければならない。それはつまり、大きな社会の歴史だけではなく、まさに民俗学が扱ってきた分野なのである。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>六車が書いているのは大きく２点。民俗学としての可能性。そして介護の現場で民俗学的アプローチが有効であること。このことから六車は「介護民俗学」を掲げようという。それをライフワークにしようというのである。<br />
六車自身の、そいして民俗学と社会福祉の双方の分野で、よい成果が出ることを期待したいと思う。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>六車の文章を読みながら思うのは、「語り」と、それを引き出すということは、短歌を作ることと、読み味わうことに似ているということである。もちろん同じだとは言わないが、たとえば近代短歌を鑑賞するというのも、どこか古老の回想を聞き出すようなところがある。選歌や添削の現場、教室などで高齢者の作品を読むのも、そういうことだろう。</p>
<p>背景となる歴史についてある程度知っていなければ鑑賞の手がかりがない。年表的な事実だけではなく社会生活がどうであったのかということは、むしろ作品の中から読み取ることであるかもしれない。<br />
歌会や、教室などで長々と「語り」がはじまってしまうと困ることもある。聴き手としての「資質」といわれると、私などは苦手だと思わざるを得ないが、薀蓄も含めて、社会の歴史について折々調べていることが話の接ぎ穂なる。おそらくは拾い落としている題材がたくさんあって、それは聞き手のいるところで発見されるのだろう。</p>
<p>読み取られ、作歌を促されることは、作者にとって必要なことであると同時に、読む側も、自分の鑑賞の枠を広げることであるだろう。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8211;<br />
※１<br />
<a href="http://pinecones.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-e3c7.html">http://pinecones.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-e3c7.html</a></p>
<p>※２<br />
<a href="http://muguyumi.hp.infoseek.co.jp/">http://muguyumi.hp.infoseek.co.jp/</a><br />
「しばらく更新もしなかったため、「六車が行方不明になった」との噂が巷に広がっていたとか、なかったとか。」と書いておられるが、ほんとに心配してたのですぞ。</p>
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		<title>信仰を〈読む〉</title>
		<link>http://www.sunagoya.com/jihyo/?p=174</link>
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		<pubDate>Tue, 05 Jan 2010 03:12:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>真中 朋久</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[島田幸典さんの跡をひきつぎ、一年間書かせていただきます。気楽な文章を……と思いながら、最初からすこし重くなりました。書き込み方法に慣れるまで、いましばらく不体裁なところもあるものと思いますがご容赦ください。
＊
「短歌往来」１月号に掲載された、岩井謙一「川野里子『幻想の重量』への疑問」に、少し驚きながら、いくらかの部分については、私の感じていた疑問とも重なるので、なるほどと思いながら読む。
葛原妙子のよい読者ではない私が言っても重みが無いが、川野の『幻想の重量―葛原妙子の戦後短歌』（本阿弥書店）は、力作であり必読書であろう。前衛短歌の随伴者として名前が挙がるが、ほんとうにそうなのか。そうだとして塚本邦雄との距離はどうなのか。そういったことを戦中・戦後という時代背景を押さえながら評伝的にたどり、当時の「潮音」誌上の作品や文章、そしてライヴァルと目される倉地與年子らの作品と比較しながら立体的に論じてゆくのは読み応えがあった。
さて、岩井の批判は、主として川野のキリスト教理解にある。私もまた『幻想の重量』を読みながら、そのキリスト教についての議論に、どうも落ち着かない思いを抱えていたので、岩井の文章を手掛かりに、少し考えてみたいと思う。
キリスト教的な内容の作品が数多くあるけれど、受洗したのは死の間際である。そのことをどのように理解するのかというのがポイントになるだろうか。川野は「信者としてではなく、むしろ神を呪うものとしてキリスト教の傍らにありつづけた」とする。いっぽう、岩井は「葛原妙子はキリスト教の信仰者であったが、死の寸前まで信者ではなかった」と書く。
岩井の文章は、いささかキリスト教史や教義に立ち入って、もっともだと思うところもあるのだが、これは拠って立つところの信仰的な立場の表明であろう。そのことについては、稿をあらためるが、作品の読解にかかわるところについて、コメントしておこう。
例えばこういう一節がある。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
信仰を理解していない川野の葛原妙子の歌に対する読みも疑問点が多々ある。川野は葛原妙子を積極的な無神論者と定義した。
聖水とパンと燃えゐるらふそくとわれのうちなる小さき聖壇　　『飛行』
市に嘆くキリストなれば箒なす大き素足に祈りたまへり　　　　『鷹の井戸』
川野は右の二首をどのように読むのであろうか。一首目は自らの心の中にイエスに捧げる聖壇があるという、あきらかに信仰告白の歌である。二首目はキリストに対して祈ると明確に詠んでいる。しかも素足へ祈るという低い位置からの祈りなのである。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
一首めはそうかもしれない。しかし二首めはどうか。「祈りたまへり」である。これは〈私は〉ではないだろう。『鷹の井戸』のテキストが手許にない状態で言うので間違っているかもしれないが、主体はキリストであると読むのがまず順当で、あるいは嘆くキリストの素足に対して祈る誰かであろう。
作者の視点も低いが、いきなり作者の祈りと言うのは無理がある。文脈からそう読み取れるというのであれば、もう少し丁寧に書いてもらうべきところかもしれない。そのあたりがどうも粗っぽいようで、十分に説得されないのだ。
いっぽう、川野のほうも、要所は推定の留保がついているものの、岩井の批判を呼ぶようなところがある。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
十字架に頭（かしら）垂れたるキリストは黒き木の葉のごとく掛かりぬ　『縄文』
キリストは青の夜の人　種（しゆ）を遺さざる青の変化（へんげ）者　　『原牛』
ありがてぬ甘さもて恋ふキリストは十字架にして酢を含みたり　　　『葡萄木立』
川野は右の三首を引き、「これらの歌はことごとく象徴的なイエスの像を外れている。神の子ではなく、私たち自身よりも救われ難いひ弱な存在である。」と書く。川野は十字架に対して思い違いをしている。十字架上のイエスが弱く無惨で痛みに満ちたものであればあるほど、罪深き人間は救われるのである。その贖いの象徴としてイエスは十字架上では限りなく弱くあらねばならなかったのである。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
この部分は概ね私も感じたことである。むしろ「象徴的なイエスの像」そのものではないかとも思う。このパラドックスこそがキリスト教である。この三首のなかで、非キリスト教的なものがあるとすれば二首目だろう。「変化者」という発想は信仰のなかからは、おそらく出てこない。
もうひとつ。岩井が「日本の歴史を見て一度たりともキリスト教が強制された歴史はない」ということについて。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
太平洋戦争の敗戦後に占領軍による強力なキリスト教宣教活動が行なわれたが、結局キリスト教信徒の数は四十万人程度にとどまっている。そのような日本において非常な少数者であるキリスト教信仰を拒み続けたという、川野の認識は根本から間違っている。
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-
歴史的背景の事実はそのとおりだろう。だが、どうだろう。家族のなかに新しい信仰を選び取った者がいるときに、その家族は動揺しないかどうか（葛原のパターンである）。キリスト教に限らないが、ある文化や信仰を堅く持つ一族のなかに、結婚した女性が加わるとき、強制力を感じないかどうか。学芸の師弟関係や職場の上司―部下の関係のなかで有形無形の圧力はなかったか。「親切なおばさん（おじさん）」に、あれこれ世話を焼かれて、拒めなくなってしまったということはないか。
自ら選び取った信仰ですら、世界の普遍的な価値はこれであるという、ある種の強制力があって、それに抵抗を感じながらも、受洗する者は「命がけのジャンプ」をしたのではなかったか（ファッションで流れるのが多数派であるかもしれないが）。
＊
鑑賞の場面において、「信仰者」と断定すれば、アンチ・キリスト的な作品をよく読めないことになるし、「信仰を拒み続けた」と断定すれば、これはまたキリスト（あるいは、ナザレのイエス）に思いを寄せる作品などが読めなくなる。
思うに、どう断定しても違和感を感じる人は出てくる。信仰とはどういうものかというのも、それぞれの教団で、個々人の内面で違う。信者というのは帰依した人かといえばそういうものでもなくて、つねに揺れ動くから教団に拠るのである。
図式的に言い表したり理解したくなるものだが、生身の人間は、もっと揺れ動くものだろう。その部分をこそ読み味わいたいと思うのである。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>島田幸典さんの跡をひきつぎ、一年間書かせていただきます。気楽な文章を……と思いながら、最初からすこし重くなりました。書き込み方法に慣れるまで、いましばらく不体裁なところもあるものと思いますがご容赦ください。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>「短歌往来」１月号に掲載された、岩井謙一「川野里子『幻想の重量』への疑問」に、少し驚きながら、いくらかの部分については、私の感じていた疑問とも重なるので、なるほどと思いながら読む。</p>
<p>葛原妙子のよい読者ではない私が言っても重みが無いが、川野の『幻想の重量―葛原妙子の戦後短歌』（本阿弥書店）は、力作であり必読書であろう。前衛短歌の随伴者として名前が挙がるが、ほんとうにそうなのか。そうだとして塚本邦雄との距離はどうなのか。そういったことを戦中・戦後という時代背景を押さえながら評伝的にたどり、当時の「潮音」誌上の作品や文章、そしてライヴァルと目される倉地與年子らの作品と比較しながら立体的に論じてゆくのは読み応えがあった。</p>
<p>さて、岩井の批判は、主として川野のキリスト教理解にある。私もまた『幻想の重量』を読みながら、そのキリスト教についての議論に、どうも落ち着かない思いを抱えていたので、岩井の文章を手掛かりに、少し考えてみたいと思う。</p>
<p>キリスト教的な内容の作品が数多くあるけれど、受洗したのは死の間際である。そのことをどのように理解するのかというのがポイントになるだろうか。川野は「信者としてではなく、むしろ神を呪うものとしてキリスト教の傍らにありつづけた」とする。いっぽう、岩井は「葛原妙子はキリスト教の信仰者であったが、死の寸前まで信者ではなかった」と書く。<br />
岩井の文章は、いささかキリスト教史や教義に立ち入って、もっともだと思うところもあるのだが、これは拠って立つところの信仰的な立場の表明であろう。そのことについては、稿をあらためるが、作品の読解にかかわるところについて、コメントしておこう。</p>
<p>例えばこういう一節がある。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
信仰を理解していない川野の葛原妙子の歌に対する読みも疑問点が多々ある。川野は葛原妙子を積極的な無神論者と定義した。</p>
<p>聖水とパンと燃えゐるらふそくとわれのうちなる小さき聖壇　　『飛行』</p>
<p>市に嘆くキリストなれば箒なす大き素足に祈りたまへり　　　　『鷹の井戸』</p>
<p>川野は右の二首をどのように読むのであろうか。一首目は自らの心の中にイエスに捧げる聖壇があるという、あきらかに信仰告白の歌である。二首目はキリストに対して祈ると明確に詠んでいる。しかも素足へ祈るという低い位置からの祈りなのである。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>一首めはそうかもしれない。しかし二首めはどうか。「祈りたまへり」である。これは〈私は〉ではないだろう。『鷹の井戸』のテキストが手許にない状態で言うので間違っているかもしれないが、主体はキリストであると読むのがまず順当で、あるいは嘆くキリストの素足に対して祈る誰かであろう。<br />
作者の視点も低いが、いきなり作者の祈りと言うのは無理がある。文脈からそう読み取れるというのであれば、もう少し丁寧に書いてもらうべきところかもしれない。そのあたりがどうも粗っぽいようで、十分に説得されないのだ。<br />
いっぽう、川野のほうも、要所は推定の留保がついているものの、岩井の批判を呼ぶようなところがある。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
十字架に頭（かしら）垂れたるキリストは黒き木の葉のごとく掛かりぬ　『縄文』</p>
<p>キリストは青の夜の人　種（しゆ）を遺さざる青の変化（へんげ）者　　『原牛』</p>
<p>ありがてぬ甘さもて恋ふキリストは十字架にして酢を含みたり　　　『葡萄木立』</p>
<p>川野は右の三首を引き、「これらの歌はことごとく象徴的なイエスの像を外れている。神の子ではなく、私たち自身よりも救われ難いひ弱な存在である。」と書く。川野は十字架に対して思い違いをしている。十字架上のイエスが弱く無惨で痛みに満ちたものであればあるほど、罪深き人間は救われるのである。その贖いの象徴としてイエスは十字架上では限りなく弱くあらねばならなかったのである。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>この部分は概ね私も感じたことである。むしろ「象徴的なイエスの像」そのものではないかとも思う。このパラドックスこそがキリスト教である。この三首のなかで、非キリスト教的なものがあるとすれば二首目だろう。「変化者」という発想は信仰のなかからは、おそらく出てこない。</p>
<p>もうひとつ。岩井が「日本の歴史を見て一度たりともキリスト教が強制された歴史はない」ということについて。</p>
<p>&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここから &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
太平洋戦争の敗戦後に占領軍による強力なキリスト教宣教活動が行なわれたが、結局キリスト教信徒の数は四十万人程度にとどまっている。そのような日本において非常な少数者であるキリスト教信仰を拒み続けたという、川野の認識は根本から間違っている。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212; 引用ここまで &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-</p>
<p>歴史的背景の事実はそのとおりだろう。だが、どうだろう。家族のなかに新しい信仰を選び取った者がいるときに、その家族は動揺しないかどうか（葛原のパターンである）。キリスト教に限らないが、ある文化や信仰を堅く持つ一族のなかに、結婚した女性が加わるとき、強制力を感じないかどうか。学芸の師弟関係や職場の上司―部下の関係のなかで有形無形の圧力はなかったか。「親切なおばさん（おじさん）」に、あれこれ世話を焼かれて、拒めなくなってしまったということはないか。<br />
自ら選び取った信仰ですら、世界の普遍的な価値はこれであるという、ある種の強制力があって、それに抵抗を感じながらも、受洗する者は「命がけのジャンプ」をしたのではなかったか（ファッションで流れるのが多数派であるかもしれないが）。</p>
<p style="text-align: center;">＊</p>
<p>鑑賞の場面において、「信仰者」と断定すれば、アンチ・キリスト的な作品をよく読めないことになるし、「信仰を拒み続けた」と断定すれば、これはまたキリスト（あるいは、ナザレのイエス）に思いを寄せる作品などが読めなくなる。<br />
思うに、どう断定しても違和感を感じる人は出てくる。信仰とはどういうものかというのも、それぞれの教団で、個々人の内面で違う。信者というのは帰依した人かといえばそういうものでもなくて、つねに揺れ動くから教団に拠るのである。<br />
図式的に言い表したり理解したくなるものだが、生身の人間は、もっと揺れ動くものだろう。その部分をこそ読み味わいたいと思うのである。</p>
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		<title>「冗語」の働き―玉城徹の所論からの連想</title>
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		<pubDate>Tue, 29 Dec 2009 16:15:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>島田 幸典</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[******************　******************
 
　かつて玉城徹は「短歌における冗語という問題」を提起したことがある。助詞や助動詞は一首に歌らしい「おちつき」や「ふぜい」といった「気分」の側面で〈うた〉になにがしかを加える。近代短歌はこのような助詞・助動詞の働きを削ぎおとす方向で進んだが、同時にたえず冗語への回帰を促す力とのあいだで動揺してきた（*1）。
 
　短詩型という文芸が、言わば「無用の用」とでも呼ぶべき効用を滋養としながら、散文とは異なる表現技術を洗練させてきたことは、この雑文でも縷々触れてきた。子規は助辞の追放からその革新プログラムを開始したが、晩年に到ってむしろ「和歌の俳句化」から離れ、助辞を活かしつつ、時間に即した意識の流れを一首に投影させる途を模索した（「問いとしての写生」）。玉城が指摘するとおり、戦後短歌においても助辞の排除への志向性は顕著に見られた。近藤芳美はその一典型である。「葬式自動車の如き余剰装飾を最も嫌悪」し、「洗ひ去つたはてに本当の美しさがある」と信じ、「定型詩を、結局は詩の一隅における約束型式だと考へ」て、「定型詩を必要以上に意味づけてはならぬ」と論じた敗戦直後の時期の近藤が、簡潔明瞭な文体に「新しき短歌」の然るべき佇まいを求めたことは当然の選択であった（*2）。他方、後年の近藤短歌が、受難者が身を捩（よじ）るかのような佶屈な調べをつうじて、悲歎と懊悩を含んだ思惟を形象化しようとしたことを我々は知っている（*3）。それは、近藤なりに助辞の機能を酷使したすえの所産であった。
 
　今日「短歌の口語化」は既成の事実として語られることが多い。だが、それがただ単に口語作品の「量的」増加を意味するにすぎないのであれば、用いられる言葉の変化が作品の豊穣をどのようにもたらすのか、依然として未解明であると言わざるをえない。口語化が開いた可能性から韻文表現の再生のための契機を見出すために、実作と批評両面からの検証が今後いっそう求められるであろう。勿論、この課題は、文語に拠る作者にとっても―旧套墨守以上のものを目指すのであれば―無縁ではない。むしろ、自明であったものがそうではなくなった今こそ、その意味と価値について問いなおす好機ではあるまいか。
＊
 　韻文表現の効果について、一個の基点から一本の線をすっと引くように明快に論じることは難しい。むしろ細部に注意し、裏道や枝道があればあえて踏みこみながら、逆説を一つずつ解きほぐす慎重さや迂遠さが欠かせない。
 
　辺辺記を閉じるにあたって、最近目に留めた作品についてささやかな鑑賞を試みたい。
  
トランジスカンチア・アルビフローラ・アルボビッタータ呟けば小さき祈りの如し
高安国世『虚像の鳩』（*4）
 
 　この一首の上句は言わば虚辞である。何となく植物の学名ではないかとあたりをつけることはできるが、それが具体的にどのような植物なのか、すぐさま答えられる読者は（私を含めて）そう多くはないのではないか。しかし、一首を鑑賞するうえではそれで十分なのである。植物学者がある植物について、他との違いを突きつめ、それ固有の特性を何とか明らかにしようとする、そしてその発見のために、名を与えようとする。そのようなとり組みは真を求める気持ち、あるいは信仰にも似た―信仰そのものではない。「小さな」と断っていることには意味がある―思いに根ざすものである。このとき上句の意味内容は限りなくゼロに近い。しかしその弾むような、時には息せき切って言葉を継ぐような響きのなかに切迫した真理への憧れと、下句の深々とした作者の地声のなかにそのような思いへの共感という〈実〉がたしかに詠いとめられている。ここで玉城が言う〈冗語〉を拡大的に解釈し、作品における〈虚〉の部分の機能という観点で読みかえるなら、掲出歌の場合〈虚〉が〈実〉へと鮮やかに転換するだけでなく、〈虚〉が〈実〉に明確な輪郭と深度を与えている。ここにも短歌の逆説の一端を垣間見ることができる（*5）。
  
できないとなんどいってもわたされるナイフのような鬱がきざせり
江戸雪『駒鳥（ロビン）』（*6）
 
 　短歌の口語化には、純粋口語作品の増加だけでなく、口語・文語混用の常套化という現象も含まれている。右の作品は後者の一例であり、叙述の本体部分「鬱がきざせり」は文語、それにたいして序詞のように修飾部として被さる四句までが口語表現をとっている。私はこの現象について、口語化への控えめな順応としてみるのではなく、「冗語」のヴァリエーションの積極的拡張という観点で理解できないかと考えている。元来、もっぱら文語の助詞あるいは助動詞が担ってきた情感やニュアンスの添加という機能を、口語センテンスの導入によって補強しているものと捉えてみたいのである。
 
　口語という〈意匠〉は、第一に同時代性というコンテキストに一首を据える作家の意思を明らかにし、第二に発話内容の直接性・無操作性（という見かけ）、つまり主体の言葉や体験が直（じか）に伝達されるような感触を作品に与える。掲出歌の場合、閉塞感が殺意に直結した近年の幾つかの事件を連想させる点で前者の、またまるで悪い夢でも見ているかのような主体の強迫感を伝達する点で後者の効果が発揮されているように思われる。そしてこのような口語の働きは一首に独特の〈気分〉をもたらすために、冗語の機能にきわめて近しい。
 ＊
　前世紀以来、短歌は抒情にも増して、認識の器たることを要請されてきたし、時代が突きつける困難さが増せばそのぶん、批評知の果たすべき役割はいっそう大きくなることだろう。主題や意味、メッセージが、今後とも創作と解釈にとって注意すべき要素であることに変わりはない。だが、短歌にはその詩型固有の伝達の作法がある。それは表面的な意味の授受とは別の次元で、すなわち狭義の修辞や韻律、文体や編集をつうじて、さらに印刷技術や各種メディアのような言語外的インフラとも深く関わりながら、その表現の可能性を拡大させ、あるいは緻密化してきた。だからこそ短歌を読むさいには、〈事柄〉そのものとともに、それを伝える手つきや置かれる場にも注意がなされなければならない。
 
　周辺的に見えるところが、案外に中心に繋がっているところに短歌を論じる難しさと、それゆえの楽しさがあるように思われるのである。〔了〕
 
 
 
（*1）玉城徹「近代の濾過」『近代短歌の様式』短歌新聞社、一九七四年。
（*2）近藤芳美『新しき短歌の規定』十字屋書店、一九五二年。引用は「新しき短歌の規定」（一九四七年）、「過剰表現の歌」（四八年）、「歌壇の生態と定型」（同）に拠る。
（*3）助詞の使われ方に着目して近藤作品の文体の特性に迫った試みとして、例えば島田修三「をにの文体―『黒豹』の文体について」『短歌』（角川書店）、第五三巻第七号（二〇〇六年六月）。
（*4）白玉書房、一九六八年。
（*5）引用歌に先行して「メキシコ産つゆくさの学名も読みて行く学名は学のよろこびのごと」がある。ここから引用歌に籠めた高安の真意は明らかであろう。しかし、「トランジスカンチア」の一首は、それだけで十分な独立性を備えているように思われる。
（*6）砂子屋書房、二〇〇九年。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>******************　******************</strong></p>
<p> </p>
<p>　かつて玉城徹は「短歌における冗語という問題」を提起したことがある。助詞や助動詞は一首に歌らしい「おちつき」や「ふぜい」といった「気分」の側面で〈うた〉になにがしかを加える。近代短歌はこのような助詞・助動詞の働きを削ぎおとす方向で進んだが、同時にたえず冗語への回帰を促す力とのあいだで動揺してきた（*1）。</p>
<p> <br />
　短詩型という文芸が、言わば「無用の用」とでも呼ぶべき効用を滋養としながら、散文とは異なる表現技術を洗練させてきたことは、この雑文でも縷々触れてきた。子規は助辞の追放からその革新プログラムを開始したが、晩年に到ってむしろ「和歌の俳句化」から離れ、助辞を活かしつつ、時間に即した意識の流れを一首に投影させる途を模索した（「<a href="http://www.sunagoya.com/jihyo/?p=67">問いとしての写生</a>」）。玉城が指摘するとおり、戦後短歌においても助辞の排除への志向性は顕著に見られた。近藤芳美はその一典型である。「葬式自動車の如き余剰装飾を最も嫌悪」し、「洗ひ去つたはてに本当の美しさがある」と信じ、「定型詩を、結局は詩の一隅における約束型式だと考へ」て、「定型詩を必要以上に意味づけてはならぬ」と論じた敗戦直後の時期の近藤が、簡潔明瞭な文体に「新しき短歌」の然るべき佇まいを求めたことは当然の選択であった（*2）。他方、後年の近藤短歌が、受難者が身を捩（よじ）るかのような佶屈な調べをつうじて、悲歎と懊悩を含んだ思惟を形象化しようとしたことを我々は知っている（*3）。それは、近藤なりに助辞の機能を酷使したすえの所産であった。</p>
<p> <br />
　今日「短歌の口語化」は既成の事実として語られることが多い。だが、それがただ単に口語作品の「量的」増加を意味するにすぎないのであれば、用いられる言葉の変化が作品の豊穣をどのようにもたらすのか、依然として未解明であると言わざるをえない。口語化が開いた可能性から韻文表現の再生のための契機を見出すために、実作と批評両面からの検証が今後いっそう求められるであろう。勿論、この課題は、文語に拠る作者にとっても―旧套墨守以上のものを目指すのであれば―無縁ではない。むしろ、自明であったものがそうではなくなった今こそ、その意味と価値について問いなおす好機ではあるまいか。</p>
<p style="TEXT-ALIGN: center">＊</p>
<p style="text-align: left;"> 　韻文表現の効果について、一個の基点から一本の線をすっと引くように明快に論じることは難しい。むしろ細部に注意し、裏道や枝道があればあえて踏みこみながら、逆説を一つずつ解きほぐす慎重さや迂遠さが欠かせない。</p>
<p> <br />
　辺辺記を閉じるにあたって、最近目に留めた作品についてささやかな鑑賞を試みたい。</p>
<p>  </p>
<p>トランジスカンチア・アルビフローラ・アルボビッタータ呟けば小さき祈りの如し</p>
<p style="text-align: right;">高安国世『虚像の鳩』（*4）</p>
<p> </p>
<p> 　この一首の上句は言わば虚辞である。何となく植物の学名ではないかとあたりをつけることはできるが、それが具体的にどのような植物なのか、すぐさま答えられる読者は（私を含めて）そう多くはないのではないか。しかし、一首を鑑賞するうえではそれで十分なのである。植物学者がある植物について、他との違いを突きつめ、それ固有の特性を何とか明らかにしようとする、そしてその発見のために、名を与えようとする。そのようなとり組みは真を求める気持ち、あるいは信仰にも似た―信仰そのものではない。「小さな」と断っていることには意味がある―思いに根ざすものである。このとき上句の意味内容は限りなくゼロに近い。しかしその弾むような、時には息せき切って言葉を継ぐような響きのなかに切迫した真理への憧れと、下句の深々とした作者の地声のなかにそのような思いへの共感という〈実〉がたしかに詠いとめられている。ここで玉城が言う〈冗語〉を拡大的に解釈し、作品における〈虚〉の部分の機能という観点で読みかえるなら、掲出歌の場合〈虚〉が〈実〉へと鮮やかに転換するだけでなく、〈虚〉が〈実〉に明確な輪郭と深度を与えている。ここにも短歌の逆説の一端を垣間見ることができる（*5）。</p>
<p>  </p>
<p>できないとなんどいってもわたされるナイフのような鬱がきざせり</p>
<p style="text-align: right;">江戸雪『駒鳥（ロビン）』（*6）</p>
<p> </p>
<p> 　短歌の口語化には、純粋口語作品の増加だけでなく、口語・文語混用の常套化という現象も含まれている。右の作品は後者の一例であり、叙述の本体部分「鬱がきざせり」は文語、それにたいして序詞のように修飾部として被さる四句までが口語表現をとっている。私はこの現象について、口語化への控えめな順応としてみるのではなく、「冗語」のヴァリエーションの積極的拡張という観点で理解できないかと考えている。元来、もっぱら文語の助詞あるいは助動詞が担ってきた情感やニュアンスの添加という機能を、口語センテンスの導入によって補強しているものと捉えてみたいのである。</p>
<p> <br />
　口語という〈意匠〉は、第一に同時代性というコンテキストに一首を据える作家の意思を明らかにし、第二に発話内容の直接性・無操作性（という見かけ）、つまり主体の言葉や体験が直（じか）に伝達されるような感触を作品に与える。掲出歌の場合、閉塞感が殺意に直結した近年の幾つかの事件を連想させる点で前者の、またまるで悪い夢でも見ているかのような主体の強迫感を伝達する点で後者の効果が発揮されているように思われる。そしてこのような口語の働きは一首に独特の〈気分〉をもたらすために、冗語の機能にきわめて近しい。</p>
<p style="text-align: center;"> ＊</p>
<p>　前世紀以来、短歌は抒情にも増して、認識の器たることを要請されてきたし、時代が突きつける困難さが増せばそのぶん、批評知の果たすべき役割はいっそう大きくなることだろう。主題や意味、メッセージが、今後とも創作と解釈にとって注意すべき要素であることに変わりはない。だが、短歌にはその詩型固有の伝達の作法がある。それは表面的な意味の授受とは別の次元で、すなわち狭義の修辞や韻律、文体や編集をつうじて、さらに印刷技術や各種メディアのような言語外的インフラとも深く関わりながら、その表現の可能性を拡大させ、あるいは緻密化してきた。だからこそ短歌を読むさいには、〈事柄〉そのものとともに、それを伝える手つきや置かれる場にも注意がなされなければならない。</p>
<p> <br />
　周辺的に見えるところが、案外に中心に繋がっているところに短歌を論じる難しさと、それゆえの楽しさがあるように思われるのである。〔了〕</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>（*1）玉城徹「近代の濾過」『近代短歌の様式』短歌新聞社、一九七四年。<br />
（*2）近藤芳美『新しき短歌の規定』十字屋書店、一九五二年。引用は「新しき短歌の規定」（一九四七年）、「過剰表現の歌」（四八年）、「歌壇の生態と定型」（同）に拠る。<br />
（*3）助詞の使われ方に着目して近藤作品の文体の特性に迫った試みとして、例えば島田修三「をにの文体―『黒豹』の文体について」『短歌』（角川書店）、第五三巻第七号（二〇〇六年六月）。<br />
（*4）白玉書房、一九六八年。<br />
（*5）引用歌に先行して「メキシコ産つゆくさの学名も読みて行く学名は学のよろこびのごと」がある。ここから引用歌に籠めた高安の真意は明らかであろう。しかし、「トランジスカンチア」の一首は、それだけで十分な独立性を備えているように思われる。<br />
（*6）砂子屋書房、二〇〇九年。</p>
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